吉幾三「今は酒の歌が書けない」と語る理由 財布のヒモを握られ、安ウイスキーの日々

BS松竹東急(全国無料放送)で『吉幾三45年間、ありがとう~ファイナルコンサート~』が10月29日午後7時から放送される。今年3月でデビュー丸50周年を迎えたシンガーソングライターの吉幾三は人間味あふれるトークも魅力の一つ。そんな吉が、最近、妻に財布のヒモを握られてしまったと明かす。その驚がくの理由とは?

インタビューに応じた吉幾三【写真:ENCOUNT編集部】
インタビューに応じた吉幾三【写真:ENCOUNT編集部】

驚きの理由は「店のホステスが…」

 BS松竹東急(全国無料放送)で『吉幾三45年間、ありがとう~ファイナルコンサート~』が10月29日午後7時から放送される。今年3月でデビュー丸50周年を迎えたシンガーソングライターの吉幾三は人間味あふれるトークも魅力の一つ。そんな吉が、最近、妻に財布のヒモを握られてしまったと明かす。その驚がくの理由とは?(取材・文=平辻哲也)

 丸50年の歌手生活で、「人に恵まれた」と話す吉。青森県五所川原市の地元中学を卒業後、歌手になるために上京し、作曲家の米山正夫に師事。1973年にヤンマーディーゼルのCMソング「恋人は君ひとり」を「山岡英二」の歌手名でデビューするが、成功できず、「吉幾三」の芸名で再デビューすることになる。

「今思えば、下積み時代の苦労はあまりなかったですね。『恋人は君ひとり』は米山先生の作曲、能勢英夫先生の作詞で、山岡英二時代は同じクラウンレコードの水前寺清子さんや笹みどりさんには大変お世話になりました。前座をやらせてもらえたり、後は時々ナイトクラブでギターの弾き語りもしてました」

 デビューまもない75年には結婚し、世帯を構える。

「食べていけないので、お金を作ればいいのに、子どもを作っちゃったんですよ(笑)。彼女もギリギリまで働いてくれた。だから、その頃は一番嫁に苦労させたかな。吉幾三になる前は大変でした」

 それが77年に再デビュー作『俺はぜったい!プレスリー』が大ヒットし、生活が一変する。

「実は人の借金の保証人にもなって、すごい借金があったんですけど、このヒットで全てなくなりました。『プレスリー』はギター一本で歌えるのがよかったんですよ。一人でライブハウスも行ったし、市民会館も満員にしましたからね。でも、ヒット曲は1本しかないから、後はトークで盛り上げていた。昔から落語が好きだったので、そういうのが根付いていたのかもしれない」

 その後は千昌夫さんとの出会いがあって、84年、千への提供曲『津軽平野』が大ヒット。千からは生き方の多くを学んだ。

「ちょうどバブル経済の真っ盛りでしたが、千さんは『お前の頭の中には何十億円、何百億円の音楽の才能があるんだ』と言ってくれた。うれしかったけども、頭がおかしくなったのかなと思ったんです(笑)。千さんには本当にいろんな人を紹介していただきました。僕には全く関係のない不動産関係の人でしたけれども(笑)。政治家を含めて、友人関係が広いんだな、と。それで、今まではギター一本一人でやってきたけれども、もっと広げていこうと思って、バックミュージシャンを入れたりもしました。彼らとは30年のつきあいになります」

安いウイスキーも「シーバスだと思えば、シーバスのように飲める(笑)」

 50年間の芸能生活の中でも、大切にしてきたのは家族だ。

「青森にいるきょうだいも大切にしています。9人いて、既に姉2人は亡くなりましたが、常に連絡を取り合っています。結構前の話になりますが、新しい墓を作ろうという話になったときは、きょうだいで出し合うはずだったけれども、僕以外は誰も出さなかった(笑)」

 歌手になったのは、民謡歌手だった父・鎌田稲一さんの影響が大きい。「継続は力なり」との言葉を守り、努力を重ねてきた。稲一さんは津軽三味線の第一人者、初代高橋竹山さん(1910~98)と交友があった。竹山は、北島三郎が歌う『風雪ながれ旅』のモデルで、その生涯は林隆三主演『竹山ひとり旅』(監督・新藤兼人、77年)として映画化されている。

「そんな人だから、金がないわけない。でも、家に帰ってくるまでに全部、酒を飲んじゃうんですよ。大きな大会で3回も優勝して、小さな家を買えるくらいの額をもらったらしいけど、村に帰ってくると、村中の人を集めて、みんなで酒を飲んじゃう。お金を持ったら、その分だけ使ってしまうのは似ているかもしれない」と笑う。

 代表曲『酒よ』で知られる吉も、酒好き。ところが、酒の失敗で、最近、妻に財布のヒモを握られてしまったのだと明かす。

「店のホステスがばんばん酒を開けて、すごい額になっていたんです。後から税金の支払いもあって、大変でした。2人の娘からも『何かあったら、どうするの?』と怒られて、カードや通帳を取り上げられたんです」

 以前は有名ワインやちょっと高級ウイスキーなどを愛飲してきたが、今は安価な国産ウイスキーに甘んじているという。

「これ本当の話で、初めて話しますけど、安いウイスキーをシーバスリーガルの瓶に詰め替えて、飲んでいます。これがシーバスだと思えば、シーバスのように飲める(笑)。それを強炭酸で割っていますね。だから、そういう意味では今はお酒の歌が書けなくなったよね」。豪快なエピソードで人を楽しませる吉は根っからのエンターテイナーだ。

□吉幾三(よし・いくぞう)本名:鎌田善人(かまた・よしひと)。青森県北津軽郡金木町大字嘉瀬字畑中(現・青森県五所川原市)生まれ。金木町立金木南中学校を卒業後、作曲家・米山正夫氏に師事。1973年、芸名・山岡英二で『恋人は君ひとり』でデビュー。77年に吉幾三に改名し、自身の作詞・作曲による『俺はぜったい!プレスリー/青春荘』をリリース。以後シンガー・ソングライターとして活躍。84年に作詞・作曲家として、千昌夫氏に『津軽平野』を提供。同年4月、吉プロモーション設立。同11月、『俺ら東京さ行ぐだ/故(ふるさと)郷』を発表。作詞・作曲家としては、千昌夫氏を筆頭に多数作品を提供。また、CMソング、TVドラマのテーマ・ソングも多く手掛け、俳優としても活躍。

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