つんく♂、ハワイ暮らしで見えた“J-POPの弱さ”とK-POPとの違い「僕自身も何かと躊躇」

「TOKYO青春音楽祭2023」(12月26日、東京・初台Doors)を総指揮するつんく♂(55)。現在は一家でハワイに移住し、仕事で日本を往復する日々を送っている。つんく♂が7年に及ぶハワイ暮らしの一端を明かしてくれた。

ハワイでの暮らしぶりを明かしたつんく♂【写真:荒川祐史】
ハワイでの暮らしぶりを明かしたつんく♂【写真:荒川祐史】

12月26日開催の「TOKYO青春音楽祭2023」を総指揮

「TOKYO青春音楽祭2023」(12月26日、東京・初台Doors)を総指揮するつんく♂(55)。現在は一家でハワイに移住し、仕事で日本を往復する日々を送っている。つんく♂が7年に及ぶハワイ暮らしの一端を明かしてくれた。(取材・文=平辻哲也)

 2014年の喉頭がん手術を機に、一家でハワイ移住をしたつんく♂。3年間行ってきた「TOKYO青春映画祭」では「中2」を主人公にした作品を数多く送り出してきたが、自身の子どもたちには双子の長男(15)、長女(15)、次女(12)がいる。

「日本での子育てとは全然違いますね。アメリカの子は自立が早いとも言いますが、違う意味で日本の子の方がしっかりしてる点も多いですね。例えば日本では小学生でも1人で自転車やバスに乗ってどこでも行けますが、ハワイでは保護者が同行しなければならない。その分、いつまでも子どもな気がしますが、あれこれ構いすぎると、『僕たちは僕たちだ』とか『日本の常識か知らないけど、それはこっちでは通用しない考えだよ』と子どもたちから言われてしまう(笑)。確かに彼らの言うことは一理以上に説得力がある。僕らの育ってきた時代感も環境も全く違う。彼らから学ぶことはとても多いですね」

 子どもと過ごす時間は日本では味わえないものだった。

「大変でしたが、思った以上に子どもとの時間が過ごせました。僕も仕事大好きなんで、あのまま日本にいたら、子どもたちは自ら自転車やバス、電車で学校に登校し、部活に勤しんだでしょう。自分は毎日仕事やレコーディングで遅く帰宅して、朝も夜も顔を合わせないすれ違い生活をしてたでしょうね。現在、ハワイで学校へ送迎してても、特に何かをしゃべるわけではありませんが、毎日、顔を見ていられる。そこはよかったな」

 ハワイ暮らしは7年に及ぶ。当初は2、3年をメドと思っていたのだという。

「ハワイで子育てをし始めると、急には日本に戻れないなと思ったんです。日本の方が社会構造が複雑。社会、言語を含めて、アメリカの方がかなりシンプルに出来上がってます。おそらくいろんなタイプの人が共存するための知恵でしょう。その仕組みの中で育ってきたので、子どもたちは簡単には引き返せないなと。映画祭に応募してくる日本の子たちを見ると、『そっか(我が子どもたちと)同い年なんや』と改めて思います。地方から東京まで面接に来るのもなんとかこなすわけで、しっかりとしているというか、ある種立派です。うちの子どもも映画祭に興味は持っていますが、今は動画のSNSに夢中。ネット社会の中において、いじめがないわけではないが日本のようなものとは違う。SNSの危険性は子どもたちもよくわかっていて、リスクがあることを承知の上で自分をアピールしているようにも思います。そこは大人が干渉出来ない自分たちの世界なのかもしれない」

 ハワイを基盤に日本を往復する生活。ハワイではどんな日々を送っているのか。

「朝、妻が弁当を作ってる間に、子どもたちを起こして準備。車で20~30分かけて学校に連れて行く。それが終わって、帰宅すると、書き物したり、曲を作ったり。スタッフも居ないしレシートをまとめたり事務処理もします。そんなこんな用事を済ませると、午後からは日本とオンライン会議をします。2~3時間も経つと、あっという間に子どもを迎えに行く時間といった感じです。大変なのは、オンラインサロンの配信。日本時間の夜に始まるので、ハワイではめっちゃ朝。午前3時に起きて、4時から始めるので、毎回、起きられるかな、と不安になります(笑)。思えば、海にはあまり行きません」

 ハワイに行ったことで人生観や仕事に変化はあったのだろうか。

「いいところも悪いところも見えた。世界でのJ-POPの弱さも見えた。それは、作品力ではなく、ビジネスとしての繋がりの弱さ。これは(ガラケーと言われた)ケータイと同じなのかも。国内市場でなんとかなっていたから。日本の音楽界はYouTubeに躊躇していたし、サブスク配信にも慎重だった。当時、K-POPはYouTubeに上げることを躊躇しなかった分、拡散が早かったですね。もちろん作品も面白かったし。今となってはもっともらしく分析したようなことが言えるけど、あの頃は僕自身も何かと躊躇してましたよ」

 一般的に作詞家、作曲家はCDやカラオケの売り上げから著作権印税として受け取れることになっているが、YouTubeからも再生回数に応じた広告料と著作権使用料が入る。

「YouTubeでは、1回何銭という現実にはないお金になってしまう。例えば、1000万回回転しました、と言っても、10万円程度しかもらえない。今はカラオケも1時間200~300円でドリンク付き。コロナ以降はその絶対数も減ったと思います。そういう現状からどうマネタイズされるのか。作家に入る印税の類は感覚的に全盛期の10分の1から20分の1くらいだと思います」

 米津玄師の『KICK BACK』が日本語詞として初めてアメリカレコード協会からゴールドディスク認定を受けた。自身が作詞・作曲・プロデュースを担当した『そうだ! We’re ALIVE」がサンプリングされていることから、つんく♂も表彰の対象となった。

「僕にも盾が届き、驚きと同時にとても嬉しく思いました。アメリカでの評価はとても励みになりました」と話す。

 作詞作曲家として2000曲以上を世に送り出したが、「モーニング娘。が始まった頃は今の倍は忙しかった。曲は突然、湧くといったことはないので、ほぼ毎日、ひたすら作る感じ。それが当たり前の日常のリズムだったので、苦と感じたことはなかった」と振り返る。

 ハワイでは8月にマウイ島での大規模な山火事が発生し、物価の高騰を感じるという。

「島なので、もともとなんでも高かったが、一段と物価高が進んだかな。円安の影響も大きいですね。ハワイで外食は、ランチだとしても2000円以上はする。でも、それはアメリカだけなく、海外ではどこでも変わらないと思います。日本がまだまだ安いんですね。」

 10月29日に誕生日を迎え、55歳。還暦も見えてきた。

「順番や段取りを考えすぎたら、ダメだなと思っています。20歳すぎに上京したけど、その時、偉かった人は今でも偉いままで元気です(笑)。あの頃の芸能界のお偉方々40~50歳だったと思いますけど、今の僕はその年齢をとっくに超えているやん! 待っていたら、ダメだぞ、と思いますね。どんどん仕掛けていかないと」。今後もハワイを拠点にクリエイティブ活動を続けていく。

□つんく♂ 1968年10月29日、大阪府出身。1988年シャ乱Qを結成。92年にメジャーデビューし4曲のミリオンセラーを記録。その後、日本を代表するボーカルユニット・モーニング娘。をプロデュースし大ヒット。代表曲『LOVEマシーン』(99年)は176万枚以上のセールスを記録。ハロー!プロジェクトを始め、数々のアーティストのプロデュースやNHK Eテレ『いないいないばあっ!』を含む数多くの楽曲提供、サウンドプロデュースを手掛け現在ジャスラック登録楽曲数は2000曲を超える。プロデュースした任天堂のゲームソフト「リズム天国」シリーズは全世界累計販売本数500万本以上のヒットとなる。著書に「凡人が天才に勝つ方法」(東洋経済新報社)。

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