【週末は女子プロレス♯117】「Rayは女性がほしいものすべてを備えてる」 死去から5年、メモリアル大会では故人のマスクにコスチュームで追悼

5年前の2018年8月30日、マスクウーマンとして活躍していたRayさんが、悪性脳腫瘍のため亡くなった(年齢非公表のため享年非公開)。主戦場のひとつだったPURE-Jでは毎年、Rayさんに捧げるメモリアルマッチ、メモリアル大会を開催している。今年は8月17日、東京・板橋グリーンホールにてプラム麻里子さんメモリアルと同時開催。「故Rayさんメモリアルスペシャルタッグマッチ」としてLeon&小林香萌組vsライディーン鋼&みなみ飛香組のカードを組んだ。

Rayさんに捧げるメモリアルマッチ、メモリアル大会が開催された【写真:新井宏】
Rayさんに捧げるメモリアルマッチ、メモリアル大会が開催された【写真:新井宏】

ボリショイが語るRayさんとの思い出

 5年前の2018年8月30日、マスクウーマンとして活躍していたRayさんが、悪性脳腫瘍のため亡くなった(年齢非公表のため享年非公開)。主戦場のひとつだったPURE-Jでは毎年、Rayさんに捧げるメモリアルマッチ、メモリアル大会を開催している。今年は8月17日、東京・板橋グリーンホールにてプラム麻里子さんメモリアルと同時開催。「故Rayさんメモリアルスペシャルタッグマッチ」としてLeon&小林香萌組vsライディーン鋼&みなみ飛香組のカードを組んだ。

 試合は、RayさんのタッグパートナーだったLeon、空中戦を得意とする小林を中心にスピーディーな展開となり、最後は真琴の体調不良により急きょ出場した飛香を小林がウラカン・ラナで仕留めてフィニッシュ。大会の合間にはPURE-J代表のコマンドボリショイがRayさん作詞の「Day Break」を熱唱、Rayさんへの思いを届けた。ボリショイは、Rayさんとの出会いをこう振り返る。

「2003年にJWP(現PURE-J)が選手会興行をしたとき、さくらえみから『デビューさせたい子がいるからリングを貸してほしい』と言われたのが最初ですね。開場までの間に練習してた彼女を見て、えらい運動神経のいい子だなと思ったのが第一印象です」

 Rayさんは、我闘姑娘の生え抜き第1号として零のリングネームでデビュー。07年4月、ベテランと若手がタッグを組む「ディスカバーニューヒロイン・タッグトーナメント」でJWP初参戦。ここからボリショイとの関係が深くなっていく。

「息吹(吉田万里子自主興行)に出るようになってから話す機会が増えました。最初は、どのようにしてレスラーになったの?とか聞いたと思います。JWPも新人を獲得したかったので、こうやって新しい子を集めるんだと参考にさせてもらいました。そこから逆に、Rayからもいろいろ私に聞いてくるようになったんです。フリーになって自主興行するので、どうやってチケットを売るのかとか、どうしたら大会が成立するのかとか。Rayってすごく甘え上手で、私から情報を聞き出しては実践して。でも、大会が終わればいっさい連絡してこなくてコノヤロー!みたいな(苦笑)。でも憎めない(笑)。営業マンとしても素晴らしい才能を持ってて、彼女の大会はすべて成功だったと思いますよ(自主興行を9回開催!)」

 フリーとして活動し、NEOハイスピード王座を争ったLeonとのマスクウーマンコンビで「タッグリーグ・ザ・ベスト2012」にエントリー。ここからJWPへの本格参戦がスタートし、12年9月にJWPタッグ&デイリースポーツ認定女子タッグ王座に初挑戦。14年12・28後楽園でボリショイ&木村響子組を破りタッグ2冠王座を奪取すると、翌年7月まで4度の防衛に成功。タッグ戦線の中心人物となったのである。

 しかし、15年11・1板橋での3WAYマッチ(LeonvsボリショイvsRay)が結果的に最後のJWP参戦となってしまう。年末の後楽園大会への出場が決定していたものの、体調不良から見送られたのだ。

「この年の10月に私とシングルマッチをして、このときは問題なかったんですけども、12月の初頭くらいに忘れ物が多くなってきて頭も痛いとの話を聞いたんです。当時、Rayは私やハヤブサ選手と一緒にライブイベントもやっていたんですが、ハヤブサ選手の助言から検査を受けた方がいいと。本人は(後楽園大会に)出ますと言っていたんですけど、脳腫瘍の可能性があるので医師の話をよく聞いてほしいと言って、欠場してもらいました」

 年が明けて16年2月17日、会見にて左目視床付近に悪性の腫瘍があることが発表され、5月には水頭症の手術を受けた。8月7日には超戦闘プロレスFMWで「Rayエイド」を開催。闘病中のRay自身も来場し、腫瘍が小さくなっていることを報告、復帰への意欲を見せていたのだが、8月30日に帰らぬ人となってしまう。死去については翌日、PURE-Jが公表した。

「(15年末の)後楽園大会後に病名が明らかになったと思うんですけど、Rayは『大丈夫です』と言ってトレーニングもしていました。実際、しばらくは私生活にはなんの問題もないくらいだったんですよ。病名を知ったときも、なんでこんなに元気な子が?と信じられませんでした。なのに、こういうことになってしまった。彼女はフリーで事務所があるわけでもない。だったら家族ぐるみでずっと連絡を取り合っていたこちらで発表、報告しようと。突然、亡くなられましたとなっても実感わかないと思うので、Rayのための大会、Rayがみなさんにちゃんとお別れが言える大会を開こうと思って、3か月後(18年11・30)に追悼大会を新木場で開催しました」

Rayは「きれいでカッコよくて華がある」

「Ray追悼興行VIVA Ray」と題された大会では、Rayさんのマスクやコスチュームを家族から借りて故人を追悼。ボリショイはRayさんのコスチューム姿でリングに上がり、Rayさんを思い出させるようなラ・ケブラーダで宙を舞った。

「実はあのとき、イギリス遠征で右ヒザをケガしていたんですよ。でも、溜まっている血を前日になんとか抜いて、試合に臨みました。ケブラーダはRayが飛ばせてくれたんだと思います」

 以降、PURE-Jでは毎年命日の前後にRayさんを追悼する試合、大会を開催。今年の会場となった板橋グリーンホールはRayさんにとってJWP初参戦の場所であると同時に、最後の参戦にもなった場所。また、「Rayエイド」が開催されたのもこの会場だった。さらには、8月17日がちょうどプラムさんのデビュー記念日とあって、プラム麻里子さんメモリアル開催にも絶好のタイミングだった。「ほかの日は全部埋まっていたのに、なぜかこの日だけ空いていたんですよね」とボリショイ。板橋を選んだのは意図したわけではなく偶然というが、日付とともに偶然の重なりは、やはり何かの縁があるに違いない。

 また、8・17板橋では、プラムさん、Rayさんとともに、山本小鉄さん、亜利弥’さんを追悼、JWPとゆかりある故人を偲んだ。

「Rayって、女性がほしいものすべてを備えてる人なんですよ。気品もあるし、かわいらしさもあるし、プロレスラーとしての身体能力も高くて、きれいでカッコよくて華がある。すべてにおいてバランスがとれているんですよね。それでいてすごくアクティブ。私が主宰するミュージックジャムでは、『私も弾き語りをやりたい!』と言って、1か月後くらいには自分でピアノを弾いて、自分で作詞した『Day Break』を聞かせてくれたり。また、私がボディービルのコンテストに出るとなったら『私も出ます!』と言って私より上位を取っていくという(笑)。ちゃっかりしているというか、私を慕ってくれる、かわいい妹みたいな存在でしたよね。そんなRayを忘れてほしくないし、Rayも忘れられたくないと思っているでしょう。ファンの人たちにもあらためてRayを思い出せる日になったらいいなと思って、メモリアルをこの時期に開催しています」

 Rayさん、プラムさん追悼の試合をおこなうのは、故人から学んだ教訓を現役選手に伝えていく目的もある。ボリショイ自身も病気が原因で現役生活にピリオドを打った。が、先人たちの教えはこれから先も後輩たちに伝授できる。そんな役割を担って、ボリショイはRayさんの意志を継いでいくつもりだ。(プラム麻里子さんメモリアルについては「週末は女子プロレス♯11」を参照)

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