専業主婦を夢見て結婚もシングルマザーに…入金続いた養育費、元夫へ9年越しの「ありがとう」

9年越しに伝えることができた、元夫への「ありがとう」。憎しみの思いが解消し、1人息子を育てるための新たな原動力になった。専業主婦を夢見た結婚から、離婚で壊れた「幸せのテンプレート」。30代のどん底からはい上がり、顧客のファッションを個性に合わせて提案するパーソナルスタイリスト/ダンスパフォーマーとして活躍するのが、村田薫さんだ。40歳を迎え「かっこいい大人、量産します」を合言葉に、同世代の女性が輝く場を提供しようと、ファッションショーやダンスイベント開催などに取り組んでいる。挫折を乗り越えて得た人生哲学とは。

パーソナルスタイリスト/ダンスパフォーマーとして活躍する村田薫さん【写真:本人提供】
パーソナルスタイリスト/ダンスパフォーマーとして活躍する村田薫さん【写真:本人提供】

大手ファッション誌が注目の存在 「かっこいい大人、量産します」を合言葉に同世代の女性が輝く場を創出

 9年越しに伝えることができた、元夫への「ありがとう」。憎しみの思いが解消し、1人息子を育てるための新たな原動力になった。専業主婦を夢見た結婚から、離婚で壊れた「幸せのテンプレート」。30代のどん底からはい上がり、顧客のファッションを個性に合わせて提案するパーソナルスタイリスト/ダンスパフォーマーとして活躍するのが、村田薫さんだ。40歳を迎え「かっこいい大人、量産します」を合言葉に、同世代の女性が輝く場を提供しようと、ファッションショーやダンスイベント開催などに取り組んでいる。挫折を乗り越えて得た人生哲学とは。(取材・文=吉原知也)

 ダンスに熱中の青春時代を送った。高校からヒップホップを始め、立命館大のダンスサークルの一員として強豪に作り上げた。インストラクターを目指したが、ダンスだけで食べていけるのはほんの一握り。狙いにいったダンスコンテストで賞を取れず、ここでいったん夢をあきらめた。地元の福井で就職することになった。

 地元テレビ局に事務職で採用。楽しく社会人生活を送っていたが、心のどこかにモヤモヤが残っていた。村田さん自身、「結婚して出産して、家庭に入って旦那さんと子どもを守る」ことを人生のゴールに描いていた。でも、結婚して落ち着く前に、自分の中のやりたいことリストをできるだけ経験しておきたい――。後悔したくないと思い、大学時代に憧れを持ったアパレル業界で働くという夢の1つをかなえることに決めた。

 大手のアパレル会社に転職した。25歳の挑戦。最終的にはファッションの素晴らしさを伝えることに貢献できる広報職に就きたかったが、都内のデパート店舗の勤務で売上を求められる仕事に意欲を持つことができなくなり、夢破れた。

 再び地元に帰った。仕事を掛け持ちする中で、勤務先の上司にある男性を紹介してもらった。飲食店の跡取りで、「経済力があって支えてもらえる。この人となら、子育てに専念する専業主婦になれる」。プロポーズを受け、結婚。28歳で長男を授かった。

 人間関係に亀裂が生じ、元夫ともこじれた。話し合いを重ねたが、気持ちは離れる一方。息子が1歳のときに離婚に至った。

 息子を引き取り、シングルマザーとなって実家に戻ることに。

 30歳で、理想の幸せを失った自分に絶望。でも、泣いている時間はない。息子を養うために、歯を食いしばって働いた。「お先真っ暗の中で、とにかくお金を稼がないと、若いうちに早く再婚しないと……。変な焦りにとりつかれていました」と振り返る。

 子どものために土日も一生懸命働いていたのだが、これが裏目に。それと共に、人生の転機となった。

「私が働きに出ている間、家で息子が寂しいと言って泣くのだそうです。この子のために働いているのに、本末転倒です。ショックでした。もう一度人生をどう生きるかを考え直しました。いつになったらこの子が幸せになる日が来るのか、ではなく、『今、この子と一緒に幸せをつかむために生きていこう』と」。数年の準備期間を経て、息子が小学校に上がるタイミングになって住環境を変え、大学時代からなじみ深い京都に移住。そして、もう一度、“やりたいこと”に取り組むチャレンジの道を歩むことに決めた。

村田薫さんが主宰する『DRESS CHANGE』は華やかに行われている【写真:本人提供】
村田薫さんが主宰する『DRESS CHANGE』は華やかに行われている【写真:本人提供】

「私にとって息子は、“母と子”というより同志」

 新たな人生のテーマは、「子どもといる時間を確保しながら、生き生きと好きな仕事で働いている母親の姿を見せたい」ということ。パーソナルスタイリストとして再出発した。個人でやっていたブログが関係者の目に留まり、大手ファッション誌で連載に抜てきされたことから、顧客をつかんでいった。また、「自分と同じように家庭や仕事で多様な悩みを抱える同世代の女性たちに輝ける場所を作りたい!」と考え、一般女性にポージングやウオーキングなどを指導し、特別衣装を着てランウェイを歩くイベント『DRESS CHANGE』、ダンス未経験者が3か月レッスンを受けて人前で披露する『OTONANO DANCE CLUB party』を企画、成功を収めた。

 仕事が好調に進む中で、息子が10歳を迎えたタイミングで、改めて元夫との関係性を考えるようになった。離婚してから連絡を絶っていたが、養育費だけは必ず毎月振り込まれていた。折しも新型コロナウイルス禍で飲食業が大ダメージを受けていた時期。それでも入金が止まることはなかった。「結婚生活において私にも悪いところはあったのですが、『相手が100%悪い』と思わなければ、私が私でいられない状況でした。その憎い気持ちのままになっていたのですが、通帳を見返したときに、改めて元夫への感謝の気持ちが湧きました」。

 約9年ぶりに連絡をとった。本当に久しぶりにショートメールを送った。「いつも養育費を入れてくれてありがとうございます。お金は息子が高校・大学に行くようになったときに使わせていただきます」。元夫からの返信は「俺にはお金を入れることしかできないけど、ちゃんと最後までやらせていただこうと思っています。息子は元気ですか? コロナ大変だけど頑張ってください」という気遣いにあふれるものだった。この文面を読んだときに、「やっと、『ありがとう』が言えた。これで、自分自身を許すこともできました」。悪感情だけで突き通してしまった「自分との闘い」でもあった。そこに、折り合いを付けることができた。村田さんは目に涙を浮かべながら語った。

 今年に入って、反抗期の息子にうれしい変化が訪れた。小学6年に上がるのを前に、勉強に身が入らず、YouTubeやゲームをやって寝ているばかり。お母さんの言うことを聞いてくれない。たまたま写真展のために親子ショットを撮影することになった。そのとき村田さんは金髪ヘアスタイルだったが、息子は「ママが金髪で派手なのはちょっと恥ずかしい」と言いながらも、意外にもスムーズに撮影に参加した。

 その後、写真展に一緒に行った際に、関係者から次々に声をかけられる村田さんの姿を見て、「ママってそんなに有名なの?」と驚いた表情。村田さんが「どういう大人になりたい?」と聞くと、「俺も将来、ママみたいに好きなことを仕事にしたい」との返事が。「もう、よっしゃ! ですよ。だからこそ今は勉強が必要でしょう、と息子に伝えています。私にとって息子は、“母と子”というより同志。これからも一緒に楽しく生きていきたいです」と笑顔を見せる。

 今年9月には、抽象画アーティストの友人に誘われて、フォトグラファーと3人で、パリで行われる企画展にダンサーとして出演することが決まっている。「3人全員が40歳の女性です。こうやって小学生の子どもがいる働くママが海外で活躍する姿を見てもらうことで、可能性というものを伝えたいと考えています。〇〇をしちゃダメという固定概念を崩していきたいです」。自ら“かっこいい大人”の理想像を体現していくつもりだ。

 いくつもの失敗が羽ばたくための力になった。大事にしているのは、何事も前向きに捉えることだ。「自分の人生は自分で責任を持って選ぶものです。現状に不満を持っているとして、それも自分の選んだ環境なんです。働き方や生き方において、好きなこと、やりたいことを自分で選択していきたいですね。そこに幸せがあると思います」と結んだ。

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