告発者のカウアン・オカモト、「ジャニー氏を恨み切れない思いは今でもあります」 “名称変えない”は「むしろマイナス」と疑問視
ジャニーズ事務所の故ジャニー喜多川元社長による性加害問題を告発した、元ジャニーズJr.で、アーティストのカウアン・オカモトが8日、都内の日本外国特派員協会で記者会見を実施。7日にジャニーズ事務所が謝罪会見を開いたことを受け、自らの心境を明かした。
「新社長の東山さんもおっしゃっていましたが、一生の命を懸けて臨むことは本当に必要だと思っています」
ジャニーズ事務所の故ジャニー喜多川元社長による性加害問題を告発した、元ジャニーズJr.で、アーティストのカウアン・オカモトが8日、都内の日本外国特派員協会で記者会見を実施。7日にジャニーズ事務所が謝罪会見を開いたことを受け、自らの心境を明かした。
27歳のカウアンは、ジャニー氏から、ジャニーズ事務所に所属していた当時の2012年から14年にかけて、15~20回ほど性被害に遭ったと告白。最初の被害は中学3年生の終わりごろといい、16年に20歳で事務所を退所している。今年4月に同協会の会見で性的被害を訴えたことで、国内メディアが報じるなど社会問題につながった。
ジャニーズ事務所の会見では、ジャニー氏による性加害の事実を正式に認めて謝罪。藤島ジュリー景子代表取締役社長の引責辞任と、所属俳優・東山紀之の新社長就任などが発表された。
カウアンは会見で、「事務所が性加害の事実を認め謝罪をし、被害者の補償を進めていくことを発表したことで、心が少し楽になりました。社長も交代し経営体制が一新されることが発表されました。今ジャニーズ事務所に僕からこれ以上何かを言うことはもうないと思います」と受け止めについて言及。他方で、「しかし、僕を含めて被害者の方々の傷が癒えることはそう簡単にいかないことは心に刻んでほしいです。新社長の東山さんもおっしゃっていましたが、一生の命を懸けて臨むことは本当に必要だと思っています」と、被害者としての思いを語った。
性的被害を告発した直後の今年5月、カウアンはジュリー氏と面談。ジュリー氏から直接謝罪を受けた。「お会いして早々、僕が苦しい思いをしてきたことについて謝っていただきました。寄り添っていただく気持ちを感じました」と振り返った。
その上で、ジャニーズ事務所の所属タレントについて、「タレントたちに罪はないです。僕が見てきたジャニーズのタレントというのは、どんな厳しい状況の中でも、笑顔でステージに立ち、ファンの皆さんに夢と希望を感じさせる存在でした。そして、4月の会見でもお話しましたが、僕自身はジャニーズ事務所という場についての感謝と、エンターテインメントの夢を見させてくれたジャニー氏を恨み切れない思いは、世間にグルーミングと言われても、今でもあります。自分自身を認めるためにも、過去を全否定することはできません」。ジャニー氏に抱く思いについても明かした。
所属タレントたちがジャニー氏に対してどのような思いを持つのかということを巡っては、ジャニーズ事務所の会見で、東山は「喜多川氏のやったことは鬼畜の所業」と断罪。同席したジャニーズアイランド社長の井ノ原快彦は「何てことしてくれたんだ、いい加減にしてくれと」と糾弾した。
質疑応答を通して、カウアンはジャニー氏への思いについてさらなる説明を行った。
「僕は感謝の思いについてスピーチで述べて、東山さんと井ノ原さんは逆のことをおっしゃっていました。僕にとって感謝は感謝で、(エンターテインメントとして)人生にとって大事なものを得られた経験もあり、それは消えません。ただ、もし彼が生きていて会うことになっても、仲良くしようぜとはなれません。『ゆるす』は、『受け入れる』ほうではなく、『ほどこす』と書く意味のほうです。憎しみや恨みを持って、ジャニー氏に何かをすることではないです。それよりも真実を知りたいという思い、すべての経験が無駄とならないように、このことを繰り返さないように、子どもたちや社会に示すことに意味があると思っています。彼に何か復讐(ふくしゅう)しないためにも、感謝を持って、『ゆるす』思いで進みたいと思っています」と胸中を明かした。
一方で、ジャニーズ事務所が、ジャニー氏の名前を冠した名称を、現時点で変更しない方針を示したことについては疑問を示した。「ジャニーズの名前を使い続けることにはびっくりしました。僕はほぼ100の可能性で変わると思っていました。(変わることになれば)寂しい思いはありますが、世間の反応を見ても同意見だと思う部分はすごくあって。人々を笑顔にしてきたジャニーズの功績が消えることはないですが、このような中で、ジャニーズと言う名前を使い続ける、継続することはむしろマイナスだと思いますので、僕は変わった方が、会社も一変してやっていけると思います」と見解を述べた。
日本で日系ブラジル人の両親の下で育ち、音楽を心の支えに生きてきた。自身の今後について、「これから先、僕はもう前に進みます。このような行動を取った責任、過去からは逃げずにいたいと思いますが、できるだけ前を見ていきたいです。日本、そしてブラジルを代表できるアーティストとして必ず帰ってきます」と力を込めた。