【週末は女子プロレス♯132】全身にビッシリ入ったタトゥーは「日本愛」の証 北欧から参戦した謎のレスラー“ハリケーン”とは何者か
「世界中の最強女子を名乗るヤツ、名乗りを挙げてこい!」という朱里の呼びかけに北欧スウェーデンから応えたのが、スカンジナビア・ハリケーンを名乗る未知の選手だった。
ストックホルム出身の39歳・スカンジナビア・ハリケーンの正体は
「世界中の最強女子を名乗るヤツ、名乗りを挙げてこい!」という朱里の呼びかけに北欧スウェーデンから応えたのが、スカンジナビア・ハリケーンを名乗る未知の選手だった。
ハリケーンは、11・18エディオンアリーナ大阪でスターダムに初参戦、朱里との“プロレスvsマーシャルアーツ”異種格闘技戦UWFルールに臨み、試合には敗れたものの、相手よりも先に“プロレス技”(ヘッドシザーズホイップ、シャイニングウイザード)を繰り出すなどして、UFCでの実績もある朱里を困惑させた。そのうえで格闘技の技術も活かした関節技や打撃も披露。その闘いぶりは異色にうつり、その後もスターダムに継続参戦、団体に新しい風景を現出させている。では、北欧からやってきた謎の格闘レスラー、スカンジナビア・ハリケーンとはいったいどんな人物なのか?
ハリケーンはスウェーデンの首都ストックホルム出身で、今回の日本滞在中39歳になった。こういった選手の場合、プロレスと格闘技、どちらへの興味が先に来たのか気になるが、彼女の場合は格闘技だった。格闘技に目覚めたのは12歳の頃で、学校の先生にすすめられて合気道を習い始めたという。その後すぐに居合道を加え、二刀流の稽古に励むようになったとのことだ。
「その先生が合気道を教えていて、アグレッシブな私に『やってみたら?』とすすめてくれたんです。両親は格闘技には興味がなかったので、私も全然知らなかったんだけど、始めてみたら楽しくて、すぐに夢中になってしまいました」
合気道、居合道にとどまらず、ボクシング、キックボクシング、柔術、空手にも手を伸ばした。さまざまな格闘技を学んでいた彼女は、2007年、合気道の稽古のため日本にきたことがあるという。当時は10人ほどのグループで、1か月半ほど東京に滞在。そこで初めて日本の文化に直接触れた。13年にはキックボクシング、18年には空手で国際大会に出場し、経験を積み重ねた。
プロレスとの本格的な出会いはかなりあとになってから。それまで何度かストックホルムで開催されたローカル団体の大会に足を運んだことはある。が、自分でやってみたいとの気持ちにはならなかった。格闘技とプロレスはまったくの別物との意識があったからだ。
ところがある日、ひとりの友人から「プロレス団体のトライアウトに行くから一緒に来てほしい」と声をかけられた。有人の彼女はプロレスラー志望。そこで何気についていくと、ハリケーンの方が合格を言い渡されたから驚いた。とはいえ、多くの格闘技を経験している彼女の方が目立つのも、当然と言えば当然だろう。
そして18年6月、ストックホルムの団体でプロレスラーデビュー。しばらくはスウェーデン、デンマーク、ベルギー、フィンランドのリングに上がり、20年から21年の1年半にかけてはコロナ禍で試合をする機会から遠ざかってしまったものの、22年にイギリス、オーストリア、ドイツに活動範囲を広げた。格闘技の道場にも並行して通い続けていたとはいえ、プロレスが生活の中心に移行していったのだ。では、格闘技からプロレスへの転向に戸惑いはなかったのか。そして双方にはどのような違いがあると感じたのだろうか。
「確かに、最初は戸惑いもありました。でも、試合に入り込む気持ちは、プロレスも格闘技も変わらないですよ。ただ、違いがあるとしたらこういうことが言えると思う。勝つことにフォーカスするのが格闘技。団体戦ならチームのためだし、とにかく格闘技は勝つために何をするか、勝つことに集中するのが格闘技だと思いますね。プロレスには、格闘技とはまた違うオーラがあると私は考えています。もちろん試合には勝ちたい。勝ちたいけれども、まずはベストなパフォーマンスをすることが求められる。プロレスの試合って、その日のその会場の観客によっても変わってくる。
観客として見に行ったときに感じたのがファンのエネルギー、リング上のアクションに対するリアクションでした。プロレスではそれを自分の力に変換できる。そのレスリング体験がすごく楽しかったという記憶があるし、実際にプロレスをやってみて、それをよりいっそう感じてますね。プロレスってパズルみたいで、いろいろなピースを足して完成させていくものだと思います。その中に格闘技も含まれていて、私の場合、とくにキックボクシングと柔術が役立っているような気がします。プロレスはオーディエンスによって変わってくるので、二度と同じパズルをやることはない。なので、ずっと格闘技をやってきた私にとってプロレスはすごく新鮮で、大きなチャレンジでもあるんです」
「私が知っている日本の言葉はほとんどがアニメからのもの」
日本では11・18大阪での朱里戦以後、飯田沙耶、琉悪夏、HANAKO、テクラとプロレスルールでシングルマッチをおこない、12・2名古屋ドルフィンズアリーナでは高橋奈七永と再び異種格闘技戦UWFルールで闘った。さらに12・3和歌山では朱里率いるゴッズアイに合流。ここから先はユニット戦が主流となり、クイーンズクエスト(林下詩美&上谷沙弥&AZM&天咲光由組)、ドンナ・デル・モンド(ジュリア&舞華&桜井まい組)、STARS(葉月&羽南&飯田組)などと対戦。12・9大阪ではメーガン・ベインとの超異色シングルマッチも実現し、12・10神戸では4対4のイリミネーションマッチを初体験。
敗者が次々と脱落していくこの試合ではゴッズアイのアンカーとなり、スターライト・キッドとの一騎打ち状態まで試合がもつれた。ここではキッドのハイスピードとハリケーンの格闘スタイルがスリリングに融合。最後はキッドがフォール勝ちをおさめたとはいえ、シングルマッチとして組まれていたら果たしてどうなっていただろうか。また、ジュリアや舞華はスタイルの異なる新顔に興味津々で、積極的にハリケーンとの闘いに臨んでいった。
ヨーロッパでは別名で闘っているハリケーン。このリングネームは日本向けのものだが、合気道から格闘技をスタートさせた彼女には、もともと日本への興味があり、いつか日本で試合をしたいとの夢を持っていたという。その表れが全身に施されたタトゥー。これを見てみると、日本の絵画をモチーフにしていることがわかるだろう。また、今回の来日が運命的にも見えてくる。
「スウェーデンではタトゥーをアートとして見ていて、私のそれはジャパンのアートから影響を受けています。ジャパンのアートのほか、ジャパンのアニメーションも好きで、私が知っている日本の言葉はほとんどがアニメからのものなんですよ(笑)」
ハリケーンがゴッズアイ入りを宣言したとき、「いままで一人で闘ってきましたが、それも長すぎたと思います。そして気づきました。私にはナカマが必要だったのだと思います」とマイクアピール。「ナカマ」の部分が日本語で、朱里やゴッズアイのメンバーから教わったのではなく、漫画&アニメの『ONE PIECE』でおぼえた言葉が自然と口から出てきたのだった。
日本に慣れるにしたがって、彼女のカラーである格闘ベースの技術に、スイングDDTやトペスイシーダなどプロレスならではの技がスムーズに組み込まれていった。初来日の2カ月前には短期ながら初のアメリカ遠征も経験した。格闘技26年、プロレス5年半。遅咲きではあるが、プロレスでのキャリアはこれからが本番か。今回の来日は12・17新潟でいったんピリオド。スターダムのリングに新風を吹き込んだだけに、さらに大きくなっての再来日に期待したい。