力道山死去から60年、昭和、平成、令和まで…日テレが70年のプロレス史を“一気見”できるイベント開催
日本プロレスの父・力道山が亡くなったのが1963年(昭和38年)の12月15日。稀代の英雄は酒席のいざこざから腹を刺され入院中に不慮の死を遂げてしまった。日本中に衝撃が走った大事件から、今年でもう60年になる。
毎週金曜日午後8時更新 柴田惣一のプロレスワンダーランド【連載vol.175】
日本プロレスの父・力道山が亡くなったのが1963年(昭和38年)の12月15日。稀代の英雄は酒席のいざこざから腹を刺され入院中に不慮の死を遂げてしまった。日本中に衝撃が走った大事件から、今年でもう60年になる。
力道山は日本にプロレスを紹介し、自ら大車輪の大暴れ。プロレスをプロ野球、大相撲と並ぶ人気スポーツに育てあげた。戦後からの復興を目指す世相と相まって外国人選手を空手チョップでなぎ倒すファイトは、多くの日本人を勇気づけた。
現在の日本の礎となった力道山の功績は語りつくせないが、その勇姿が見られるイベント「プロレス中継70年史 THE日テレプロレス」が来年2月9日、東京・後楽園ホールで開催される。
日本テレビが所蔵するプロレス映像が披露されるが、力道山が大暴れする名シーンも含まれている。シャープ兄弟とのタッグマッチ、ルー・テーズやザ・デストロイヤーらとの死闘は、昭和史を語る上で欠かせない貴重な資料でもある。
一般家庭にテレビが普及する前、街頭に設置されたテレビには、力道山の勇姿が映し出された。黒山の人だかり。そしてプロレス中継を目当てに、そば屋のテレビに客が押しかけ、そば代も跳ね上がった。戦後の復興の精神的支柱が外国人選手をやっつける力道山だったのだ。
日本プロレス時代の若き日のアントニオ猪木も飛び出すはず。ジャイアント馬場と猪木のBI砲の貴重な連係プレーも見られる。
1972年からはジャイアント馬場が設立した全日本プロレスを中継。テリー・ファンクやミル・マスカラスが外国人ながらファンのハートをガッチリつかんだヒーローや、悪党人気を誇ったアブドーラ・ザ・ブッチャーらのファイトもリストアップされている。オールドファンにとってはまさに涙ものの映像である。
平成になると三沢、川田利明、小橋建太、田上明の四天王プロレスを追いかけ人気を呼んだ。
ちなみに「四天王」と初めて称したのは、1993年5月21日、北海道・札幌中島体育センターの決戦を伝えるスポーツ紙だった。
三沢がスタン・ハンセンを下し三冠王座を防衛し、川田がスティーブ・ウイリアムスを、小橋がテリー・ゴディを、田上がダニー・スパイビーを揃って下している。
当時の外国人4強を退けた全日勢を「四天王誕生」と書いたのは私だが、その後の日テレ中継でも「四天王」と連呼され、定着したのは嬉しい限り。今では「プロレス王」と呼ばれるようになった鈴木みのるの代名詞「世界一性格の悪い男」と並んで記者冥利に尽きる。
「日本テレビの70周年はプロレス中継が欠かせない」
馬場亡き後は、三沢光晴が立ち上げたノアをオンエアした日テレだが、今現在はプロレス中継から引いている。とはいえ、令和のプロレスへの思いも強い。2・9決戦では、全日本、ノアの両団体の試合を組む。「盛り上げ隊長」に名乗りを上げた全日本・宮原健斗は「今のプロレス、ファイトを見てほしい」と声を張り上げる。ノア・丸藤も「いつも通り、自分をお見せしたい」と、これまた自信満々だ。
2・9決戦の立会人を武藤敬司、小橋が務め、大仁田厚、渕正信、川田らが来場。トークバトルも繰り広げられる。
力道山から始まる70年の日本プロレス史を楽しめる2・9決戦。イベントの推進者である高橋利之・日テレ執行役員は「日本初の民放テレビ局、日本テレビの70周年はプロレス中継が欠かせない。現在のプロレスファンには、昭和、平成のプロレスを楽しんでいただき、古くからのプロレスファンには今のプロレスを見ていただきたい。双方の橋渡しができれば。日時は未定だが地上波で放送予定」と熱く訴える。
力道山から令和のプロレスへ。選手もファイトスタイルも変わった。だが、変わらない闘いの熱さは今も受け継がれている。2・9決戦が早くも楽しみだ。(文中敬称略)