上福ゆきの波乱万丈な30年、準ミス東洋→芸能界入りもRQはクビ…ギャラ飲みの日々に訪れた岐路
モデル、タレントしても活動する人気プロレスラーの上福ゆきが30歳という節目にファースト写真集『脚罪(きゃくざい)』を発売した。173センチの長身とスリムで長い足を生かした必殺技を武器に「かみーゆ」という愛称で親しまれているが、子どもの頃から体格にコンプレックスを持ち、人とは違う自分だけの生き方を模索してきた。そこで前編後編の2回にわたり、上福に半生を振り返ってもらった。1回目は彼女の生い立ちや大学生の時に起きたミラクルな出来事について。
東京女子プロレス・上福ゆきが振り返る波乱の30年・前編
モデル、タレントしても活動する人気プロレスラーの上福ゆきが30歳という節目にファースト写真集『脚罪(きゃくざい)』を発売した。173センチの長身とスリムで長い足を生かした必殺技を武器に「かみーゆ」という愛称で親しまれているが、子どもの頃から体格にコンプレックスを持ち、人とは違う自分だけの生き方を模索してきた。そこで前編後編の2回にわたり、上福に半生を振り返ってもらった。1回目は彼女の生い立ちや大学生の時に起きたミラクルな出来事について。(構成・文=福嶋剛)
東京女子プロレス所属、プロレスラーの上福ゆきです。このたび11月に初の写真集『脚罪(きゃくざい)』を発売しました。今年で30歳になり、何か1つでも「自分の生きた証」や「ありのままの今の自分」を写真集で知ってもらいたいと思って制作しました。そんな私の30年間をこれから紹介します。
私は会社員の父、母、3歳上の姉がいるごく普通の家庭に生まれました。でも生まれた時から4000グラムもあって、小さい頃からほかの子より大きかったんです。背も高かったし、声も低くて女の子っぽくなかったから、小学生の頃は授業中に地震が起きると「上福が転んだ」といじめられて、自分の体格や容姿にずっとコンプレックスを持っていました。20歳までハイヒールを履くのも嫌でしたね。
人見知りで周りと同じことをするのが苦手だったので母親に勧められて習いごとをやってもすぐに投げ出してしまう子でした。姉と書道の1日体験に行ったら嫌になってすぐに1人で帰っちゃうし、ピアノも全然ダメ。中学の部活はテニス部に入ったんですが「テニスの王子様」が流行ってコスプレの子が出てくると『こいつらと一緒は無理だわ』と言って辞めました。それで中学生の頃は地元・藤沢市(神奈川)で結構ふざけてヤンチャしていました。
そんな私を見かねた父が「日本に置いといたら危険だ」と転勤先のアメリカのオハイオ州に家族で行くことになりました。ところが当時はアジア人なんてほとんどいなくて大げさに言うと白人が99パーセントの場所だったので学校でもいじめられたし、お城みたいな家に住むお金持ちの同級生のガレージに行くとフィリピンから逃げてきた家族が住んでいたり、日本じゃ考えられないような露骨な貧富の差を目の当たりにしました。
親がお金を持っていないとできないスポーツもいっぱいあるという現実も知ってアメリカンドリームという言葉がありますけど本当にこの国で生きていくには仕事、お金、名誉がないとダメだし、雲の上の存在にならないと人生は変えられないという社会のリアルを14歳で感じました。それで『日本に帰って自分の力で何か動いてみよう』と思い、高校3年の夏に日本に帰ってきました。もう1つ理由があって、一度でいいからギャルをやってみたかったんです(笑)。
大学に進学すると『何か1つでもいいから足跡を残したい』と思い、通っていた東洋大学のミスキャンパスに応募しました。体格のコンプレックスを強さに変えるのも自分次第だと思い、堂々と生きるきっかけを見つけたかったんです。と言っても投票数で決まる大会なのに友達もいないし、サークルにも入ってないから最初は誰も投票してくれる人なんていませんでした。
当時は巣鴨に住んでいて授業のない昼間は近くに3軒くらいあったパチンコ店を回ってスロットがめちゃくちゃ得意だったのでずっと打っていました。隣のおじいちゃんおばあちゃんが困っていたら目押しで当たりを出してあげたり、世間話を聞いてあげたりして、いつも商店街をうろうろしていたらいつの間にか私の噂が広がって「巣鴨のスーパースター」って呼ばれるようになりました(笑)。
それでおじいちゃんから「あんた何やってるの?」と聞かれて「大学に行ってるんだけど今度ミスコンの大会があってさ」と言ったら大会当日、客席は巣鴨のおじいちゃんおばあちゃんで一杯になり「あの3番の子にいれるんだよ」って話す声がこっちまで聞こえてきました(笑)。結果、巣鴨の人たちの組織票で私は準ミス東洋とスポンサー賞を獲得するという当たりを引かせてもらいました。そんなミラクルが起きたことで私の道も大きく開きました。
スロット番組出演で起きたハプニング
スカウトされて最初の芸能事務所に所属しました。ところが愛層を振りまくことが苦手でゴマすりなんか絶対できない性格なので仕事もなく、レースクイーンをやってもすぐにクビになりました。仕事は真面目にやるんだけど車については全然興味がなくて、「だいたいどこのチームも同じくらい速い」とかいけないことを言っちゃって、自分が目立ちたいという気持ちも全くなかったので、レースが終わった後の関係者さんとの飲み会は死ぬほど嫌で「早く帰りたい」と言って、クビになりました。
そのあとスロットを回すテレビ番組の仕事が入ってきました。「上福はスロットが得意らしいぞ」という噂が事務所に伝わったんだ思います。実はミスコンのあと、スロットを打っていたらお姉ちゃんから何度も着信が入り、もう少しで天井(=大当たり)だったので無視していたらおじいちゃんが亡くなったという知らせでした。その出来事がトラウマになり、スロットをやめました。だからマネジャーに「スロットだけは勘弁してください」とお願いしたんですが、スタッフはそんな事情を知らず「とりあえず行って」と言われてスロットを回した瞬間に涙が止まらなくなってしまいました。
「スロットで泣くようなタレントにはもう仕事は振れない」と言われ、ふたたび仕事がなくなり、港区でギャラ飲みをする毎日でした。ある時、事務所から今後の進路について話があり、「過激でセクシーな番組とかに挑戦するか、事務所とつながりのある不動産関係の仕事に就くか、それともプロレスラーになるか」と提案されました。プロレスなんて全然知らないんだけどほかに行くところがなかったので「じゃあプロレスやってみます」と軽く答えてしまいました。私のプロレスラーとしてのキャリアはそこから始まりました。
次回はプロレスラーとしての話やファースト写真集についてお話したいと思います。
□上福ゆき(かみふく・ゆき)1993年2月20日神奈川出身。2013年、ミス東洋(東洋大学ミスコン)準グランプリ受賞。レースクイーン、モデル、タレントとしてグラビアなどで活躍。2017年東京女子プロレス(DDT)に所属し、8月東京・後楽園ホールでプロレスデビュー。長身から繰り出すドロップキックと逆水平チョップを武器にインターナショナル・プリンセス王座を獲得するなど実績を上げている。