上福ゆきが人気レスラーへ 173cm長身コンプレックスを武器に変えたありのままの挑戦
11月にファースト写真集『脚罪(きゃくざい)』を発売した人気プロレスラーでタレントの上福ゆきが2回にわたり波乱万丈の30年を振り返る。大柄な体格がコンプレックスだったスロット好きのギャルが思いがけない奇跡から準ミスグランプリを獲得。しかしその後のタレント活動は上手くいかず、最後に待っていたのは想像を超える職業だった。後編はプロレスラーへの道のり、そして30歳を機に初挑戦した写真集『脚罪』への思いを告白した。
東京女子プロレス・上福ゆきが振り返る波乱の30年・後編
11月にファースト写真集『脚罪(きゃくざい)』を発売した人気プロレスラーでタレントの上福ゆきが2回にわたり波乱万丈の30年を振り返る。大柄な体格がコンプレックスだったスロット好きのギャルが思いがけない奇跡から準ミスグランプリを獲得。しかしその後のタレント活動は上手くいかず、最後に待っていたのは想像を超える職業だった。後編はプロレスラーへの道のり、そして30歳を機に初挑戦した写真集『脚罪』への思いを告白した。(構成・文=福嶋剛)
前回は私の生い立ちや得意だったスロットが私の人生を大きく変えた話などをさせていただきましたが、今回はその後の話をしたいと思います。タレント事務所に入り、レースクイーンやモデル、グラビアなどの活動を始めましたが、人に媚びを売るのが大嫌いな性格でどの仕事もすぐにクビになり、私の20代前半は六本木や西麻布でギャラ飲みばかりしている売れないグラドルでした。
アメリカでの生活を通して格差社会の現実を知った時「自ら行動しないと何も変わらない」と分かって日本に戻ってタレント活動を始めたんだけど、結局、その日暮らしの毎日で自分を変えることができませんでした。ギャラ飲みばかりして、ほかのグラドルの子たちがグチグチ言ってるのを聞いていると自分が嫌になり、もしいつか子どもができて「お母さんは昔、港区でお金持ちの人たちといっぱいお酒を飲んでお金もらっていたのよ」なんて言いたくないと思ったので『1日も早くここから抜け出そう』と本気で思いました。
そんな24歳の頃、マネジャーから「過激でセクシーな番組とかに挑戦するか、関係先の不動産の仕事に就くか、プロレスラーになるかの三択から選んで」と言われ、全然知らないけれどプロレスしか選択肢がなかったので、さっそく喫茶店に行き、DDTの社長(高木三四郎)の面接を受けました。
そこで「身長もあるし道場に見学に来なさい」と言われて、今までスポーツなんてやってこなかった私がシューズとジャージを持って見学に行きました。するとリングに上げられて「ここで前転してみて」と言われ、『今日は見学だけでしょ』と思いながら前転したら、「じゃあ次はこれをやってみて」って。みんな優しいし、断ることもできなくて気が付いたら練習が始まっていました。
練習は本当に辛くて始めて3か月くらい経った時、『もう逃げよう』って思いました。今までキレイに見せる仕事ばかりやってきたので見られたくないところも見せなくちゃいけない職業だから抵抗がありました。それで道場の前にある公園のブランコに座りながら『デビューしちゃったら絶対に逃げられないから逃げるなら今だ。逃亡先はおばあちゃんの住んでいる鹿児島にしよう。そこで子どもたち相手に英語講師でもやろうかな』とか真剣に考えました。
でも結局逃げるのを止めました。こんな私のために優しく教えてくださった先輩たちを裏切れなかったし、バイクの免許でさえも「危ないからだめ」と反対するような母親が私のやってきたことを何も言わずに見守ってきてくれたから、『プロレスラーになった私を見て安心させたい』と思い、中途半端な考えを全部捨てました。
3か月後の2017年8月26日、後楽園ホールでデビュー戦を迎えました。でも『やっとリングに立てた』という達成感はあまりなくて、それ以上にお客さんの反感を買ってしまい、すごく落ち込みました。わざわざ物販に並んで「遊びでリングに上がってんじゃないよ」って文句を言いに来るお客さんもいて悲しくなってしまい、親友に相談したら「相手の目に止まっていること自体、良いことなんじゃない」って励ましてくれました。
確かにプロレスって相手がいるから、お客さんは嫌でも推しじゃない相手も視界に入ってくるんです。だから『私を嫌いな人に仕返しをしたかったら、試合で感情をぶつけて必死に戦う姿を見せて振り向かせてやる』という気持ちでリングに上がり続けました。そして初めてのタイトルマッチで敗れて、すごく悔しくて泣きながらリングを降りた時、今まで文句を言ってたお客さんが「よく頑張った」と言って拍手してくれました。『きれいに見せなくてもありのままを見せたらいいんだ』とお客さんに教えてもらいました。
赤井沙希さんから学んだプロとしてのすご味
もともとプロレスに興味がなくてこの世界に入ったので、お世話になっている先輩はいても、いまだに憧れの人はいません。プライベートではアジャコングさんに一番お世話になっていて、私にとって雲1つどころか2つも3つも上の存在で、普段はとても優しくてハートもプロレスも誰よりも強い。動物にたとえるとゾウさんかな(笑)。引退した赤井沙希さんとは東京女子のラストの試合で一緒のリングに立たせてもらいました。沙希さんは最後まで凛としていて、プロとしてのすご味をリングの上で学ばせてもらいました。
プライベートでも仲が良いのはVENY(旧名・朱崇花)です。キャリアは私より2、3年上ですが、トランスジェンダーで悩みも一杯あり、そのたびに相談し合う仲ですが、リングに立つとそんな素振りを1つも見せず、めちゃくちゃカッコ良いんです。親友としてプロ意識を持つ大切さをいつも教えてくれる存在なんです。
リング上では傷跡や鍛えても見えてしまうプニっとしたお腹やお尻の肉、内面の弱い部分までありのままをお客さんに見せてきたので、今年30歳になった節目に『私が生きた証を写真集にしたい』と思うようになり、今はフリーランスで仲間もいないので1人じゃ作れないからSNSで「写真集を作りたい」って投稿したんです。そしたらラッキーなことにその投稿を見てくれたスタッフさんたちと出会って写真集を完成させることができました。
写真集のタイトル『脚罪(きゃくざい)』は、小さい頃からのコンプレックスだった背の高さや足がいつの間にか私の最大の武器になって、リングで相手を蹴ったり踏ん付けたりしてきたので、「罪深い足」という意味を込めました。グラビアのお姉さんの水着写真はエロいけど、私の写真は加工も修正もしてないその辺のお店に飾ってある写真くらいに思ってもらえたら良いです(笑)。女の子だっていつも綺麗でいなきゃいけないなんてないし、お家の中でダラダラしたり、お風呂入んないで寝る時だってあるし。そんな素の私を女性にも見てもらえたらうれしいです。
プロレスは、アジャさんみたい長く続けるのは無理だろうなと思っていて、もしかしたらあと数年で引退するかもしれません。その前に実現させたい夢があって、子どもの頃に住んでいたオハイオで試合がしたいです。あの頃私をバカにしていた同級生を全員招待して、「あいつすごい試合してんな」って感動させたいんです。同時に辛い思いをした過去の自分に「もう大丈夫だよ」って言ってあげたいです。
あとは昔の私みたいな地元の不良たちをプロレスで更生させるようなプロデュースもいつかやってみたいです。「誰かを殴りたいんだったらリングの上でやるとお金になるよ」ってね。
最後に1つだけ懺悔すると未だに田舎のおばあちゃんには、「モデルをやってる」と言い続けています。プロレスラーだと知ったらどうなるんだろう(笑)。
□上福ゆき(かみふく・ゆき)1993年2月20日神奈川出身。2013年、ミス東洋(東洋大学ミスコン)準グランプリ受賞。レースクイーン、モデル、タレントとしてグラビアなどで活躍。2017年東京女子プロレス(DDT)に所属し、8月東京・後楽園ホールでプロレスデビュー。長身から繰り出すドロップキックと逆水平チョップを武器にインターナショナル・プリンセス王座を獲得するなど実績を上げている。