K-POPにハマる歌唱法「声門閉鎖」 言語学者が解説「駆使は鍛錬のたまもの」
韓国・朝鮮語やハングル研究の第一人者である野間秀樹・元東京外国語大大学院教授が単行本『K-POP原論』(ハザ刊)を出版し、グローバルな人気を集めているK-POPの魅力を解説している。特に注目しているのが、YouTubeなど動画サイトで配信されているK-POPアーティストのミュージックビデオ(MV)と歌唱法だ。ENCOUNTは美術家としても活動する野間氏をインタビュー。今回の「後編」では、韓国語ラップが耳と胸に刺さる理由とK-POP独特の歌唱法『声門閉鎖』について、言語学的な観点から語っている。
『K-POP原論』の著者・野間秀樹氏インタビュー「後編」
韓国・朝鮮語やハングル研究の第一人者である野間秀樹・元東京外国語大大学院教授が単行本『K-POP原論』(ハザ刊)を出版し、グローバルな人気を集めているK-POPの魅力を解説している。特に注目しているのが、YouTubeなど動画サイトで配信されているK-POPアーティストのミュージックビデオ(MV)と歌唱法だ。ENCOUNTは美術家としても活動する野間氏をインタビュー。今回の「後編」では、韓国語ラップが耳と胸に刺さる理由とK-POP独特の歌唱法『声門閉鎖』について、言語学的な観点から語っている。(取材・文=鄭孝俊)
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――野間さんはK-POPのMVを「Kアート」と呼んでいます。表現上の特徴は何ですか。
「K-POPのMVの存在様式や存在の仕方が、既存の音楽のありようを越えていることは前編で申し上げました。K-POPのMVを音楽の枠内に押し込めて鑑賞しようとすると、あれこれ無理が生ずるわけです。このK-POP・MVの表現様式は非常に広い幅がありますが、何と言っても、多元主義、多極主義が特徴です。一元的なヒエラルキーでまとめるのではなく、全体主義などではさらさらなく、アーティストたちそれぞれが自由に生きている。あなたがいて、私がいて、皆が違っているけれど、それぞれが確かに存在している。多元的な共生です。BTSやBLACKPINK、最近ではFIFTY FIFTYが典型です。それでもMVは見ただけで『これはK-POPだ』と人々が感じられるような、様式上の強い傾向があります」
――メンバー全員が日本人、韓国人メンバーが1人もいないK-POPグループが次から次に誕生し、複数の言語が使われています。K-POPにおける韓国語の役割をどう考えますか。
「例えばBLACKSWAN。文字通り、マルチエスニックなグループの『Karma』という美しいMV作品は、韓国語と英語を混在させて歌われています。この複言語主義もKアートの特徴です。アーティストたちの言語的力量の負担がすごいですが、逆にXGというグループの傑作『MASCARA』は基本的に全部英語です。韓国語圏ではK-POP的な様式ではあるけれども、英語圏の曲と感じられるかもしれないわけです。
さらには韓国の事務所HYBEが関わってはいますが、日本のMOONCHILDというグループの英語曲『Photogenic』など、ことばを除けば日本的な感性は濃厚です。しかし、かなりK-POP的で実に面白い作品です。一部を韓国語で歌ってくれたら、韓国はもちろん、国際的にかなりヒットするのではなどと想像したくなります。そうして見ると、韓国語という言語は音や光や身体と違ってかなり強靱な独自性を示すわけです」
――その強靭な独自性は韓国語の何に由来するのでしょうか。
「言語の性質のもたらすところが、大きいです。日本語圏の人々には、韓国語という言語がはるかに密度の濃い音となるからです。例えば英語の『rap』という単語は、日本語では『ラ・ッ・プ』という3拍になりますが、韓国語では『rap(レプ)』という1音節になります。日本語では3つの音符が必要なところに、韓国語では1つの音符ですむわけです。これは強調したいのですが、どちらが良い悪いとは関係ありません。日本語でもラップはできるわけです。
ただ、言語ごとの音の性質によって、できあがるラップの性質、言語音の性質が異なるのです。そして、韓国語的な高密度感が日本語にはないので、日本語話者には耳と心に刺さるわけです。なお、高密度という点では、英語やフランス語なども同様ですが、音節末の子音がビシッと閉じたままで開かないという点では、韓国語は徹底しているのです。例えば『rap』の『p』を発音する際、英語は両唇を閉じてからわずかに開きますが、韓国語は唇を閉じるだけで開かないのです。
p,t,k,l,m,n,ng,これら韓国語の音節末に立つ7つの子音は全て同様です。m, n, ngといった鼻音も閉じて終わるところはかなり特徴的です。フランス語などは子音を開くので、n音で終わっている『セン』川が日本語圏の人々には『ウ』という母音つきで『セーヌ』川に聞こえるわけです。韓国語のラップでも詞でも、脚韻を踏ませる際などには、こうした性質を徹底して生かすわけです」
――韓国語の持つ高密度感の他にも、K-POPには喉を絞るような歌唱法が頻繁に現れます。
「声門閉鎖ですね。もともと韓国語には喉の奥、声帯にある声門を『きゅっ』と閉じたり、のどの著しい緊張を伴って発音したりする濃音(のうおん)という発音があります。日本語で『一杯やっか』の『か』の子音などがちょっと濃音に似ています。IVE『LOVE DIVE』やBTS『血、汗、涙』、aespa『Spicy』では、歌い出しの頭に声門閉鎖が現れます。通常の会話でも、歌でも韓国語ではこんなところに声門閉鎖を入れる必要は全くありません。明らかに意識して導入しているわけです。
アーティストが鍛錬を積んでいることは間違いないでしょうが、アーティストたちがまるで天性のもののようにやってのけるところが、達人の達人たるゆえんです。英語圏では唱法としてどれだけの歌手に広く行われているかは、広すぎて把握はできませんが、例だけならすぐに見つけられるのがK-POPのまたいいところです。BTSジョングク氏の大ヒット中のソロ曲『Seven』ではボーカル部分ではなくLatto氏の英語ラップのパートに声門閉鎖がかなり現れています」
――K-POPアーティストの歌い方に伝統芸能の影響はありますか。
「Stray Kidsの『ソリクン(Thunderous)』は非常に興味深いです。『ソリクン』とは朝鮮の伝統的民俗芸能で口承文芸であるパンソリの唱者を意味することばです。パンソリについては、1993年の映画『風の丘を越えて/西便制』をご覧になるとよく分かります。『ソリクン』のこの「ク」の子音も濃音で声門閉鎖つきです。パンソリにも声門閉鎖は多数現れます。韓国ではヒップホップもラップも生活に深く根を下ろしていて、どこにでもある音楽として受け入れられています。バラード曲にもラップが入る。ラップはいわば血肉と化していてK-POPの深いところではパンソリの遺伝子が絡み合っているのです。こんなところにもKアートのK的なものが息づいているわけです。いやほんとに楽しいです」
□野間秀樹(のま・ひでき)福岡県出身。言語学者、美術家。東京外国語大大学院教授、ソウル大学校韓国文化研究所特別研究員、国際教養大客員教授、明治学院大客員教授などを歴任。著書に『言語存在論』(東京大学出版会)、『言語 この希望に満ちたもの』(北海道大学出版会)、『新版 ハングルの誕生』『韓国語をいかに学ぶか』(平凡社)、『新・至福の朝鮮語』(朝日出版社)、『史上最強の韓国語練習帖 超入門編』(ナツメ社)、『K-POP原論』(ハザ)など。編著書に『韓国語教育論講座1-4』(くろしお出版)、『韓国・朝鮮の知を読む』(クオン)。共編著に『韓国・朝鮮の美を読む』(クオン)など。今月25日には『図解でわかる ハングルと韓国語』(平凡社)が刊行される。大韓民国文化褒章、アジア・太平洋賞大賞、パピルス賞、ハングル学会周時経学術賞、現代日本美術展佳作賞なども受賞。早稲田大エクステンションセンター中野校で韓国語講座を担当(9月27日から秋講座開講)。今月18日から全5回のオンライン講義「韓国語はいかなる言語か」をNHKカルチャー梅田教室で開講。