市川猿之助容疑者の逮捕でどうなる澤瀉屋 「猿之助」の名跡は誰に受け継ぐ?

歌舞伎俳優の四代目市川猿之助容疑者が、母親の自殺を手助けしたとして27日午前に逮捕された。5月18日に東京・目黒区の自宅で父親の四代目市川段四郎さんと母親とともに倒れているのが見つかり、両親は死亡が確認された。澤瀉屋を背負う猿之助の逮捕。歌舞伎界に新たな趣向や演出を取り入れてきた澤瀉屋(おもだかや)はこれからどうなるのか。

市川猿之助【写真:ENCOUNT編集部】
市川猿之助【写真:ENCOUNT編集部】

猿之助は「神様に等しいような憧れの名前。襲名は伯父への恩返し」

 歌舞伎俳優の四代目市川猿之助容疑者が、母親の自殺を手助けしたとして27日午前に逮捕された。5月18日に東京・目黒区の自宅で父親の四代目市川段四郎さんと母親とともに倒れているのが見つかり、両親は死亡が確認された。澤瀉屋を背負う猿之助の逮捕。歌舞伎界に新たな趣向や演出を取り入れてきた澤瀉屋(おもだかや)はこれからどうなるのか。(文=コティマム)

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「猿之助」は澤瀉屋を代表する名跡だ。安政2年生まれの初代市川猿之助(1855~1922年)は、市川宗家・成田屋で明治時代に大活躍した九代目市川團十郎(1838~1903年)の門下に入り、頭角を現した。しかし1874年、團十郎の許可が必要な「勧進帳」を無断で演じたことから破門に。苦節約20年を経て破門を解かれると、90年に初代猿之助となった。芸を磨いた初代猿之助は市川一門の番頭格となり、晩年は「二代目市川段四郎」を名乗った。この「段四郎」の名を、今回亡くなった四代目段四郎さんが受け継いでいた。

 初代猿之助(二代目段四郎)の生家が、副業として薬草の「澤瀉」を扱う薬屋を営んでいたことから「澤瀉屋」という屋号に。澤瀉屋宗家として「猿之助」と「段四郎」の名跡の他、隠居名の「猿翁」、猿之助と段四郎に先立って襲名される宗家の前名「團子」と「亀治郎」がある。四代目猿之助のいとこで俳優の香川照之が襲名した「中車」は、澤瀉屋一門の名前だ。

 二代目猿之助(1888~1963年)の名は、初代猿之助(二代目段四郎)の長男が襲名。大正時代に欧米留学して最新の舞台芸術を学び、ロシア舞踊を新作舞踊にいかしている。二代目猿之助の長男が三代目段四郎を襲名。この三代目段四郎の長男が香川の父である三代目猿之助(現・猿翁/1939年~)だ。

 三代目猿之助は、襲名後すぐに祖父(二代目猿之助)と父(三代目段四郎)が亡くなり後ろ盾を失ったが、宙乗りやケレン(外連/大道具や小道具などの仕掛けを使って驚かせる演出)などを取り入れ、エンターテインメント色の強い舞台を創造。古典を残しながらも最新の音響や照明など“歌舞伎とは異なる演出”で行われる「スーパー歌舞伎」で新たな風を吹き込んだ。型にはまらない独自の歌舞伎を創り出した三代目猿之助は、家柄にかかわらず才能のある若手は積極的に受け入れ、海外公演にも意欲的でヨーロッパでも歌舞伎公演を行っている。

 三代目猿之助を伯父に持つ四代目猿之助も、亀治郎時代に古典の自主公演を行い、猿之助襲名後は伯父の芸を「スーパー歌舞伎II」として発展させてきた。マンガ『ONE PIECE』を原作とした「スーパー歌舞伎II ワンピース」は再演されるほどの人気で、歌舞伎を見たことがない客層も取り込んだ。

「猿之助」の名跡は、二代目が53年間、三代目が49年間と長期に渡って名乗り続けてきた。筆者は2011年9月に行われた四代目猿之助襲名発表の会見を取材したが、当時まだ二代目亀治郎だった猿之助は、「僕の人生計画の中では『市川亀治郎一生変えません襲名しません興行』をやるつもりだった」と語るほど、亀治郎の名に愛着があると話していた。と同時に、「『猿之助』という名前は僕の中では神様に等しいような憧れの名前」とも語っており、襲名は「伯父(三代目猿之助)への恩返し」として受け入れたという。同じ日に香川が九代目中車、香川の息子・政明君が四代目團子を襲名する旨も発表された。

 この会見の翌12年の新橋演舞場「六月大歌舞伎」での襲名披露公演までの9か月の間に、渋谷や浅草で成功祈願のお練りも行われたが、この間も猿之助は歌舞伎未経験の香川親子を、厳しい言葉をかけつつもそっとサポートしているように見えた。そして自身が正式に四代目猿之助となった際には、口上で「きょう、この日、猿之助を襲名しまして、うれしさ100%になりました」と亀治郎への未練を吹っ切り、笑顔を見せていた。

 澤瀉屋の大看板である「猿之助」という名跡を襲名して11年。今後どのように受け継がれていくのかは、一門や松竹が話し合っていくことになるだろう。

 期待が高まるのは現在19歳の團子。四代目猿之助襲名会見やお練りの際はまだ7~8歳だったが、緊張する父(香川)を横目に飄々(ひょうひょう)とした様子で、亀治郎や他の役者たちとすぐに打ち解けていた。また「お父さんは寝れなくて睡眠薬を飲んでるんだよ」と漏らし周囲の笑いを誘うなど、堂々とした大物感もあった。この5月には、明治座「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」の昼の部「不死鳥よ 波濤を越えて-『平家物語異聞-』」の平知盛役で、主演・猿之助の代役を見事に務めている。

 とはいえ團子に芸を伝える猿之助が逮捕された今、どのように継承していくかという問題は残る。澤瀉屋の今後に注目が集まる。

※澤瀉屋の「瀉」のつくりは、「わかんむり」

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