伊集院静さん、73歳で死去 最期は妻の篠ひろ子だけが側に…「主人のわがままをお許しください」

直木賞作家の伊集院静(いじゅういん・しずか)さん(本名西山忠来=にしやま・ただき)が24日、亡くなった。73歳だった。妻で俳優の篠ひろ子(75)が、「いつもお世話になっております皆様へ」と題し、本名の西山博子でコメントを発表した。

伊集院静さんが亡くなったことが分かった(写真はイメージ)【写真:写真AC】
伊集院静さんが亡くなったことが分かった(写真はイメージ)【写真:写真AC】

10月27日に「肝内胆管がん」を公表

 直木賞作家の伊集院静(いじゅういん・しずか)さん(本名西山忠来=にしやま・ただき)が24日、亡くなった。73歳だった。妻で俳優の篠ひろ子(75)が、「いつもお世話になっております皆様へ」と題し、本名の西山博子でコメントを発表した。

「突然のご報告となりますが、11月24日伊集院静は永い旅に出てしまいました。かねてより肝内胆管がんの治療をしておりましたが、残念ながら回復に至りませんでした。自由気ままに生きた人生でした。人が好きで、きっと皆様に会いたかったはずですが、強がりを言って誰にも会わずに逝ってしまった主人のわがままをどうかお許しください。最期まで自分の生き方を貫き通した人生でした。私たちに寄り添って2人だけの時間を作って下さった皆様、そして応援してくださったファンの皆様に心より礼を申し上げます。ありがとうございました」

 伊集院さんは10月27日、同月初旬に「肝内胆管がん」と診断され、治療のために当面の間は執筆活動を休止することを書面で発表していた。公式サイトでも「治療に専念するため、当面の間、執筆作業を休止させていただきます。療養期間中はどうか温かく見守って頂けますと幸いです」と伝えていた。取材によると、篠の言葉通り、伊集院さんは病状が悪化しても身内や親しかった人に知らせることを望まず、篠だけが側にいた状況だったという。

 伊集院さんは山口・防府市で生まれ、進学した立教大では野球部に入部(肘を壊して退部)。卒業後、広告代理店勤務を経てフリーの演出家に転じ、CMディレクター、コンサートなどの演出を手掛けていた。1981年には『皐月』で作家デビュー。92年には『受け月』で直木賞を受賞した。

 作詞家としては、近藤真彦の『ギンギラギンにさりげなく』『愚か者』、KinKi Kidsの『やめないで,PURE』などを提供。マージャン、競輪などを好むギャンブラーとしても知られた。私生活では、一般人の妻との結婚、離婚を経て俳優の夏目雅子さんと84年に再婚するも、1年あまりで夏目さんは「急性骨髄性白血病」で死去。92年に篠と3度目の結婚をし、96年には篠が生まれ育った仙台市に転居した。

「最後の無頼派」とも呼ばれ、エッセー『大人の流儀』シリーズはベストセラーになり、『機関車先生』『いねむり先生』は映像化された。大学の途中まで続けた野球やゴルフへの愛は深く、関連の著作も残している。

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