“アダモちゃん”島崎俊郎さんを『ひょうきん族』戦友が追悼…ビートたけし、ラサール石井、西川のりお

お笑いタレントの島崎俊郎(しまざき・としろう)さんが6日、急性心不全のため亡くなったことが7日夜、分かった。68歳だった。葬儀は近親者のみで行われる。島崎さんはお笑いトリオ・ヒップアップのメンバーでブレークし、1980年代にフジテレビ系『オレたちひょうきん族』などでは、『アダモちゃん』のキャラクターで人気だった。同番組で共演したビートたけしらが、追悼コメントを発表した。

島崎俊郎さんが急性心不全のため死去した【写真:ケイダッシュステージHPより】
島崎俊郎さんが急性心不全のため死去した【写真:ケイダッシュステージHPより】

6日、急性心不全で死去

 お笑いタレントの島崎俊郎(しまざき・としろう)さんが6日、急性心不全のため亡くなったことが7日夜、分かった。68歳だった。葬儀は近親者のみで行われる。島崎さんはお笑いトリオ・ヒップアップのメンバーでブレークし、1980年代にフジテレビ系『オレたちひょうきん族』などでは、『アダモちゃん』のキャラクターで人気だった。同番組で共演したビートたけしらが、追悼コメントを発表した。

 たけしは自身の公式サイトに「島崎君のことはあまりにも突然のことなので、なんと言っていいかわかりません」とつづった。島崎さんの関係者も「最近まで変わった様子はありませでした」と証言。文字通り、突然の訃報だった。

 島崎さんは高知県生まれで京都府育ち。18歳だった1973年に上京し、78年、クレイジーキャッツの付き人4人に川上泰生を加え、コントグループのサンズンズを結成した。翌79年には、サンズからともに脱退した川上に故小林すすむさん(2012年5月16日に死去)を加えてヒップアップとしてリスタートした。80年にはフジテレビ系『笑ってる場合ですよ!』のコーナー『お笑い君こそスターだ!』で優勝。当時の漫才ブームに乗ってブレークした。

 ボケ役だった島崎さんは85年2月2日、『オレたちひょうきん族』に出演。たけしを主人公にしたコントコーナー『タケちゃんマン7』で、アダモちゃんの基となるマネー島崎として登場。以降、「ペーイ」と叫びながら暴れ回る謎のアフリカ原住民「アダモステ」となり、強烈なキャラクターを手にした。その後、たけしがメインの日本テレビ系『元気が出るテレビ!!』の体を張ったリポーター芸を披露。島崎さんがリポートし、寝込みのアイドルなどの宿泊部屋にバズーカを打ち込む『早朝バズーカ』も話題になった。

『オレたちひょうきん族』で共演していたラサール石井はXを更新し、「松村くんから連絡。島崎俊郎が亡くなった。同い年ひょうきん族の戦友。毎週楽屋に寝そべり、メイクさんに呼ばれてアダモちゃんになり、また寝そべる。後ろ姿を忘れられない」と回顧。その上で「いつ終わるか知らされないまま結局6年以上続いた。毎回台本には『アダモちゃん登場』しか書かれていなかった。合掌。ペイ!」と、島崎さんがアドリブでアダモちゃんを続けていたことを明かした。

 同じく『オレたちひょうきん族』で共演していた西川のりおは所属事務所を通じて、コメントを発表。「大ショックだよ俊ちゃん。漫才ブームの時からひょうきん族で一緒になった俺達は戦友だよ。2年前片岡鶴太郎、鶴ちゃんと3人でうけた雑誌の対談の時ひょうきん族時代の話で盛り上がり楽しかったね」と振り返った。そして、「俊ちゃんがアダモちゃんで、俺がオバQだった頃が俺達の青春時代でした。俊ちゃんアダモちゃんお疲れ様」とつづった。

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