極貧生活、下着泥棒、いじめ…高橋凛、苦難の時代を激白「お菓子も買えなかった」

7年ぶりに写真集『抱いて』(ワニブックス刊)を発売した高橋凛(33)。2022年には「那須川天心VS武尊」でラウンドガールを務め、話題を集めた注目のグラドルだ。ただ、これまでの道のりは決して平たんではなかった。地元・新潟での極貧生活、いじめを受けた学生時代…苦しい状況を乗り越え、今があるという。

インタビューに応じた高橋凛【写真:冨田味我】
インタビューに応じた高橋凛【写真:冨田味我】

高橋凛インタビュー、7年ぶりに写真集『抱いて』発売

 7年ぶりに写真集『抱いて』(ワニブックス刊)を発売した高橋凛(33)。2022年には「那須川天心VS武尊」でラウンドガールを務め、話題を集めた注目のグラドルだ。ただ、これまでの道のりは決して平たんではなかった。地元・新潟での極貧生活、いじめを受けた学生時代…苦しい状況を乗り越え、今があるという。(取材・文=中村智弘)

 両親が離婚したのは9歳の時。母親に引き取られると、新潟市内で極貧生活が始まった。母親は仕事で帰ってくるのが夜9時くらい。兄もいたが、家に帰ってくるのは遅かった。幼少期の頃から、一人で過ごす時間が長かったという。

「当時は成長期で、やっぱりたくさん食べたい。でも、お金がなくて、お菓子も買えなかった。代わりに、ティッシュを刻んでボールに入れて、水に浸して、おすしみたいに握って、食べていました。もちろん、飲み込んだりはしないです。口の中でかんで水分を摂る。甘い味がするんです」

 高校1年生になったばかりの頃、下着泥棒に入られた。

「当時、制服を買ったりして、お金がなくて、新しく下着を買うことができなかった。バイトを始めていたのですが、そのお金は食べることに使っていました。1、2か月くらい、下着を着けずに学校へ行っていました。周囲は気付かなかったです」

 中学ではテニス部に所属していたが、道具を満足にそろえることができなかった。シューズなどは、親戚にもらったりして、しのいだという。

「父と離婚して、車もなかったんです。中学時代はテニス部に所属していたのですが、試合がある時は近所の友達の車に乗せてもらっていました。すると、『あの子って、いつも人の家の車に乗ってるよね』といううわさが立ってしまって……。周囲にうまくとけこめませんでした」

 小学生時代は、いじられキャラから仲間外れにされて、いじめられた。みんなが交換日記をやっていたので、「やりたい」と言ったら、「お前は友達じゃないから無理」と言われたという。中学時代、離れて暮らす父に会いに行った時は、「援交(援助交際)している」といううわさが立った。

地元・新潟での生活を振り返った高橋凛【写真:冨田味我】
地元・新潟での生活を振り返った高橋凛【写真:冨田味我】

24歳の時にスカウトされグラビアの道へ

 いち早く、地元を離れ、新天地で新しい人生を始めたかった。高校卒業後、すぐに上京。ソフトバンクのショップ店員に就職した。24歳の時、スカウトされグラビアの道へ。そのままグラビア1本で生活しながら、30代を迎えた。

 昨年、現在の事務所に移籍。その後、テレビ番組出演の機会に恵まれ、独特のキャラクターで注目を集めている。今年は、7年ぶりに写真集を発売。インスタなどのSNSでも積極的に発信している。

「うちの事務所には、橋本マナミさんという本当にグラビアの神様みたいなすてきな先輩がいらっしゃる。グラビアって、誰かいるとなった時に、マナミさんのように名前が出てくる存在になりたいですね」

 精神的に辛いとき、バラエティー番組の笑いに救われたという。好きなお笑いコンビは『ジョイマン』だ。

「『エンタの神様』で見て以来、ずっとファンです。『ありがとう、オリゴ糖』というギャグはプライベートでも使っています(笑)。今も落ち込んだら、『かまいたち』さんのネタとか見たりして、元気をもらっています。私も、『あっ、この人見ると悩みとか忘れられる。元気になれる』ような人になりたいです」

□高橋凛(たかはし・りん)1990年8月9日、新潟県出身。2014年にデビュー。19年、それまでの「橘花凛」から高橋凛に改名。21年には『令和の三十路グラドル総選挙』で1位を獲得。数多くの格闘技イベントでラウンドガールを務めて話題になるなど、グラビアアイドルとしての活動以外にも多彩な活躍を見せている。

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