親ガチャ、「外れ」と言われてしまった親は子どもとどう接すればいいのか 「自己責任論」の強要は間違い
親を自分で選べないことを指し、流行語にもなった「親ガチャ」に正面から向き合う若き哲学者がいる。気鋭の35歳、戸谷洋志氏だ。恵まれない家に生まれてきたのだからどうせ自分の人生は変わらない――。日本社会を、とりわけ現代の若者たちを覆う厭世観を乗り越え、自暴自棄に陥らないためには何が必要なのか。「外れ」と言われてしまった親は子どもとどう接すればいいのか。考えるためのヒントや前を向くためのメッセージを聞いた。
若き哲学者が考える「子どもにとっての救い」とは
親を自分で選べないことを指し、流行語にもなった「親ガチャ」に正面から向き合う若き哲学者がいる。気鋭の35歳、戸谷洋志氏だ。恵まれない家に生まれてきたのだからどうせ自分の人生は変わらない――。日本社会を、とりわけ現代の若者たちを覆う厭世観を乗り越え、自暴自棄に陥らないためには何が必要なのか。「外れ」と言われてしまった親は子どもとどう接すればいいのか。考えるためのヒントや前を向くためのメッセージを聞いた。(取材・文=吉原知也)
このほど、出生の偶然性から始まる人生を自分自身でどう引き受けるのかをテーマに、社会学と哲学の両面から読み解いた『親ガチャの哲学』(新潮新書刊)を上梓した戸谷氏。2010年代からネット用語として使われてきた親ガチャを巡り、共感と反感で真っ二つに分かれるネットの極端な反応に関心を抱き、「現代社会の根本的な問題につながるかもしれない」と、思案・研究を始めたという。
戸谷氏が不安視しているのは、共感と反感の「対立構造」だ。「教育にかけるお金がない家に生まれてきてしまった子どもは十分に学歴を伸ばすことができず、不利な環境で年収の低い仕事しかできない。貧しい過程を歩むことから逃れられなくなる……。私が『親ガチャ的な人生観』と呼ぶのはこんな人生観です。どんどん厭世的になり、『人生がうまくいかないのは自分のせいではない』と、自分の人生に責任を持てなくなってしまいます。また、他人の功績を否定することも問題点として挙げられます。例えば年収1000万円を稼ぐ人に対して、『あんたが稼げてるのは、親が裕福だったからでしょ。だからいい学歴でいい仕事に就けているのであって、あんたの実力じゃない』と非難するようになってしまいます」。
一方で、親ガチャを否定する考えも問題をはらんでいる。「『家庭環境がどんなに劣悪でも、本人の努力によって人生は覆せるんだ。だから親ガチャは間違っている』という言い方がよく聞かれます。これは実は、いいことを言っているように見えて、過激な自己責任論につながる懸念があります。『今、不遇な状態に置かれている人は努力をしてこなかった。本人の怠慢である。ならば、誰も救いの手を差し伸べる必要はない』となってしまいます」。
そのうえで、「誰もが自尊心を持って生きていけることが大事だと思っています。そのためには、この両極端に触れている対立構造を崩していく必要があると考えています」と鋭く指摘する。
親ガチャ的な人生観にとりつかれてしまうと、もう1つのリスクが。それは自暴自棄になり、破滅してしまうことだ。戸谷氏自身、「生まれた環境によって、ある程度の人生の要素が決まってしまうことは事実です。それは仕方ないことでもあります」ということを前提に考えているという。しかし、ここで道を踏み外してはならない。「自分の人生を自分で引き受けられないとどうなるか。『うまくいかないのは自分のせいではない。他人のせいだ。親が悪い、国が悪い』と他人に責任転嫁するようになって、エスカレートしていき、自暴自棄型の犯罪につながる危険性があります。私は秋葉原無差別殺傷事件の根底には、この親ガチャ的な人生観があったのではないかと考えています。また、『自分のことはどうなっても構わない』となってしまうと、自傷行為や自ら命を絶ってしまうという悪い作用が出てきてしまいます。これをなんとかしたいんです」と強調する。
他人と対話を重ねることが「親ガチャ的な人生観から逃れる1つの方法」
戸谷氏は、ドイツの哲学者マルティン・ハイデガーやフランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの思想を参照しながら、解決につなげるための考え方を示す。「人生のある程度はどうにもならないところがあります。そんな人生でも、自分を尊重し、自分を気遣うことは可能です。『私は私である。誰のせいにもできない』と、自分の人生に責任を持つことです。そのためには、自分の声を聞いてくれる他者の存在が必要だと考えています。他人に自分のことを話しているときに、自分のことが分かってくるという感覚を皆さん経験しているかと思います。自己肯定にもつながります。他人と対話を重ねることが、親ガチャ的な人生観から逃れる1つの方法になるのかなと考えています。今の日本は、他人との会話や接触を避けがちですが、もっと対話を重視する社会になればと願っています」と思いを込める。
親として、大人の立場としての対処法も重要になってくるだろう。もし、子どもが『こんな家に生まれてきたくなかった』と人生を悲観するような発言をした場合、厭世観にさいなまれてしまったとき、どうすればいいのか。
戸谷氏は自身が教育論の専門家ではないと前置きをしたうえで、「『お前は間違っている』と論破しようとしてはいけないと思います。自己責任論を押し付けることもダメです。子どもは確かに苦しんでいるかもしれませんが、少なくともそれを親に伝えようとしているということは、『自分の言いたいことがどこかに届くかも』と希望を持っていると言えます。親として悲観的な言葉を聞くのはしんどいかもしれません。でも、実際に聞くこと、聞いているという姿勢を取ること、そのこと自体が、子どもに対してポジティブな影響を与えるんじゃないかなと思います。話を遮ったり、途中でその場を去ったりせず、ちゃんと最後まで聞いてあげること。『私はあなたの話を聞いてるよ、受け止めているよ』という親からのメッセージを受け取ることができれば、子どもにとって救いになると思います」と話している。
□戸谷洋志(とや・ひろし)1988年、東京都生まれ。関西外国語大准教授。専門は哲学・倫理学。法政大文学部哲学科卒業、大阪大大学院文学研究科博士後期課程修了。著作活動も精力的に行っている。