慶大卒でアルコール依存と生活保護の“どん底”経験…波瀾万丈の介護社長、利潤追求のワケ

有名大学出身の経歴を持ちながら、アルコール依存症と生活保護受給を経験し、起業の道へ。介護・福祉業界に身を投じ、サービスの質の向上だけでなく従業員の待遇改善といった業界全体の底上げに力を尽くす経営者がいる。重度訪問介護や高齢者福祉サービスを展開する「株式会社土屋」の高浜敏之社長だ。過重労働や低賃金が指摘される業界の悪しきイメージを覆そうと、従業員の生活保障を念頭に、利益追求を目指す信念。“どん底”の生活から学んだ経営哲学とは。紆余曲折の人生に迫った。

重度訪問介護や高齢者福祉サービスを展開する「株式会社土屋」の高浜敏之社長【写真:本人提供】
重度訪問介護や高齢者福祉サービスを展開する「株式会社土屋」の高浜敏之社長【写真:本人提供】

人件費を惜しまず1000万円プレーヤーも誕生 「人のために尽くす」介護・福祉事業との両立

 有名大学出身の経歴を持ちながら、アルコール依存症と生活保護受給を経験し、起業の道へ。介護・福祉業界に身を投じ、サービスの質の向上だけでなく従業員の待遇改善といった業界全体の底上げに力を尽くす経営者がいる。重度訪問介護や高齢者福祉サービスを展開する「株式会社土屋」の高浜敏之社長だ。過重労働や低賃金が指摘される業界の悪しきイメージを覆そうと、従業員の生活保障を念頭に、利益追求を目指す信念。“どん底”の生活から学んだ経営哲学とは。紆余曲折の人生に迫った。(取材・文=吉原知也)

 現在50歳の高浜社長。学生時代から苦労の連続だった。プロボクサーだった父親の影響を受け、高校卒業後はボクサーを目指した。家族から「大学には行きなさい」と諭され、上智大法学部に入学。その一方で、父の末期がんが発覚した。学費を稼ぐ飲食業の仕事、ボクシング練習の“三足のわらじ”で頑張ったが、プロテストを前に「このまま突っ走っていいのか」と悩み、ボクシングを断念。上智大を退学した。リスタートし、慶応大文学部に入学。アートと哲学を専攻した。入寮での新聞配達の仕事をしながら勉学に努めた。約2年間の休学、不動産会社で働いた期間を経て、約6年かけて卒業した。

 30歳で慶大卒業後、福祉業界へ。「就職活動はしませんでした。僕らの世代によくいるタイプで、『一般企業に入って給料をもらう働き方はしたくない』と思っていました。もともと福祉には興味がなかったのですが、『心が満たされる仕事は何か』を考えたときに、自己犠牲の精神で人のために働くことのできる介護士に魅力を感じました」。

 障がい者や障がい児の自立支援を行う「自立ステーションつばさ」でアルバイトとして働き始め、社会運動にも積極的に参加。現場で福祉・介護を学んでいった。

 30代の働き盛り。ただ、若い頃から抱える個人の問題が深刻化していった。お酒だ。学生時代は学業と仕事の両立のストレスを飲酒で解消。介護士として働くようになっても、過度な飲酒習慣は続いた。34歳で手が震え始め、35歳で飲酒を中断すると発作が起きるように。医師からは「このまま治療に入らないと、数年で死にます」と強く指摘された。

「もともとお酒はそんなに強くないですが、多くて1日ワイン2本、焼酎1本の量です。問題は深酒でした。学生時代から仕事があるのに寝過ごしちゃったり、社会人になってからは他の客に絡んでお店を出禁になったり……」。一方で飲み過ぎて問題だという自覚はあったといい、「やらかしてしまった後に『明日からやめる』と反省します。年末に飲み過ぎてしまい、元日から『3か月やめる』と禁酒します。実際にできるんです。ただ、4月1日から気分が解放されてまた飲んじゃう。やめては深酒の繰り返しでした」。根深い依存症の実態を明かした。

 仕事を辞めざるを得ず、生活保護受給者になった。1年間治療に専念。患者同士によるグループセラピーを通して、自分自身を見つめ直した。治療2年目、アルバイトから就労を再開し、認知症高齢者グループホームで働き始めた。新しいやりがいを発見する中で、ソーシャルワーカーから「自立してもいいんじゃないか」と後押しを受け、そのグループホームに就職。3年間の治療を経て、復帰を果たした。

「以前は、お酒は人生の楽しみだと思っていました。今は、自分の欲しいものだけが自分の人生じゃない。そう強く確信しています。現在は治療を受けていませんが、アルコール依存症に終わりはありません。そういった側面はありますが、私は35歳から1滴もアルコールを飲んでいません。もう一生飲まないです」。力強い声で語る。

人材不足にあえぐ業界 「利益追求と社会的意義の中間地点を探すこと」の葛藤

 介護の世界で、心のこもったサービスとともに仕事にまい進。40歳になる直前に転機が訪れた。デイサービス運営法人のベンチャー立ち上げに参画。現場職員から経営側へと立場を転換していった。

 そして、3年前の2020年8月、独立という大きな決断をする。重度訪問介護サービスを基軸に、「経営を成り立たせる」という難題への挑戦に取り組むようになった。

 そこには、高浜社長が33歳のときに闘病の末に亡くなった父の存在がある。「父は不動産会社を経営していて、幼い頃から、経営者はどういうものなのか、充実ぶりや大変さを見てきました。社会的意義を持つ支援事業と、父がやってきたようなビジネスの融合。そう捉えています」。起業3年で、従業員数は2500人超。今年1月には、全国47都道府県での重度訪問介護事業所の設置を達成。確かな支援を求めるニーズに応えるサービスを拡充させ、グループ全体で70億円規模の売上となり、「ケア事業の何でも屋になる」と高齢者福祉や農業への参入を進め、堅調な事業拡大を続けている。

 人材不足にあえぐ介護・福祉業界。人件費への資金投入を惜しまず、常勤職員の平均月給は36万1577円。役職によっては、1000万円プレーヤーも誕生している。「私自身、30代は純粋な思いだけで非営利の活動に取り組みましたし、この業界は自己犠牲の精神で働いてきた人が多いです。ただ、理念や志だけでやっていくことの限界を痛感しています。武士は食わねど高ようじと言いますか、やせ我慢と言いますか、もう太刀打ちできない状況にあります。待遇改善を行い、キャリアアップの道筋を示して、従業員の生活保障をしっかり確立させないと、本当の意味の問題は解決できないと考えています。この業界にジョインしてもらえるように、希望の持てる働き方、仕組みを設計しています。限られた原資の中でのやりくり。岡山・井原市にある本社の家賃は5万5000円です。できるところのオンライン化を進めています」と強調する。

 ビジネスとして利潤を求めることと、福祉事業の両立は、一般的に難しいとされる。考え方は相反しないのか。現場の苦労を知り、今は経営者として従業員の生活を支える立場の高浜社長自身、心の葛藤をずっと抱いている。「利己と利他の観点で言うと、ビジネスは自己利益の最大化で、福祉は人のために尽くす仕事です。会社経営の動きの中で、そのときどきの状況において、利益追求と社会的意義の中間地点を探すこと。それを再発見し続けることが重要だと考えています。利益を上げ、再分配することは社会全体にプラスになると信じています。私自身が葛藤を続けることが大事なのかな。そう思っています」と話す。

 そして、アルコール依存症を克服した経験から、経営者として、社会人として、大事にしている心構えがある。「治療のグループセラピーの場において、『謙虚・謙遜』ということが重要視されます。私見もありますが、依存症に陥りやすい人は、『自分が自分が』と自我を拡大させ、強固にしてしまうタイプの人が多い気がします。自分だけの狭い考えにならず、他者、いろいろな人とつながりを持つことが大事です。だから、自分濃度を濃くしたくない。物事に対して謙虚な姿勢でこれからも生きていこうと思っています」と前を見据えた。

□高浜敏之(たかはま・としゆき)、東京・昭島市出身。「株式会社土屋」代表取締役兼CEO(最高経営責任者)を務める。「介護難民を救う」をテーマに福祉事業に取り組んでいる。

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