急死の「蒙古の怪人」キラー・カーンさん リング上の迫力からは想像もつかない心優しい人だった
「蒙古の怪人」キラー・カーンこと小澤正志さんが29日、動脈破裂で亡くなった。76歳だった。
「笑うようにするよ! こう? こうかな?」
「蒙古の怪人」キラー・カーンこと小澤正志さんが29日、動脈破裂で亡くなった。76歳だった。
1971年、大相撲から日本プロレス入りした小澤さん。新日本プロレスに移籍し、その巨体を生かして海外遠征で大活躍した。欧州、メキシコなどに遠征後、米国でキラー・カーンと改名して大暴れ。「大巨人」故アンドレ・ザ・ジャイアントさんの足を折ったとして、いよいよ世界マット界にその名を轟かせる。
凱旋(がいせん)帰国後は維新軍に加わり、長州力のジャパンプロレスに参加。全日本プロレスに参戦後、米国マットを経て1987年に引退した。
定評のあった料理の腕を生かして飲食業に転身。ノド自慢でもあり「俺の歌は何曲もカラオケにある」とお店でも披露している。
その風貌からは想像もつかないほど、気が優しかった。
第一回カール・ゴッチ杯の決勝戦で敗れた藤波辰爾(当時・辰巳)を強く意識していた。「藤波はあんなにモテモテなのに、俺は何でモテないんだろう?」と真顔で聞かれた人がいる。
「いや~それは…怖い顔だからじゃない?」と答えたところ「笑うようにするよ! こう? こうかな?」といろいろな笑顔を披露してくれたそうだ。
「蒙古の怪人」に変身後は、すっかりモンゴル人だと思われてしまった。お店に入っても「イングリッシュOK? と聞かれるんだ」と振り返っていた。「日本人ですよ。日本語で大丈夫です」と答えると「みんな、ホッとするんだよね」と苦笑いだった。
モンゴル風にするのは元々「カール・ゴッチさんのアイデアだった。ゴッチさんは堅物のイメージがあるけど、柔軟なプロレス頭も持っていたんだ。意外に知られてないけどね」と解説してくれた。そのアイデアのおかげで、アメリカで大成功したのだから「ありがたい」と感謝していた。
弁髪を結んでいたが、ほどけてくるのをとても気にしていたが、自分ではうまく編めず、女性関係者にお願いしている。ただ、段々と面倒くさくなったらしく、最後は全部そり落としてしまった。
「本音を言うとさ、本当はずっとアメリカでやりたかったんだ。だけど、まあ、いろいろね。ホームシックみたいなのもあったし、食べ物がね。和食が恋しかった」とつぶやいていた。実際に帰国するか、留まるか、ずいぶん迷ったようだ。
外国人の奥さんとの間の娘さんの写真を、いつも財布に入れて持ち歩いており「かわいいでしょ」とみんなに見せていた。
数年前「お嬢さん、大きくなった?」と聞くと「大きくなったなんてもんじゃないよ。あんなに小さかったのになぁ。そう考えると、俺がアメリカで活躍していたのも、ずいぶん昔だよな。月日のたつのは夢のうちだね」とポツリとつぶやいた。その時、浮かべた寂しそうな表情が思い出される。
海を渡って名をあげた日本人レスラーは数多い。だが、あれほどの悪党人気を博したのは稀だろう。
以前に本人が話していたように「月日のたつのは夢のうち」のまま、突然旅立ってしまったカーンさん。
空の上のリングでは怪鳥のようなアルバトロス殺法を繰り出しているのか、独特の奇声を発してのモンゴリアンチョップを連打しているのか。
あるいは好敵手だったアンドレさんと昔話に花が咲いているのだろうか。
心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。