義足のファイター・谷津嘉章、パラ五輪へ一歩一歩「どんな状況でも人生はチャレンジだ」

「凄いヤツ」谷津嘉章の「義足の挑戦」は決して平たんな道のりではなかった。

「いくつになってもチャレンジだよ」と力説する谷津嘉章【写真:柴田惣一】
「いくつになってもチャレンジだよ」と力説する谷津嘉章【写真:柴田惣一】

毎週金曜日午後8時更新 柴田惣一のプロレスワンダーランド【連載vol.167】

「凄いヤツ」谷津嘉章の「義足の挑戦」は決して平たんな道のりではなかった。

 2019年6月、右足をひざ下から切断した谷津。「俺だって実は落ち込んだよ」と振り返るが、元より前向きな男とあって、ほどなくリハビリを開始した。

 人並外れた運動能力と持ち前の負けず嫌いを発揮し、医療関係者も驚くほどの回復ぶりで、義足を着用してプロレスラー復帰を果たした。

 そして今年、障がい者レスリングのパラリンピック採用を目標にNCWA(日本障がい者レスリング連盟)を設立。総括としてプレイヤー、運営の先頭に立っている。

 レスリング・全国社会人オープン選手権大会(10月21、22日、埼玉・富士見市立市民総合体育館)男子フリースタイル97キロ級に参戦。7月の全日本社会人選手権以来、義足戦士として公式戦2度目の挑戦となる。

 義足の初戦では、監事・総務として谷津とともにNCWAを支える盟友・釼持洋祐にテクニカルフォール負けしたものの、健常者の釼持に大健闘。NCWA発足を大いにアピールした。

 今回、釼持は125キロ級にエントリーしており、谷津は外敵の健常者が相手となる。「健常者に勝つなんて無理だけど、できるだけのことをやる。1点でも取りたい。テクニカルポイントを取って、障がい者レスリングをアピールしたい。唯一の障がい者プレイヤーとして、可能性と意地を見せたい」と意気込む。

 実は7月の大会前とは練習メニューを変更した。「ただ、がむしゃらにトレーニングを重ねれば良いわけではない。これまでとは、違ったトレーニングに取り組んでいる」と明かす。

 というのも、復帰後、コンディション調整に苦労している。プロレスの北海道シリーズ参戦も重なり、体調不良のため入院したこともあった。

「以前の様にはいかないことは覚悟していたし、わかっていたつもり。でも、皆さんの期待に応えたいし、ついつい無理をしてしまったかも知れない。修正の繰り返しだよ」と反省しきりである。

 健常者の時、レスリングで大活躍。1976年モントリオール五輪の日本代表となり、80年モスクワ五輪では日本がボイコットしなければ、金メダルが期待されていた。

 プロレスラーに転身後もさまざまな団体で大暴れし、プロ選手として1986年にはレスリング・全日本選手権フリースタイル130キロ級で優勝を果たしている。アスリートとしての能力は折り紙付きだった。

 スーパーエリート戦士が襲われた右足切断の悲運。「糖尿病をコントロールできなかったんだから自業自得なんだけど、まあ、うつむいてばかりいても仕方ない」と再起ロードをひた走る。

 2020東京五輪の聖火リレーに義足のランナーとして参加し、プロレスのリングにも復帰。特製義足の開発にも加わるなど「義足の挑戦」は着々と成果を上げていた。

 それでも満足も納得もしないのが谷津嘉章という男。「オリンピックで果たせなかった金メダルをパラリンピックで手にしたい」と動き出した。

 NCWAを設立したものの、課題はまだまだたくさんある。パラ五輪に採用されるには、国際組織が不可欠。クラス分け、勝敗の決め方、ルール…課題は山ほどある。

 プレイヤー登録を希望する人たちの応募も増えているが、大会開催にはまだまだ。現時点では唯一の障がい者レスラーである谷津本人が、アピールしNCWAの充実を図っていくしかない。

「俺が現役のうちにできるかな」と頭をかくが、その眼には「凄いヤツ」の力がこもっている。

 千里の道も一歩から。例えその歩みは遅くとも一歩一歩、着実に前に進んでいる。

「いくつになっても、どんな状況になっても人生はチャレンジだ」と明るく言い切る谷津の「義足の挑戦」を見守りたい。

次のページへ (2/2) 【写真】健常者とのスパーリングに臨む谷津。2019年に右足をひざ下から切断した
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