66歳になった初代タイガーマスクのデビューから42年 後世に語られる熱闘になったワケ

初代タイガーマスクこと佐山聡が11月27日、66歳の誕生日を迎えた。現役復帰を口にするなど、まだまだ意気盛んだが、1981年4月23日、東京・蔵前国技館での虎戦士としてのデビュー戦は、いまだ語り草だ。そのファイトは42年を経ても決して色あせない。

ダイナマイト・キッドのことを振り返る初代タイガーマスクは楽しそう【写真:柴田惣一】
ダイナマイト・キッドのことを振り返る初代タイガーマスクは楽しそう【写真:柴田惣一】

柴田惣一のプロレスワンダーランド【連載vol.173】

 初代タイガーマスクこと佐山聡が11月27日、66歳の誕生日を迎えた。現役復帰を口にするなど、まだまだ意気盛んだが、1981年4月23日、東京・蔵前国技館での虎戦士としてのデビュー戦は、いまだ語り草だ。そのファイトは42年を経ても決して色あせない。

 類まれなる身体能力をフル稼働して繰り出した4次元殺法で、プロレス界に革命を引き起こす。見る者すべての度肝を抜き、アニメの世界を見事に実際に披露してくれたのだ。ミラクル戦士・佐山は「彼が相手だったから、ああいう試合になった」と振り返る。まさに好敵手。そう「爆弾小僧」ダイナマイト・キッドの名も燦然とプロレス史に刻まれている。

 キッドは2018年12月5日、60歳で亡くなった。ステロイド剤など薬物接種の後遺症や、激しい闘いのダメージもあって、晩年は車イスで生活していた。闘病する姿がドキュメンタリー映画で紹介されている。「佐山のことなら」と日本のテレビ番組にも出演。家族も「佐山の話をよくしていた」と明かしており、キッドにとっても佐山は永遠のライバルだった。

 激動の人生そのもの。1975年にイギリスでデビュー。カナダ・カルガリー地区に転戦し、注目を集めるようになった。日本には79年、国際プロレスに初来日後、新日本プロレスに登場し、初代タイガーマスク戦でその名をとどろかせた。

 命知らずのダイビング・ヘッドバット、スピード感あふれるブレーンバスター、ツームストーン・パイルドライバー……とにかく速く、的確で無駄のない技を次々と繰り出した。今、振り返ってみても魅力あふれるプロレスラーだった。

 米WWEでもデイビーボーイ・スミスとのブリティッシュ・ブルドッグスで世界タッグ王座を獲得するなど大活躍。日本そして世界マットで暴れまわった。仲間内では紳士と伝えられたが、リングを離れてもファンに厳しいスタンスを貫いていた。サインも握手も写真撮影も拒否。氷のような表情で「ノー」あるいは無視。子どもにも容赦しない。「ファンの頃、差し出した色紙を破られた」という声が、その後スーパースターとなった選手からも聞かれた。

 取材にもつれなかった。インタビューは団体サイドの後押しがなければ実現しなかった。「狂虎」タイガー・ジェット・シンのように、サーベルで襲ってきたり、キックを放ってはこなかったが「ゲラ、アウェー!(あっち行け)」と何度も追い払われてしまった。根負けしたのか、やっと取材に応じてくれたときはホッとした。

 84年暮れには新日本から全日本プロレスに電撃移籍し、驚かせている。91年のプロレス大賞では外国人選手では珍しく、特別功労者賞を贈られた。日本では「外国人選手は悪党」というイメージを大切にしていたのだろうが、ファンサービスしている様子を目撃した貴重な経験がある。

 いつものように群がるファンに、冷たくあしらっていたが、急に笑顔になった。車イスの少年を見つけたのだ。何とキッドの方から駆け寄り握手。笑みを浮かべながら何やら話しかけている。車イスの少年の顔がパッと明るくなった。ただし、踵を返した途端にいつものクールなキッドに戻っていた。

 キッドの素顔を垣間見た気がして、その日の記事はペンが進んだことを思い出す。(文中敬称略)

次のページへ (2/2) 【写真】ダイナマイト・キッドが主役のポスター
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