赤井沙希、父・赤井英和との思い出は「ほとんどない」 強烈過ぎる元レディース総長だった母の教え
2013年8月にDDTの両国国技館大会でプロレスデビューし、その10年後の今年11月12日に同じく両国国技館で引退した赤井沙希。その赤井といえば、父・赤井英和の話題が出ることは少なくない。しかし赤井は「ほとんど記憶にない」という。それもそうだ、住んでいる地域も違えば、別の家族の存在もあるわけで、思春期にはほとんど会っていないのだから。むしろ、赤井は数々の武勇伝を持つ母親の影響を濃く受けていた。
自分の生活に「父」の存在はなかったが戦い続ける強い「母」はいた
2013年8月にDDTの両国国技館大会でプロレスデビューし、その10年後の今年11月12日に同じく両国国技館で引退した赤井沙希。その赤井といえば、父・赤井英和の話題が出ることは少なくない。しかし赤井は「ほとんど記憶にない」という。それもそうだ、住んでいる地域も違えば、別の家族の存在もあるわけで、思春期にはほとんど会っていないのだから。むしろ、赤井は数々の武勇伝を持つ母親の影響を濃く受けていた。(取材・文=橋場了吾)
11月12日・両国国技館で開催されたDDTの秋のビッグマッチ『Ultimate Party 2023』でプロレスラーを引退した赤井沙希。もともとは芸能界でタレント・モデルとして活動していた彼女は、プロレスラーが出演している番組のアシスタントや、プロレスをテーマにしたドラマに出演するなど、プロレスとの縁が深まっていった。その遠因は、父が元プロボクサーだったことの影響はゼロではないだろう。
「両親が離婚したのは私が2、3歳のときで、学生時代は京都で母親と祖母と姉と一緒に暮らしていたので、思春期には父親とはほとんど会っていないですね。だから、父という存在は自分の生活にはなかったので、むしろ何で周りの人は親が二人いるんだろう?と思っていました」
そんな赤井を育て上げたのは、当時では稀有な女性ボクシングトレーナーであり、もともとは走り屋集団の二大巨頭に属しレディース部門を立ち上げ初代総長にもなった豪快な母親だ。その赤井の母親は、赤井が拠点を東京に移すのも、プロレスに挑戦することも大反対だったという。
「肝は据わっていますし、何があっても家族を守る……そういう部分は、今思うと流石だなと思いますね。自分がヤンチャになりかけたときですかね、着崩すようなファッションをしていたら『ダサいね、やるならかっこいい不良になりな』と言われてハッとしましたね(笑)」
2013年8月18日、母親は両国国技館で赤井のデビュー戦を観戦していた。そして10年後、同じく両国国技館で引退試合も観戦したという。
「母は人前に出ることはなかったんですけど、やはり”戦い”という部分においては学生時代からの経験があるんですよ(笑)。父と結婚してからは父の闘病生活・リハビリ、離婚してからは姉と私の子育て……常に戦い続けていた母なんです。デビュー時の私は精神的な戦いはしてきたかもしれないですけど、格闘技をしていたわけでもないですし、顔と顔を合わせて”メンチを切る”経験もないわけです。
で、デビュー戦後に感想を聴きに行ったら『メンチの切り方が甘い』とダメ出しされる始末で(笑)。引退試合のときは、母は疲れ切っていましたね。10年間の心配が今日で終わる、その一方で寂しいという気持ちもあったみたいです。大反対されたプロレスデビューでしたが、結果的には母もDDTのことを好きになってくれたので……引退試合を終えて自分の足で母と合流し、ご飯を食べて家に帰ることができたという意味では、安心してもらえたかなと思います」
結婚は「今やっていることよりもワクワクすると思ったときに」
このような環境で育った赤井は、どのような結婚観を持っているのだろうか。
「結婚願望はあるんですけど、今すぐできるのかという(笑)。実は現役のときに、名前や写真を出さずに一瞬だけマッチングアプリを入れたことがあるんです。で、『これだけ世の中に結婚したい人はいるんだ』と安心して、今すぐ結婚しなくても大丈夫だと思ってすぐにアンインストールしました(笑)。結婚もしたいし、子供も産みたい。でも、それが今かというと、イメージは全く湧かないですね。自分が今やっていることよりも、ワクワクするかもと思ったときですかね、それは」
今後の赤井はDDTのスタッフとして、あくまで裏方として選手を支えていく予定だ。プロレスラーは引退したが、プロレス業界を去るわけではない。その赤井に「プロレスとは何ですか?」と問うと……。
「引退してからは『プロレスを守らなきゃ』と思っています。世間にどう見られているのかというのは関係なく、プロレスラーは一生懸命尊い時間を過ごしていますし、この文化をもっと繁栄させたいですね。自分が持っているものや経験してきたことを、選手たちに伝えていきたいですし、伝えていくことでプロレスに携わる多くの人の幸せの支えになりたいです。そして専門誌を読まなくとも、日常的にプロレスのいい話題があふれているようになればいいなと思いますね」