プラス・マイナス、劣等感に苦しみ続けた20年「恥ずかしかった」 養成所を主席で卒業も“無冠”
今年で結成20周年のお笑いコンビ・プラス・マイナス(岩橋良昌、兼光タカシ)。これまで賞レースで大きな活躍はなかったが、今年ついに第58回上方漫才大賞で「大賞」を受賞した。劣等感に悩まされ、引退も考えた20年はどんなものだったのか。2人が振り返った。
第58回上方漫才大賞で「大賞」を受賞したプラス・マイナス
今年で結成20周年のお笑いコンビ・プラス・マイナス(岩橋良昌、兼光タカシ)。これまで賞レースで大きな活躍はなかったが、今年ついに第58回上方漫才大賞で「大賞」を受賞した。劣等感に悩まされ、引退も考えた20年はどんなものだったのか。2人が振り返った。(取材・文=島田将斗)
ライブ出演本数は年500本超もノンタイトル。事務所が付けた肩書きは「劇場番長」、そんな称号に葛藤した20年だった。
コンビ結成は2003年。2人は高校時代からの同級生で、大学卒業後、岩橋が兼光をお笑いの世界に誘う。堅実な生活を望む兼光は企業への内定が決まっていたが、岩橋の説得でNSC(吉本総合芸能学院)入りを果たした。
「一浪して大学を卒業して、24歳でNSCに入りました。周りの高校卒業組からしたら5歳も年上だったんですよね。在学中も『もうお前らは時間ないぞ』と言われていたので、お笑いの扉を叩いたときから焦りはありました」(岩橋)
そんなNSCを「主席」で卒業。しかし、全国的な賞レースで思うように力を発揮できず悶々とする日々を過ごしてきた。
「同期は賞レースで優勝までしてる。取り残されてる感というか。NSCを卒業するときは銀シャリもまだ結成されていなかったし、ジャルジャルはいましたけど、在学中のときはそこまで注目されてなかった。のちに二組とも爆発しました。自分たちは決勝にも出られずだったので劣等感はありましたね」(岩橋)
「ジャルジャルはキングオブコント優勝、銀シャリはM-1優勝。僕らは舞台とか営業にM-1ファイナリスト、優勝者よりも行かせてもらってるんですよ。周りのメンバーはすごいので負い目を感じていた部分がありました。ポスターにみんなは『M-1王者』『M-1ファイナリスト』って書かれているんですけど、僕らなにも書きようがないので『劇場番長』だったんですよ。そういうのも恥ずかしかった」(兼光)
「NSC主席」の肩書きで芸能界に入っていくも、若手のオーディションでは落選。それでもNGK(なんばグランド花月)の仕事はあった。しかし賞レースでは評価されない。「何が正解か分からない」――。そんな暗闇を歩いてきた。
劇場ウケと世間の評価の違いに岩橋は頭を悩ませていた。「プラマイさんすごい!」「劇場でめっちゃウケてますやん」、仲間からの称賛の言葉を素直に受け止められなかった。
「上方漫才大賞をいただくまでは、周囲から褒められても『いや結果出てないやん』ってちょっとひねくれた捉え方をしていましたね。ストレスでした」(岩橋)
大賞受賞前には大きな決断「芸術系の仕事で生きていこう」
テレビへの出演は少なかったものの、劇場出番は多かった。芸歴3年目でバイトを辞め、お笑いだけで食べていけるようになる。それでも上昇志向が強かった岩橋は理想と現実の差に絶望する。上方漫才大賞・大賞受賞前には大きな決断をしていた。
「迷いに迷いまくった20年。大賞受賞直前まで『芸人を辞める』って決めていました。マネジャーにも仕事を全部止めてくれってお願いしました。受賞してなかったら今ごろ大阪の実家に帰って音楽やったり芸術系の仕事で生きていこうと思っていました」(岩橋)
さらにこう続ける。
「上を見ても下を見てもキリがない。中途半端な位置にいる自分たちが一番嫌だった。『もう20年やったしな』って。いつまでも諦めない姿勢も大事ですけど、人生って限りがあります。だったらもっと楽しくできることを思いっきりやって生きていこうって見切りをつけていました」(岩橋)
一方の兼光は当時の岩橋について「今回の決意はもう半端ない。もう何を言っても揺るがへん感じがあった」と回顧した。
何が正解なのか分からないが、漫才で突き抜けるために徹底的にこだわった。普通なら相方との時間が長ければ長いほど、稽古や反省の時間は少なくなってくる。このコンビに限っては違った。出番終わりには誰よりも反省し、緻密な修正を繰り返してここまできた。
たくさん喧嘩もした。ひとりは引退も考えた。そんななかでの大賞受賞。2人の漫才にやっと答えが出た。
「肩の荷が降りた。自分はこの道やなと再確認できた受賞になりました。今回の受賞で気付かされたのは、自分たちの良さを見ていく仕事なのに、粗探しをしたり周囲と比較して劣等感を感じてしまっていた。ないものねだりをしても仕方ない。漫才に対する情熱は間違ってなかった。大賞をもらって正解が分かりましたね」(岩橋)
「漫才師として1番うれしい賞だったので、自信と心の余裕と箔が付きました。ほんまに短いようで長いような20年。何があったか思い出されへんくらいです。遠回りはしましたけど、大賞を取って間違ってなかったんやと思いましたね」(兼光)