ジャニー氏性加害問題の経緯 1960年代から指摘→80年代暴露続々→04年司法で認定…メディア沈黙で被害拡大

ジャニーズ事務所による記者会見が、7日午後2時から都内で行われる。ジャニー喜多川前社長による性加害問題をめぐる初の会見で、加害の事実を認めるのか、被害者救済への取り組み、新体制などが焦点となる。ジャニー氏の死後から約4年。「マスメディアの沈黙」も含め、この問題がクローズアップされてからの動き、本日までの経緯をまとめた。

ジャニーズ事務所【写真:ENCOUNT編集部】
ジャニーズ事務所【写真:ENCOUNT編集部】

午後2時からジャニーズ事務所が性加害問題で初会見

 ジャニーズ事務所による記者会見が、7日午後2時から都内で行われる。ジャニー喜多川前社長による性加害問題をめぐる初の会見で、加害の事実を認めるのか、被害者救済への取り組み、新体制などが焦点となる。ジャニー氏の死後から約4年。「マスメディアの沈黙」も含め、この問題がクローズアップされてからの動き、本日までの経緯をまとめた。

 同問題は1960年代から週刊誌で指摘され、80年代から暴露本が多数出版されてきた。99年には、週刊文春がジャニーズ事務所に関する記事を14週連続で掲載し、元ジャニーズJr.らが被害を告発。ジャニーズ事務所は発行元の文藝春秋を名誉毀損(きそん)などで提訴したが、最高裁まで争った末に2004年2月24日、司法の場でジャニー氏による性加害が認定された。だが、ジャニーズ事務所は性加害の事実関係を調査するなどの対応はなかった。

 以降もジャニー氏の性加害は続いたとされ、今年4月12日に記者会見した元ジャニーズJr.でミュージシャンのカウアン・オカモトは、事務所入所の12年から退所の16年までに「15~20回の被害を受けた」と告白した。

<ジャニーズ性加害問題の経緯>

1960年代 週刊誌でジャニー氏の性加害問題が報じられるようになった。65年には、ジャニー氏がダンス、歌の指導で関わっていた新芸能学院の学院長が「男子生徒15人に対して性加害行為をしていた」とし、ジャニー氏を追放。その際のトラブルで学院長はジャニー氏を提訴。性加害の事実は認定されず。

80年代 ジャニー氏に対する暴露本が多数出版。元フォーリーブスの北公次氏は88年に著書の『光GENJIへ』(データハウス刊)で性加害を告白。

99年 10月から14週連続で週刊文春がジャニーズ事務所の特集記事を掲載し、ジャニー氏による性加害問題も取り上げた。元ジャニーズJr.やジャニーズ事務所OBの告発内容も掲載。

2000年代 ジャニーズ事務所とジャニー氏が週刊文春の発行元となる文藝春秋を東京地裁に名誉毀損で提訴。02年3月27日、文藝春秋の名誉毀損と不法行為責任を認める判決。03年7月15日、東京高裁での第2審判決では第1審を覆して、ジャニー氏のセクハラに関する記事が真実性の要件を充足して違法性が阻却されると認定。ジャニーズ事務所は判決を不服とし、上告したが、最高裁は04年2月24日に上告を棄却。東京高裁判決が確定し、ジャニー氏による性加害が司法の場で認定された。しかし、大半のメディアが詳報せず。事務所による性加害調査もなく、ジャニー氏は社長を継続。

19年7月9日 ジャニー氏が87歳で死去。

23年3月18日 英国の公共放送局BBCが、ドキュメンタリー動画『JPOPの捕食者 秘められたスキャンダル』と題した番組を日本で配信。ジャニー氏に性加害を受けたとする元ジャニーズJr.の証言などを紹介。

4月12日 カウアン・オカモトが日本外国特派員協会で記者会見を行い、複数回にわたってジャニー氏による性加害を受けた旨を訴えた。それを契機として、ジャニー氏の性加害が国内のメディアでも取り上げられるようになった。

5月5日 オカモトがジャニーズ事務所代表取締役社長の藤島ジュリー景子氏と面談。

5月14日 ジュリー氏が、ジャニー氏による性加害に関するジャニーズ事務所の見解と今後の対応を説明する動画を事務所公式サイトで発表。

5月26日 林眞琴氏(元検事総長、弁護士)、飛鳥井望氏(精神科医)、斎藤梓氏(臨床心理士)の3人による「外部専門家による再発防止特別チーム」を組成。調査を開始。

6月12日 特別チームが初めて会見。調査方針を説明。

8月29日 特別チームが2度目の会見で調査報告書を公表し、ジャニー氏による性加害を認定。同族経営の弊害を指定し、ジュリー氏が代表取締役社長から退任することなどを提言した。同書では、「マスメディアの沈黙で被害拡大」とし、問題を詳しく報じてこなかったテレビ、新聞などメディアの責任も指摘。

8月31日 ジャニーズ事務所が9月7日に事務所として初めて記者会見をすると発表。

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