吉本新喜劇・桑原和男さんを追悼 池乃めだか「残念で仕方がない」、間寛平「何も怒らない人でした」
吉本新喜劇の桑原和男(くわばら・かずお)さん(本名・九原一三、くはら・かずみ=享年87)が10日、老衰のため、神戸市内の病院で逝去したことを受け、同劇での共演者らがコメントを発表した。
10日に老衰で死去 87歳
吉本新喜劇の桑原和男(くわばら・かずお)さん(本名・九原一三、くはら・かずみ=享年87)が10日、老衰のため、神戸市内の病院で逝去したことを受け、同劇での共演者らがコメントを発表した。
池乃めだか「丁度、昨日『お兄さん元気にしてるかな?』と思っていた所でした。僕が新喜劇に入った頃からご指導を受け、大変お世話になった大先輩でした。1日でも長く生きてほしいと願っていましたが、残念で仕方がないです。ご冥福をお祈りします」
間寛平(吉本新喜劇GM)「桑原兄さんが新喜劇の中で一番年配で歴も上で、その次に自分、その後めだかちゃん、末成由美ちゃんでした。僕は桑原兄さんの座にいれてもらってました。その時は何も怒らない。好きなようにさせてくれました。桑原兄さんも好きなようにやるし、マイペースな人でした。長いこと新喜劇を支えてきてくれて本当にお疲れ様でした。これからは桑原兄さんの分もみんなで頑張っていきたいと思います」
内場勝則「また1人、吉本新喜劇のレジェンドが遠くへ逝かれました。創成期から活躍され、時には厳しく、時には若手に混じり髪の毛を金髪にしたり、お茶目なところもあり、第一線を走り続けてこられました。舞台にこだわり続けた本当の喜劇役者。寂しいですが笑ってさよならと言います。『ごめんください、どなたですか?後輩の内場です、ゆっくりお休み下さい、ありがとう~』。よろしくお願いします。『神さま~!』。ご冥福をお祈りします」
川畑泰史「『売れようと思った事は1回もない。ただ笑いが好きでお芝居が好きなだけでやってきた』。昔、おっしゃっていた大好きな言葉です。皆で受け継いでいきます」
桑原さんは、福岡・小倉市(現北九州市)出身。1955年の高校卒業後、教師を志し、福岡の教育大を受験した後、大阪で夢路いとし・喜味こいしに弟子入りし、同年に新芸座に入った。翌56年、秋田實が立ち上げた上方演芸株式会社発足と同時に漫才師となり、「原こちら」の芸名で漫才の舞台に。3回コンビ別れを経験した。3人目の相方は平参平で、地方巡業も行った。61年、吉本新喜劇の前身「吉本ヴァラエティ」に入団、70年代に座長に抜てき。89年の『吉本新喜劇やめよッカナ?キャンペーン』ではベテランとして残留し、新喜劇の復活を支えた。92年には「上方お笑い大賞」金賞を受賞している。
2000年7月に急性心筋梗塞で手術して入院。静養を経て同年12月に舞台復帰。その後は、体調に配慮しながら活動を続け、18、19年には「コヤブソニック」、19年3月には「60周年だよ!よしもと新喜劇」に出演した。20年10月の「よしもと大笑い祭り寄席」が最後の舞台となった。最近では、22年11月になんばグランド花月に来場し、車いすで新喜劇を観覧していた。
座長時代までは普通の好青年役を多く務めたが、その後は小柄でやさしい顔立ちであることから、母親役やおばあさん役といったいわゆる女形「桑原和子」を務め、和子ばあちゃんは新喜劇ファンならずとも関西ではおなじみのキャラクターとなった。
代表的なギャグは、「ごめんください! どなたですか? お入りください ありがとう」や、垂れ乳を取り出し自分で揉みだす一人芝居のほか、ツィゴイネルワイゼンのBGMに合わせて「神様、神様~!」と一人しゃべりを始めるものなど、記憶に残るものが多数ある。通夜は本日11日、葬儀・告別式は12日に近親者で執り行う予定。葬儀・告別式の場所、自宅住所、喪主は非公表となる。