一青窈、30年間の社会貢献活動 「歌でミラクルは起こせない」それでも続けてきたワケ
歌手の一青窈が18日、社会貢献活動に取り組む国内のアスリートやアーティストを表彰する『HEROs AWARD 2023』でアーティスト部門賞を受賞した。若くして両親をがんで亡くした経験から、児童養護施設や病院でのチャリティーライブ、子ども宅食や子ども食堂への食材寄付、環境問題をテーマとしたイベントへの参加など、さまざまな社会貢献活動に取り組んできた。授賞式後、本人に同活動への思いを聞いた。
活動が評価され、『HEROs AWARD 2023』を受賞
歌手の一青窈が18日、社会貢献活動に取り組む国内のアスリートやアーティストを表彰する『HEROs AWARD 2023』でアーティスト部門賞を受賞した。若くして両親をがんで亡くした経験から、児童養護施設や病院でのチャリティーライブ、子ども宅食や子ども食堂への食材寄付、環境問題をテーマとしたイベントへの参加など、さまざまな社会貢献活動に取り組んできた。授賞式後、本人に同活動への思いを聞いた。(取材・文=福嶋剛)
――『HEROs AWARD 2023 アーティスト部門』を受賞。率直な感想は。
「『やってきて良かった』と賞に感謝しております。困っている人、ちょっと心が沈みかけている人、膝を抱えて泣いている子どもを見かけたら、『これを使ったら前に進めるかもしれないですよ』という思いでやってきました。水泳に例えると、ビート板です。泳ぎを教えてあげることは難しいけれど、ビート板なら渡してあげられる。そう思ってコツコツとやってきたことを評価していただき、今はとてもうれしいです」
――社会貢献活動で大切にしてきたことは。
「当たり前のことですが、『ウソをつかないこと』です。人ってどこかで他人より大きく見せようとする気持ちがあると思うのですが、できないのに『できる』と言ってはいけないと言い聞かせて、ウソをつかずに一人ひとりと向き合うように心がけてきました」
――表彰式では『もらい泣き』を歌いながら、ステージでしゃがんでみたり、会場を回って参加者の肩にそっと手を置いたり、観客の目線に合わせながらパフォーマンスする姿が印象的でした。
「私にとって大勢の人の前で歌うこともたった1人の前で歌うことも思いは一緒です。もともと大学生の頃に障がいを持った仲間たちとバンドを組んでいました。全国行脚した時に目や耳に障がいを持った人には薄い風船を膨らませて顔を近づけてもらい、そこから伝わる振動を通して歌を届けてみるとか、いろいろな工夫をしていました。その経験は、ライブで見せるちょっとオーバーなパフォーマンスや歌い方にもつながっていると思います」
――歌や音楽が誰かに力を与えていると。
「そう思います。でも、私の歌がミラクルを起こせるなんて考えたことはありません。亡くなった私の母親は抗がん剤治療で苦しんでいるとき、音楽が元気にさせてくれました。ある病院を訪問した際、がん患者さんだけじゃなくて看病で疲へいしているご家族のみなさんから『音楽を聴いて、涙が出てきてスッキリしました』という感想をいただきました。
『怖い』と思っていた小児科の先生が、『僕、実はクラリネットをやっているんですよ』と言って初めてこの子どもの前でコミカルな一面を見せたら『子どもが笑ったことで心拍数が上がり、手術を受けられるようになりました』とか。たまたまそういう場面に出会ってきただけなんです。それでも、歌うことで誰かの役に立っているならば、『これからもずっとこの活動を続けていきたい』と思いました。私が歌えなくなった時には、次の誰かが出てくると思います」
――社会貢献活動を始めてみたいという人たちにアドバイスを。
「社会貢献は誰かのことじゃなく、自分のことだという意識がすごく大事だと思います。今、世界で起きているさまざまな出来事だって自分事にならないとニュースの一部でしかない。それと同じで、いきなり『社会貢献するぞ』と言っても自分事にならないと、行動に移すにはハードルが高いと思います。もし、始めたいと思う人がいたら、友達でもそのまた友達でも構わないので、社会貢献活動に取り組む信頼できる人に話を聞いてみる。それが第一歩だと思います。そして、困っている人や出来事にぶつかったら本音で相手と話してみる。それも大切だと思います」
未来の子どもたちに伝えたいこと
――さまざまな困難にぶつかった時、どうやって乗り越えていますか。
「私は、ものすごく単純で世俗的なんですが、おいしいもの食べるとどんなに辛くても気分が上がる性格なんです。最近は中華料理を奮発して、『フカヒレの姿煮』を食べたら、あっという間に気分が上がってしまいました(笑)」
――次世代の若者や子どもたちに伝えたいことは。
「『自分の好きな行動を見つけてほしい』と伝えたいです。私がなぜ30年もこの活動が続けられたのかというと、『ただ歌が好きだった』。それだけなんです。そして、『歌うという行動が誰かの役に立った』ということでしかないんです。歌や音楽だけでなく、スポーツでも小説を書くことでも何でもいい。誰かに見つけてもらったものではなく、自分自身で好きだと思う行動を見つけられた時、必ずその行動がいつか誰かの役に立つと思います」
――来年の活動は
「今回、賞をいただいたことを機に病院で歌わせていただく機会がもっと増えたら良いなと思っています」
□一青窈(ひとと・よう) 1976年9月20日、東京都生まれ。慶応大卒。台湾出身の父親と日本人の母親の間に生まれ、幼少期を台北で過ごす。2002年、シングル『もらい泣き』で歌手デビュー。03年、第45回日本レコード大賞最優秀新人賞、日本有線大賞最優秀新人賞など受賞。04年、5枚目シングル『ハナミズキ』が大ヒット。『NHK紅白歌合戦』には5回出場。22年にデビュー20周年を迎えた。