【映画とプロレス #18】「ゾンビランド:ダブルタップ」劇中でヒッピーが歌うのはテリー・ゴディの入場曲
日本で「パワーボム」をポピュラーにしたテリー・ゴディ
ヘイズとゴディは78年にファビュラス・フリーバーズを結成。82年にバディ・ロバーツが加入し3人組のユニットとなった。この中から最初に日本にやってきたのはゴディだった。83年8月、テリー・ファンク引退試合の相手としてスタン・ハンセンのパートナーに抜擢されたのだ。ただ、当時の日本ではまったくの無名だっただけに、役不足の感は否めなかった。が、これ以降、ゴディは全日本の常連外国人になっていく。「フリー・バード」もそのまま使用。アメリカでのテーマ曲をそのまま日本に持ってきた形である。日本で別の曲を使わなかったのは大正解だった。1分以上もあるイントロが超カッコいい!
84年1月には、ヘイズとのファビュラス・フリーバーズ日本お披露目が実現、ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田組のインターナショナルタッグ王座にも挑戦した。ヘイズ2度目の来日ではフリーバーズで鶴田&天龍源一郎組のインタータッグ王座、ヘイズがシングルで天龍のUN王座にも挑戦した。数少ない揃い踏みのシリーズで「フリー・バード」を聞いたファンは、孫子の代まで自慢していい(と思う)。
日本で独り立ちし“「フリー・バード」=ゴディのテーマ曲”のイメージを植え付けたゴディは、パワーボムをポピュラーにしたことでも高い貢献度を誇る。いまでこそポピュラーに使われる大技だが、日本で広めたのはゴディだった。“人間魚雷”のニックネームでトップ外国人の仲間入りを果たすや、スタン・ハンセンとのコンビで世界タッグ王座奪取や世界最強タッグ決定リーグ戦を制覇。スティーブ・ウィリアムスとのチームでも最強タッグを連覇している。また、鶴田を破り三冠ヘビー級王者にもなった。これは三冠史上初の外国人レスラーを意味する戴冠劇。ハンセンに先駆け3本のベルトを手にしたゴディは、三冠王座を生涯2度獲得したのだった。93年に体調を崩し全日本のシリーズを欠場。全日本には94年夏が最後の参戦となった。翌95年にはIWA JAPANに参戦、画鋲デスマッチもおこなった。
そして01年7月16日、心不全により40歳の若さで死去。16年にはヘイズ、ロバーツ、ジミー・ガービンとともにファビュラス・フリーバーズとしてWWE殿堂に迎え入れられた。インダクターはニューデイ(コフィ・キングストン&ビッグE&エグザビア・ウッズ)の3人。当時の彼らはフリーバーズ考案の“フリーバード・ルール”でWWEタッグ王座を保持していた。これはタッグ王座を懸けたタイトルマッチを2人で戦い、王座は3人で保持できるという、タッグマッチにおける“自由”なルール。フリーバーズのレガシーは現代も生き続けているのである。
「明日、僕がここから旅立っても、君は僕のことをおぼえておいてくれるのだろうか…」。在りし日のゴディを想うと、「僕はいま鳥のように自由なんだ」という歌詞が胸に染みる。「フリー・バード」はいまだ色褪せない名曲であり、ファンの胸にはゴディのゴディ、ファビュラス・フリーバーズのテーマ曲として永遠に刻まれているのである。
ちなみに、「ゾンビランド:ダブルタップ」でヒッピーが唄いブレズリンと会話する場面にはオチがあるので、お忘れなく! (文中敬称略)