前職は神奈川県警の警察官…「令和の裸足王」目指す“胸毛ポリス”植木崇行の決意

「裸足王」とは俺のことだ! デスマッチ戦士・植木嵩行が自慢の胸毛をかきむしった。裸足といえば、1960年ローマ五輪、64年東京五輪と、マラソンで2連覇した故アベベ・ビキラや、日米マット界で暴れまくった故ヒロ・マツダに、心躍らせた人も多いはず。

おもちゃのピストルを手にする勇姿も様になっている植木崇行【写真:柴田惣一】
おもちゃのピストルを手にする勇姿も様になっている植木崇行【写真:柴田惣一】

柴田惣一のプロレスワンダーランド【連載vol.168】

「裸足王」とは俺のことだ! デスマッチ戦士・植木嵩行が自慢の胸毛をかきむしった。裸足といえば、1960年ローマ五輪、64年東京五輪と、マラソンで2連覇した故アベベ・ビキラや、日米マット界で暴れまくった故ヒロ・マツダに、心躍らせた人も多いはず。

 昭和、平成、令和と時代も進み、今年の夏、日本プロレス界に突如として「裸足王」を名乗り出したのが植木である。

 初代裸足王者決定戦(8・11神奈川・横浜武道館大会)で藤田ミノルと激突した植木。リング上にはマットが見えないほどのたくさんのTOYブロックがばらまかれている。素足にくいこむTOYブロックの痛みに耐えながら勝利し、自らボール紙と養生テープで制作した裸足王のベルトを高々と掲げた。

 見事に初代王者に君臨したものの8・28東京・後楽園ホール大会で、伊東優作に奪われてしまった。しかもお手製のベルトをボロボロに引きちぎられた上に、王座を返上されてしまった。

 紙屑となって無残に散らばったベルトの残骸を必死に集めた植木は「まだまだ裸足王の闘いはこれからだ」と猛アピール。先日、改めてベルトを作り、中央に自ら「裸足王」と書き上げた。

 その風体からは想像もつかない達筆ぶりだが、実は前職は神奈川県警の警察官。敬礼ポーズや「確保」の決めぜりふが決まっているのも「本物」だからだ。得意技のタックルは「確保」と命名され、敬礼式ダイビングヘッドバットも命中すれば3カウント間違いなし。体全体を覆う濃い体毛とあいまって「胸毛ポリス」の異名は見事にマッチしている。

 親類には昭和の大スター故・片岡千恵蔵(本名・植木正義)がいる。「父方の親戚。群馬県太田市の祖父の家に写真が飾ってあった。私が産れる前に亡くなっており、話に聞くだけですが、我が一族の誇り。何なら本名をリングネームにいただきたかった」と胸を張る。市民の生活を守る正義の番人・警察官からの転身だけに、真剣に考えたという。

「裸足王」にこだわるのは、裸足デスマッチで闘った「デスマッチのカリスマ」葛西純から「裸足でのデスマッチはもうイヤだ。植木にくれてやる」と言ってもらったから。「私は勝手に、葛西純から裸足のデスマッチでは第一人者とお墨付きをいただいたと解釈している」と鼻息を荒くした。

 植木の靴のサイズは26.5センチ。土踏まずはちゃんとあるそうだが、やたらと幅広の足をしている。「傷口がふさがる前に、また傷だらけになってしまう。足の裏はぐちゃぐちゃ」と顔をゆがめた。足の裏には無数のツボがある。「痛みの伝わるプロレス」と言うが、誰でも一度は裸足で何かを踏むなどの痛い思いをした経験があるはず。裸足デスマッチは痛みがビンビン伝わる。

「見ているだけで痛くなる」というファンも多く、会場では悲鳴がこだまする。裸足王奪還のチャンスを虎視眈々とうかがいながら、デビュー10周年記念マッチ(11月10日、神奈川・川崎市幸区ポストディアミスタッド)に備えている。神奈川県警時代に川崎駅前交番に勤務していたとあって「凱旋マッチ」とも言えそうだ。

 室田渓人と組み、デスマッチこそ植木がプロレスラーとして生きる道であることを教えてくれたバラモン兄弟とのタッグマッチ。「皆さんに感謝の気持ちを込めた一戦となる」と神妙だ。

 10月から鈴木みのるのショップ「パイルドライバー」の正式スタッフとなった。「元警察官だからお金の管理とか信頼していただけたのかな」と照れる好漢・植木。礼儀正しく愛嬌もある「胸毛ポリス」の前途に幸あれ。(文中敬称略)

次のページへ (2/2) 【写真】「裸足王」ベルトを新たに制作した植木崇行
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