中村勘九郎、父・勘三郎さん亡き後は「感謝と悔しさの13年間」 十三回忌追善にしみじみ
歌舞伎俳優の中村勘九郎と中村七之助兄弟が28日、都内で行われた十八世中村勘三郎追善興行合同取材会に出席し、2012年に亡くなった父・十八世中村勘三郎さん(本名・波野哲明)に対する思いを語った。
弟の功績を称える勘九郎「七之助は本当に親孝行したな」
歌舞伎俳優の中村勘九郎と中村七之助兄弟が28日、都内で行われた十八世中村勘三郎追善興行合同取材会に出席し、2012年に亡くなった父・十八世中村勘三郎さん(本名・波野哲明)に対する思いを語った。
勘九郎は、「十三回忌……なんかね、十三回忌ってねぇ……早いですよね。あっという間というか、いなくなっちゃって13年もたっちゃってるのか」としみじみ。勘三郎さんが亡くなった後は兄弟2人で中村屋を引っ張ってきたが、「やっぱり、大変でした。悔しい思いもいっぱいしました。57歳で逝ってしまって。僕らはまだ30歳にもなっていなかったんで」と当時の気持ちを明かした。「父がいたからいろんな役もできましたし、いろいろな劇場に呼んでもらえた。平成中村座やコクーン歌舞伎、赤坂大歌舞伎など、父が残してくれたものでいろんなチャレンジができました。でもこれは僕たちの発信ではなく、会社の人たちや、父のことを本当に愛してくれた人たちが『哲明さんのためだったら』という思いでやってくれた。感謝と悔しさと、という13年間でしたね」と、振り返った。
七之助も、「兄弟で初めて父が残してくれた宝物を演じる時、『あぁ、父はこれくらいのプレッシャーの中、これくらいの気持ちで一日一日を生きていたんだな』とつくづく感じて、生きている時に気づいてあげられなかったのはとっても悔しいし、ふがいない」と明かした。「でもこの気持ちを大切に、父が愛した歌舞伎に向き合って生きていく。父や先輩が残してくれたものを体で体現することが使命。この気持ちを、次の後輩たちに伝えていくことも歌舞伎役者の人生だと感じるようになりました」と語った。
天国にいる勘三郎さんに「褒めてもらえるようになったところ」を聞かれると、勘九郎は「なんだろうねぇ……」と目を細め、「本当にありがたいことに、父がいろいろなものを残してくれたくれたので、平成中村座では(初めて)新作もできた。父がやっていなかったことを中村座でできた時は、父もうれしがっているんじゃないかな」と思い返した。また、5月に行われた平成中村座姫路城公演では、夜の部で七之助が務めた『天守物語』の富姫役を指導した歌舞伎俳優の坂東玉三郎がカーテンコールに立ったといい、「玉三郎のおじさまが中村座の舞台に立ってくださった。これは父の時にはかなわなかったので、喜んでくれているんじゃないか」と語った。また、「富姫ができるような役者になったのですから、七之助は本当に親孝行したな」と弟の功績を称えた。
七之助も、「巡業で昔ながらの小屋をまわるというのも、父が襲名の時に考えて始まったもの。父が『こうやってやればお客様が面白がって、うれしがるだろうな』という思いを、未だに私達も消えることなく継続していることは、褒めてくれると思います」と語った。
追善興行は、24年2月に歌舞伎座「猿若祭二月大歌舞伎」、3月には初代勘三郎生誕の地とされる愛知県名古屋市中村区で「名古屋平成中村座 同朋高校公演」として行われる。その後も、「陽春歌舞伎特別公演」「春暁歌舞伎特別公演」「錦秋歌舞伎特別公演」「三島村歌舞伎」と、次々に全国巡業や芝居小屋での公演が行われる。