GLAY・TAKUROが始めていた“終活” 52歳になって思うコト「あとの人生はおまけの感覚」

来年デビュー30周年を迎えるGLAYのTAKUROが、「終活」を始めていることを明かした。38歳で父親を亡くしたことで、39歳から先が見えなくなった時期もあったという。現在52歳。子どもたちが成長し、この先の人生を「おまけみたいな感覚」とも表現した。インタビューの「後編」では、GLAYの4人ならでは共通意識、TAKUROならではの「人生哲学」などに迫った。

TAKUROが考えるGLAYらしさとは?【写真:冨田味我】
TAKUROが考えるGLAYらしさとは?【写真:冨田味我】

50歳を過ぎて意識が変化「聞かれたことは言い残しがないように話そうと心がけ」

 来年デビュー30周年を迎えるGLAYのTAKUROが、「終活」を始めていることを明かした。38歳で父親を亡くしたことで、39歳から先が見えなくなった時期もあったという。現在52歳。子どもたちが成長し、この先の人生を「おまけみたいな感覚」とも表現した。インタビューの「後編」では、GLAYの4人ならでは共通意識、TAKUROならではの「人生哲学」などに迫った。(取材・文=福嶋剛)

――来年の30周年を前にして現在の心境は。

「自分たちで『誕生日です』と掲げるのも恥ずかしいけれど、30周年という節目にかこつけてこれまで支えてくれた人たちに恩返しできるようなことをしたいと思っていています。今はどんなことをやろうかとメンバーやスタッフと企画を考えているところです。めちゃくちゃ、楽しいものになることは間違いありませんよ」

――長く一緒にいると夫婦でも倦怠期がある中、GLAYの4人は30年一緒でも常に新鮮な気持ちでつながり合えているように見えます。その理由は。

「それは多分、社会の理(ことわり)みたいなものを4人が理解した上でやっているからだと思います。夫婦の倦怠期を悪として捉えたら、それを排除しようと動くから、常に緊張感を持ち続けなければいけませんよね。バンドでも他のメンバーよりテンションが低いやつが出てくると、『許せない』という気持ちになります。そして、『プロとして当然だろ』という正義感が働くんだけれど、それを現実社会に当てはめてみると、そんなことを毎日思いながら生きていくのは息苦しいし、バカバカしい。僕たちはある時期、それに気付いたんです。『ロックバンドは狂気を見せなければいけない』とか、『毎回最高の作品を出して、最高のパフォーマンスを見せ続けなければ』と“呪いの言葉”に縛られた仲間たちをたくさん見てきたので。だから、『そんなに苦しまんでもいいだろう』と思うようになりました」

――バンドにも倦怠期があるのは当たり前だと。

「『そこにいてくれるだけでいい』と、そのまま全部を受け入れることができるバンドになりたいというのはありました。今まで全ての楽曲が全身全霊だとは思わないし、気が乗らないときに締め切りが来てしまってテンションが低いままの曲ができても、『じゃあ、俺がテンション上げていい感じにしてやろう』と言えるメンバーがいる。それがGLAYですから」

――以前インタビューで、「GLAYの(仲間)3人はどんなことでも許してくれる存在」と話されていました。

「特に90年代は前の事務所から『あれやれ、これやれ』と言われ続けて、3人にそれを伝達するのが一番嫌でした。それで、『今の俺はものすごく落ち込んでいるから、全員集合して俺を励ます飲み会をやってくれ』と言って、自分の弱さをみんなに話しました(笑)。そしたら、『TAKUROは“もっとヒット曲を書け”とずっと言われていて大変だよな。じゃあ、次は俺が書くわ』と言うメンバーも出てくるわけです。周りには『ソングライターはTAKUROしかいないのに最近は曲がつまらない』と言われても、僕は『いや、今に見ていてください。3人の才能が必ず開花しますから』と言い続けてきました」

――それが「実を結んだ」ということですね。

「僕が誇らしいのが、『こんなに素晴らしい曲を書ける4人組になった』ということです。函館で『音楽をやろう』と志してここまできた訳ですが、そこにいたるまでに身の丈以上のたくさんの愛情をファンのみなさんからいただきました。自分たちはその上に立たせてもらっているので、今度は『みなさんから預かった愛情をいろんな人たちに届けたり、シェアできるようなバンドになりたい』。そう思ってここまで来ました。3人を見ていると、今まさにそんな風に活動しています。TERUは後輩ミュージシャンから『喉の調子が悪い』と相談され、自分の主治医の先生を紹介して自分の予約まで後回しにしてしまうようなやつなんです。HISASHIもJIROも同じように後輩たちからの相談に乗ったり、ステージ上でもファンへの感謝を忘れない。そんな姿を見ていると、『俺はすごい優しいメンバーに囲まれて生きているんだな』と幸せな気持ちになります」

――9月にリリースしたEP『HC 2023 episode 2 -GHOST TRACK E.P-』には、4人がそれぞれ作った曲が収められています。個性的でもあり、GLAYらしさも感じる作品です。TAKUROさんにとってのGLAYらしさとは。

「それを音にするのが、一番大変な作業なんです。GLAYらしさを分かりやすく例えるなら、『Winter,again』(1999年)を作ったときの話かもしれません。とってもいいフレーズが浮かんだのですが、レコ―ディングする際に曲の雰囲気をどうやってみんなに伝えようかと迷った末、こう言いました。『函館の国道5号線のさ、ほら11月の頭のあの初雪のときのあんな感じ。あれを音にしたいの』って。そしたら3人が、『分かった』と言って完成させたんです。それって譜面には起こせないものですし、どんなに腕の立つミュージシャンでも、4人の空気感には近付けない。その曲が『(第41回)日本レコード大賞』をいただいて、自分たちがやりたいことと周りが求めていることが合致し、『俺たちの音楽はこれだ!』と確信した訳です。自分たちが、『なぜバンドをやり続けているのか』と聞かれたら、『30年たってもこの4人でワチャワチャやるのが楽しいから』と答えます。それがGLAYの持っている全てであり、GLAYらしさだったりするんじゃないのかな。今回の作品はいつもと違って、メンバーそれぞれが作ってきた状態をほぼそのままの形で収録しています。それでも、GLAYらしさを感じてもらえたとするならば、『なぜ、GLAYがこの4人なのか』という動機をメンバーが大切に持ち続けているからだと思います」

「バンドが続けられればそれで十分」【写真:冨田味我】
「バンドが続けられればそれで十分」【写真:冨田味我】

結局、ヒットってなんだろう?

――そんなGLAYには多くのヒット曲があります。TAKUROさんにとっての「ヒット曲の定義」とは。

「GLAYは90年代に100万枚売ったら、次は110万枚。20万人集めたら次は21万人みたいな狂乱の世界にいました。そして、『結局、ヒットってなんだろう?』と考えたとき、みなさんが思う数字、売り上げ、チャートといった世の中の定義と今の自分の中の定義は違っていました。今は『バンドが健康な状態で、少しだけ余力(貯金)ができること』が我々にとっての“ヒットの基準”になっています。自分で経営を始めてから、プライベートも含めてちゃんと人生が充実していて、その中でできるGLAYの活動で得られる最大のものをヒットと定義付けしています。決してポップだから仕掛けているとか、マニアックだったらそうじゃないという次元で音楽をやってはいません。みなさんが聞きたい回答になっているか分かりませんが、今は自分たちのライフスタイルに対してヒットなのかどうなのかという感覚を持ちながらやっています」

――現在52歳。人生の折り返しで大切にしていることは。

「実は50を過ぎてから終活を始めているんです。僕自身が会社を経営しているから、明日、自分に何があったとしても会社は大丈夫なようにしておかなくちゃいけない。ミュージシャンとしても、集めたギターや機材をどうするかも含めてちゃんと先のことを考えています。僕の父親は38歳で亡くなったので、僕は38歳から先の人生がなかなか見えなかった時期もありました。そして、数年後には子どもたちが20歳になるし、あとの人生はどこかおまけみたいな感覚があります。だったら、1日1日を大切に生きて、少なくともこの世からいなくなったときに人様に迷惑をかけないというのが僕の生き方です。人間ができることなんてちっぽけですから、せめて妻や子どもたちには『日々の感謝と愛情を言葉で伝えよう』とか、『こういったインタビューでも聞かれたことは言い残しがないように話そう』とかね(笑)。そんな風に心がけています」

――終活や断捨離を行うことで、考え方がシンプルになっていくことはありますか。

「それはあります。30代のときに開高健さんのエッセイに触発されて、『40歳になるまでにやっておきたい100のこと』を書き出してみました。何とかか絞り出して70個しか出せなかったんだけど、40歳になって確認してみたら半分くらい実現できていました。『東京ドームでライブ』とか『オリコン1位』とかね。じゃあ、今度は『50歳になるまでに』を書き出してみると50個もなかった。さらに50代になって書いてみたら、10個しか思い浮かばなかった。これまでGLAYというバンドを通していろんな景色を見て、いろんな人と出会って世界が広がっていったんですが、その中で本当に大切なものって50代になったとき、家族もメンバーも健康でいて、あとはバンドが続けられれば『起きて半畳寝て一畳』。それで十分だなって」

――今年はGLAYと並行して、ソロツアーも12月に予定しています。

「毎年クリスマスの時期にソロライブをやっていて、自分の曲も書き貯めています。こっちはアマチュアの頃みたいに、ライブで演奏してお客さんの感触を確かめてから、いつか作品として発表しようかなと考えています。ギタリストとして今はドロ臭い感じの音楽をやりたいんです。(ファンに向けて)よかったらこっちも遊びに来てください」

□TAKURO(タクロウ)1971年5月26日、北海道・函館市生まれ。88年にGLAYを結成したリーダーでギタリスト。『HOWEVER』『誘惑』『Winter,again』『SOUL LOVE』など数々のミリオンセラーをはじめ、GLAY楽曲の大半を手掛けている。最近では、ソロプロジェクトとして、TAKURO名義でインストアルバムのリリースやライブツアーで全国を回るなど、表現の場を広げている。

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