【週末は女子プロレス♯110】日本の女子プロレスに新風、WWE帰りのSareeeの“闘いの原点” 15歳で歩み始めたプロレス道
米・WWEとの契約を終え、5月16日に2年4か月ぶりの日本復帰戦を行ったSareee(サリー)。WWEではサレイとして活動したが、日本ではデビュー時から慣れ親しんだリングネームに戻し、再び日本ならではのハードヒッティングな女子プロレスを実践している。復帰戦では橋本千紘とのシングルで敗れはしたものの、日本の闘いを忘れていない彼女の気持ちが何よりも光った。そこには井上京子や伊藤薫から教わった原点のプロレス、すなわち、彼女の目指す“闘い”があったのだ。
2年4か月ぶりに日本復帰、8月にはKAIRIと夢の初タッグ
米・WWEとの契約を終え、5月16日に2年4か月ぶりの日本復帰戦を行ったSareee(サリー)。WWEではサレイとして活動したが、日本ではデビュー時から慣れ親しんだリングネームに戻し、再び日本ならではのハードヒッティングな女子プロレスを実践している。復帰戦では橋本千紘とのシングルで敗れはしたものの、日本の闘いを忘れていない彼女の気持ちが何よりも光った。そこには井上京子や伊藤薫から教わった原点のプロレス、すなわち、彼女の目指す“闘い”があったのだ。
そもそもSareeeがプロレスに興味を持ったのは、アントニオ猪木の大ファンだったという父の影響。物心ついたときからテレビでプロレスを見ており、小学1年生で女子プロレスも知った。初観戦は東京キネマ倶楽部でのNEO。「アメージング・コングさんが怖かったのを覚えています」と当時を振り返ったSareeeは、その頃から強いプロレスラーを夢見ていたという。「元気美佐恵さんとか、田村欣子さん。常にベルトを巻いているような強くてカッコいいプロレスラーに憧れました」。週末になると会場に足を運ぶ常連ファンに。将来はプロレスラーになろうと、幼心に決めていた。
具体的に動いたのは中学3年生になった頃。プロレスラーになりたいとの意志を告げるつもりで5月の後楽園大会を観戦。ところがその日、京子がリング上から退団を発表し、年内での団体解散も明らかになった。「すごいショックでした。入門したいと言えず、結局その日はそのまま帰るしかなかったです……」。
しかし、誰かから聞いていたのか、京子から直接彼女に連絡が来た。「新団体(ディアナ)を旗揚げするから、よかったら一緒にやらない?」。京子からのスカウトである。
「もううれしくて、やりますと即答させていただきました。夏くらいから京子さんとマンツーマンで練習させていただいたのが、プロレスラーへの始まりですね」
リングネームをSareeeとし、2011年3月のデビューも決まった。ところが東日本大震災の影響で旗揚げ戦が延期。予定より1か月遅れてのデビュー戦は、セミファイナルで相手が里村明衣子という、15歳の少女にはあまりにも大きな試練だった。
「選手たちはメインの準備でバタバタしてて、入場するとき私はひとりだったんですよ。夢か現実かわからないような状況のなか、入場曲が鳴ってもどのタイミングで出ていいのかわからなくて。花道に出ていったときにまわりにお客さんがたくさんいて、圧倒された感覚をおぼえています」
初戦で里村を相手に玉砕したSareee。その後もディアナでは大ベテランとの対戦が中心になった。ディアナでは若い選手が次々と退団。気が付けば若手はSareeeほぼひとりという状況が当たり前になっていた。「何回もやめたいと思いましたけど、何もわからずこの世界に飛び込んで、何もわからずについていくだけで精いっぱいでした。何も考えられなかったのがかえってよかったのかもしれませんね(笑)」。
デビューから1年間は京子の方針か、他団体への参戦が極力限定されていた。隣の芝生は青く見えるもの。他団体の若手とのコンタクトを極力控えさせ、ディアナでの活動に集中させた。長い目で見れば、これは正解だったのだろう。Sareeeはレジェンドたちとの対戦で、若手随一と言える打たれ強さを身に付けていったのだ。ジャガー横田とのタッグでベルトも巻いた。しかし、ジャガーはSareeeを突き放しヒールユニットCRYSIS(クライシス)を結成。若手の台頭が遅れている現状に危機感(クライシス)をおぼえ、Sareeeら若手を“泣かせて”鼓舞するという目的から、あえて心を鬼にしたのである。
若手時代は井上京子、ジャガー横田、アジャコングらに揉まれ力をつけた
京子、ジャガー、アジャコングらに揉まれて力をつけていったSareee。18年7月、京子からディアナ至宝のWWWD世界シングル王座を奪取し、19年5月にはアジャに奪われたベルトを奪回。「ディアナは私が引っ張っていく」。そう決意した頃、海外からのオファーが届いた。世界一のプロレス団体、WWEからの契約要請だ。
「WWEの日本公演には3年連続くらい見に行っていたんですよ。ただ、まだまだ自分には別物に映っていて、自分があのリングに上がるなんて考えてもいなかったです。もちろん声をかけていただいたことはすごくうれしかったです。ただ、すごく迷いましたね。それでも、WWEって誰もが足を踏み入れられる場所ではないし、これもタイミングなのかなと思いました。プロレスラーとしてデビューしたからには、二度とないかもしれないこのチャンスを生かしたいとも思いましたね」
そしてSareeeはWWE入りを決断。20年1月にディアナ退団を発表し、翌月にはWWEとの契約も明らかにした。ところが新型コロナウイルスの世界的感染拡大で渡米が延期となり、国内外で試合がまったくできない状態となってしまう。それでも同年8月、WWE所属のまま日本での活動が認められ、21年3月にようやく渡米が実現、4月にサレイとしてNXTデビューを果たすことができた。
しかしながら、コロナ禍は続いており、通常のWWEとはまた違う環境も強いられた。「毎日コロナの検査がありましたし、最初の頃は練習も少なかったです」。本来ならば全米はもちろん世界中で試合をするWWEだが、当初はハウスショーもなく、トレーニング場であるパフォーマンスセンターでの無観客試合も多かった。
コロナ禍も沈静化しつつあり、Sareeeの活躍もここからが本番か。そんな雰囲気が漂い始めた22年7月にNXT UKで里村とタッグを結成、翌月には里村の女子王座に挑むことにもなっていた。ところが、当日のリング上で突如中止に。結果的に8・2パフォーマンスセンターでのマンディ・ローズ戦がWWE最後の試合となってしまう。メインロースター昇格やPPV、レッスルマニア参戦などやり残したことはたくさんあるだろう。しかしSareeeは契約延長をせず、自分の意志で日本復帰の道を選んだのである。
「ベルトほしかったなという思いは確かにあります。でも、動けるうちに自分のやりたいプロレスをやりたいと思いました。たかが2年半ですけど、WWEで得たものは多かったです。すごく勉強になったし吸収できたので、このタイミングかなと。なので、全然後悔はしていないですね」
そして、5・16新宿FACE「Sareee―ISM~Chapter One~」で日本復帰。8月4日には第2弾「Sareee―ISM~ChapterⅡ~」が同所にて開催される。メインはもちろんSareeeで、元WWEスーパースター、KAIRIと夢の初タッグを結成、中島安里紗&彩羽匠組と対戦という豪華カードが待っている。
KAIRIも元WWEだが、Sareeeとは行き違い。WWEのPPVでメインを張るなど多くの偉業を成し遂げたKAIRIもまた、Sareeeと同じような境遇にある。両者ともWWE退団からブランクを経て日本マットに復帰し、現在はフリー的な立場でリングに上がっている。どちらも試合だけでなく、WWEスーパースターの立ち振る舞いやカリスマ性に大きな刺激を受けた。もしもWWEで組んでいたらどうなっただろう? そんな想像力を膨らませてくれる夢のタッグが日本で実現するのだからたまらない。
Sareee&KAIRI組がWWEのエンターテインメント性を体感吸収したタッグなら、対する中島&彩羽組はストレートなジャパニーズスタイルと言えるだろう。両者とも団体のエースで、Sareeeとの関係も深い。SEAdLINNNG8・25後楽園でのタイトルマッチも決まった中島は、Sareeeの渡米前ラストマッチ(21年1・22新木場)でタッグ王座を奪った相手であり、ライバル関係にあるMarvelousの彩羽とは19年12・3新宿での「Sareee自主興行」以来の対戦となる。また、KAIRIには中島との遭遇も刺激的で、彩羽とはスターダムでの先輩後輩の間柄。どの組み合わせをとっても興味深く、よくぞこのカードを組んでくれたと思わずにはいられない。そこにはもちろん、Sareeeの主張する“闘い”が存在している。
「アイドルレスラーは全然いいと思うし、べつにそこを否定しているわけじゃないんです。でも、プロレスの底にあるものってやっぱり闘いであり、プロレスの基本的部分は忘れないでほしいなと思うんですよ」
その思いを身をもって伝えていくのが、Sareeeに与えられた役割なのだろう。闘いとはリング上のプロレスでもあり、生き様でもある。14歳での入門以来、彼女はさまざまな困難を乗り越えリングに上がってきた。たとえばプロテスト前日で骨折し、デビュー戦は震災の影響で延期。SEAdLINNNGからディアナへの復帰戦で骨折し欠場。WWEでの活動もコロナ禍で大幅に遅れた。何かが始まろうというところで必ずと言っていいほど大きな壁が立ちふさがったのだ。しかしながら、そのたびにその壁を乗り越えてきたのが、現在27歳のSareeeである。
「困難を乗り越えてきた原動力? なんだろう? ただプロレスが好きっていう、それが一番強いと思いますね。プロレスは生きがいだし、絶対なくてはならないもの。だからじゃないですかね」と言って笑うSareee。見た目以上の強さが、彼女を“闘い”の場に向かわせるのだろう。(文中敬称略)