山崎裕太、『あっぱれ』後の半生 芸能界に執着なし「いつでも辞めてやると思っていた」

7月1日に放送されたフジテレビ系バラエティー番組『あっぱれさんま大先生同窓会SP』(午後3時30分)に出演した俳優の山崎裕太。3歳の時にスカウトされ芸能界入りした42歳は、来年、デビュー40周年を迎える。現在の心境を聞いた。

インタビューに応じた山崎裕太【写真:山口比佐夫】
インタビューに応じた山崎裕太【写真:山口比佐夫】

来年、デビュー40周年「必ずリベンジしたい」

 7月1日に放送されたフジテレビ系バラエティー番組『あっぱれさんま大先生同窓会SP』(午後3時30分)に出演した俳優の山崎裕太。3歳の時にスカウトされ芸能界入りした42歳は、来年、デビュー40周年を迎える。現在の心境を聞いた。(取材・文=中村智弘)

 デビューしたのは3歳の時。東京・銀座で迷子になっていたところ、スカウトされたという。その後、ファッションやモデルの仕事などを経て、7歳で『あっぱれさんま大先生』に出演すると一気にブレーク。『あっぱれ―』の出演は15歳まで続いた。

「途中、思春期も迎えて、出演するのが嫌な時もありましたね。収録が日曜で、友達はみんな遊んでいる。でも、自分は仕事なんです。もちろん、楽しい日もあるんですが、終始つまらなかった日もあった。最後の2年ぐらいは、もう仕事として割り切ってやっていました」

 もともと、憧れて芸能界に入ったわけではないが、テレビに出れば、次の日には人気者になっていた。山崎は「(芸能界に)何の執着もなかったんで、いつでも辞めてやると思っていた」という。

「中学校1年生ぐらいの時にはアイドル雑誌にも出始めて、『ワーキャー』と言われて……。今と時代が違うので、芸能人見ようと思ったら雑誌を買ったり、テレビを見るかしかない。原宿なんか歩いたら、歩けないぐらい人が集まって警察が来る状況。普通ではないのが本当に嫌でした」

“普通”への強い憧れが、行動の基本となった。友達がやっていることを、とにかく一緒にやった。ヤンチャしたのも、それが理由だ。友達と遊んでいる時だけが、普通に戻れる瞬間だった。

「事務所の車で送り迎えされていたのですが、それも嫌でした。中3の時に現在の事務所(ホリプロ)に入ったんですが、その前にフリーな時期が1年あった。その時は絶対、電車で移動することにしていました。普通がいい。それが自由な気がして、解放された気がしましたね」

 当時、芸能界とは関係ない友達と遊ぶことが心の支えだった。芸能界には染まらない――その思いは今も変わらないという。そして、『あっぱれ-』を卒業した中学3年生の頃、俳優一本でやっていくことを決める。

「『あっぱれ-』をやっている時にも、映画やドラマに出させてもらっていて、行く道はここだなと思ったんです。『あっぱれ-』を卒業して、内山(信二)くんは仕事が減ったと言っていましたが、自分は逆に仕事が増えましたね」

山崎裕太は来年、デビュー40周年を迎える【写真:山口比夫】
山崎裕太は来年、デビュー40周年を迎える【写真:山口比夫】

ターニングポイントは20歳の時、『大江戸ロケット』でゴールデン・アロー賞演劇新人賞

 20歳の時には、大きなターニングポイントとなる出来事があった。劇団☆新感線の『大江戸ロケット』に主演し、ゴールデン・アロー賞演劇新人賞を受賞する。やればできると確かな手ごたえを感じた。

「主演予定だった俳優が急に降板になって、自分のところに話がきたんです。本番まで2週間しかありませんでした。当時、俺の“兄貴分”だったTOKIOの松岡昌宏君とV6の井ノ原快彦君の2人に電話で相談したら、『絶対やったほうがいいよ』と言われて、受けることにしたんです。あの時はドラマの撮影も入っていて、実際に稽古できたのは5日間だけでした。自分に合わせてくれた劇団の人たちは本当にすごいなと思いましたね。努力を続けていれば、こういう風に、日の目を浴びることができるんだと感じました」

 ただし、全てが順風満帆だったわけではない。20代後半は、仕事が失速し始めて、露出が昔よりも減る。今まで周りに集まってきた人たちが、雲の子を散らすように去っていく瞬間も経験した。

「人が離れていった経験は3、4回ありました。そういう意味では、人を見る目は鍛えらましたね。僕はいまだに人を100%、信用していないんです。だから、自分は信用しなくても信用されればいいんだと思っています。その上で、仕事を楽しくやろうという気持ちでやり続けていたら、ここまで来ましたね。長くやる秘訣みたいなことは考えたこともありません。先日も(事務所の先輩の)井森美幸さんと話したんですが、井森さんは『寝て起きたら、今日まで来ていた』と言っていました。僕も、その感覚ですね」

 芝居を語るのはあまり好きでなく、友達は俳優よりもアーティストが多いという。特に「本当の親友で、何度も助けられた」というのが、6人組ロックバンド・UVERworldのボーカル、TAKUYA∞だ。

「出会ったのは13、4年前。過ごした時間の濃さがちょっと尋常ではないですね。1年のうち、250日ぐらい一緒にいた時もありました。TAKUYA∞から『絶対に来て』と言われて、なぜか彼らのツアーに僕もいるという状況でした。スタッフも含めて本当に家族みたいに接してくれるんです」

 10年前にTAKUYA∞から「俺、いつか東京ドームで絶対、『男祭り(男性限定のライブ)』をやるから」と言われたことがある。小さいライブハウスから始まったバンドが、どんどん大きくなる姿を目の当たりにした。

「大きな刺激を受けているのは間違いないです。TAKUYA∞は毎日10キロ走っていて、数年前もライブが終わった後、自分の家の10キロ手前で車を降りて、走って帰るようなことをやっていた。それで、『裕太も一緒に走ろうよ』と言われて、一緒に走り始めて、毎日、雨でも雪でも走り続けた。それも50分以内に10キロ走るんです。僕は途中で膝がぶっ壊れて8か月で終わっちゃったんですが、TAKUYA∞は未だに10年以上続けていますね」

 一番身近な友達が、自分ができないことを具現化している。それが、「本当に嬉しい」という。自分も何か刺激的なことができないと考えた時に、思い浮かんだのが一人芝居だった。2020年3月に『赤ずきんちゃんのオオカミ』で初挑戦する予定だったが、コロナ禍となり中止に追い込まれた。

「来年デビュー40周年なので、そこでは必ずリベンジしたいなと思っています。そのために、4月からお酒を1滴も飲まずに体を作っています」

□山崎裕太(やまざき・ゆうた)1981年3月8日、秋田県生まれ。3歳のとき、銀座でスカウトされモデルデビュー。88~96年に出演したフジテレビ系バラエティー番組「あっぱれさんま大先生」で人気に。映画「グッバイ・ママ」(91年)、「REX 恐竜物語」(93年)、「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」(95年)などで子役俳優としても活躍。2001年、舞台「大江戸ロケット」で主役を演じゴールデン・アロー賞演劇新人賞受賞。

■衣装クレジット:utility

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