35歳の直木賞作家・小川哲さん、受賞後に起きたリアルな変化とは「原稿料が上がるんだ」
今年1月、『地図と拳』で第168回直木三十五賞を受賞した作家・小川哲さん(35)が最新短編集『君が手にするはずだった黄金について』(新潮社、税込1760円)を刊行した。「僕=小川さん」を主人公に、「承認欲求」をテーマにした6編。直木賞受賞後に起こった変化とは?
『地図と拳』で第168回直木三十五賞を受賞
今年1月、『地図と拳』で第168回直木三十五賞を受賞した作家・小川哲さん(35)が最新短編集『君が手にするはずだった黄金について』(新潮社、税込1760円)を刊行した。「僕=小川さん」を主人公に、「承認欲求」をテーマにした6編。直木賞受賞後に起こった変化とは?(取材・文=平辻哲也)
東京大学大学院総合文化研究科在学中の2015年、『ユートロニカのこちら側』でハヤカワSFコンテスト大賞を受賞し、作家デビュー。以来、刊行した単行本全てが文学賞を受賞し、SF、歴史、ミステリとさまざまなジャンルで高い評価を受ける小川さん。
最新刊収録6編はすべて「僕=小川哲」が主人公。作家の僕が、オーラが見えるという青山の占い師(「小説家の鑑」)、本物かどうか怪しいロレックスのデイトナをこれ見よがしに巻く漫画家(「偽物」)、80億円を運用し、羽振りの良い生活をインスタにアップする高校の同窓生・片桐(「君が手にするはずだった黄金について」)ら承認欲求を求める人々に出会っていく……。
「この作品を書いたのは『地図と拳』と同じ時期です。『ゲームの王国』や『地図と拳』は文献を調べ上げる、努力点のようなものがあったと思いますが、この作品は小説とは何だろうと考えたことを、調べ物をしないで、自分の経験や知っていることの範囲内でよりダイレクトに書こうとしました」
テーマは承認欲求だ。
「僕は自分が満足すれば、他人の目はそんなに気にならない方ですが、だからこそ、他人に認められたいと強く思う人の心の在り方を知りたいと思うんです。気持ちが分かる部分も、分からない部分もありますが、自分が軽蔑したり、すごくイヤだなと思っている部分って、実は自分も同じものを持っているのかもしれないと思ったりもします」
これは他者を通じて、自分を知り、自分を描く、というアプローチでもある。
「人間は自分自身のことも実はわからない。他人を見たり、知ろうとしたり、他の人に値踏みされたりすることによって、自分が共感したり、反発を覚えるかなどを自覚します。そういう意味では他人を理解しようとするのは結構重要なのかなと思います」
テーマを決めたのは戦略的な部分もある。
「業界的な話ですが、短編は適当に書いてしまうと、一冊の本にならないんです。一冊の本のふりをしないと売りづらい(笑)。僕のことに興味がない人にも、手に取ってもらうためには、作品のコンセプトや方向性がきっちり決まっていないといけない。村上春樹さんも短編集はコンセプトを決めて書いていらっしゃいますが、僕もデビュー時から決めて書いていました」
短編集『嘘と正典』収録の『ひとすじの光』は、作家の「僕」が、亡き父が遺したサラブレットの血統をたどり、父の思いと重ねる傑作だが、小川さんの父は健在。今回の連作短編集とは少し意味合いは違うのだという。
「『僕』が出会う人物には、モデルはいます。僕の知人だったら、『これ、あいつじゃんみたい』とわかる人もいるかもしれないですね。身近なものから、いろんなものを混ぜています」
『ゲームの王国』や『地図と拳』などの長編もプロットを立てずにいきなり書き始めるのが小川さん流。
「だいたい2万字先までは見えているんです。だいたい400字詰めの原稿用紙で50枚くらい。地平線まで見えていて、その先が見えていないという感じです。短編の場合は結末まで見えて、迷いなくかけることが多いですね。作品のタイプにもよりますが、バーと書いてから、いっぱい直したりします」
本書の1編『3月10日』は、2011年3月11日に発生した東日本大震災をモチーフに、作家の「僕」が平凡な1日であったはずの前日3月10日の記憶を辿っていく物語。普通なら見過ごしがちな出来事に焦点を当てた切り口が秀逸だ。
「普通の人が気にならないことが気になってしまうんです。だから、普通の人生が送れないんでしょう(笑)。僕としては、そういうことに気にならない方がいいとは思っているんですけどね」と笑う。
作家になりたい人へのアドバイスも「僕は年間300冊くらい読んでいた」
これまで出版した作品のすべてが受賞してきたが、直木賞受賞後、生活に変化はあったのか。
「そんなにはないです。直木賞を取ったからと言って、急に小説の書き方が上手くなったりはしないですから(笑)。ただ、小説を書く以外の仕事は増えました。こうして、いろんな取材を受けたり、4月からTOKYO FMでパーソナリティー(『Street Fiction by SATOSHI OGAWA』)をしたり、読売新聞で本を紹介する読書委員もやらせてもらっています」
最近は取材、サイン会など作家以外の仕事も多い。
「平日は朝から夜まで小説以外のことをしています。小説を書くのが仕事なんですが、今はほかの仕事が終わって帰宅してからやっています。だから、兼業作家みたいな感じですね。もっとじっくり書ける時間を作りたいと思いつつ、既に書いた本を多くの人に読んでもらうのは大事なことだとも感じています」
原稿料もアップした。
「めちゃくちゃ上がるとかじゃないですけど、原稿料が上がるんだ、とは思いました。作家って、同業者に『あなたの原稿料はいくらですか』と聞かないんで、あんまり知らないんですよ。編集部や雑誌によって違うとは思いますけども、基本的には『直木賞を受賞されたので、原稿料を上げさせていただきました』と言ってくれましたね」
少年時代の夢は社長、学生時代は大学教授、今は作家としての成功を収めているが、作家を志す次世代には、読書の大切さを説く。学校教員の母は日本のミステリー、金属系企業の会社員だった父は海外SFやミステリーが好きだった。
「作家になりたい人はたくさん読書をするのがいいと思います。僕が一番読んだのは大学時代。岩波新書の青版、赤版を片っ端から読んでいたので、年間300冊くらいは読んでいた年もありました。ただ、お金を稼ぎたい人には作家はオススメしないですね。大学の同期にはもっと稼いでいる人もいるでしょうから」と笑った。
□小川哲(おがわ・さとし)1986年、千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年、『ユートロニカのこちら側』で第3回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞しデビュー。『ゲームの王国』で第31回山本周五郎賞、第38回日本SF大賞を受賞。2023年、『地図と拳』で第168回直木三十五賞を受賞。『君のクイズ』で第76回日本推理作家協会賞長編および連作短編集部門を受賞。