“野人”中西学の今、ガソリンスタンド勤務も「すぐに体は作れる」 56歳での復帰へ熱い思い

野人・中西学の闘魂は不滅だった。「お話があれば、いける」とキッパリ。遠ざかっているリングへの熱い想いを口にした。

トークイベントで軽妙な語りを披露した中西学【写真:柴田惣一】
トークイベントで軽妙な語りを披露した中西学【写真:柴田惣一】

毎週金曜日午後8時更新 柴田惣一のプロレスワンダーランド【連載VOL.150】

 野人・中西学の闘魂は不滅だった。「お話があれば、いける」とキッパリ。遠ざかっているリングへの熱い想いを口にした。

 現在は愛知・小牧市のガソリンスタンドに勤務している。もちろん定期的なトレーニングは欠かさない。現役時代の様な野人ボディー復活に「時間を少しいただければ、体を作り直せる」と自信をほのめかしている。

 1992年のバルセロナ五輪に出場後、新日本プロレス入り。デビュー戦が藤波辰爾とのコンビでタッグリーグ戦への参戦と期待も大きかった。95年には海外遠征に旅立ちクロサワと名乗った。

「自分のスタイルを押し通していたら、試合が減っていった」と振り返る。もっぱら体づくりに時間を費やし、日本人離れした体をいよいよ鍛え上げ「野人」ボディにますます磨きをかけた。

 帰国後には、天山広吉、永田裕志、小島聡と「第三世代」と呼ばれ、闘魂三銃士を追いかけた。99年のG1クライマックスに優勝。決勝戦では武藤敬司をアルゼンチンバックブリ―カーで豪快に担ぎ上げ大歓声を浴びている。

 迫力ある中西の攻めに、新時代の幕開けを感じた人も多かっただろう。「いまだにあの強烈なシーンは忘れられない」と熱いファンもいる。ただ、中西は「バックブリーカーは誰に教わったわけでもない。武藤さんの体がすぐそこにあったから、グイッと引き寄せて持ち上げたら、ああなった」とアッサリ。淡々と振り返る。あの感動的なシーンも闘う本能に導かれた結果だったようだ。

 2009年には棚橋弘至からIWGPヘビー級王座を奪取。第3世代では最後の同ベルト奪取だった。「いろんなことがあって、僕に挑戦権が回ってきた。思わぬチャンスをものにできた」とニコニコ。テレビ解説者の山本小鉄さんが、涙ながらに中西の晴れ姿を語る様子もまた話題となった。「小鉄さんにはご心配ばかりかけていたので……。少しでも恩返しができたかも知れない。喜んでいただけたのなら、僕も嬉しい」と空を見上げた。

 10年のG1 TAG LEAGUEにストロングマンとのマッスルオーケストラで参戦。優勝は逃したものの、日本人と外国人の規格外のマッスルボディコンビは旋風を呼び起こし、同年のプロレス大賞で最優秀タッグチーム賞を獲得。結成2か月での選出は異例だった。

 中西のレスラー人生の大きな分岐点が、11年に負った中心性脊髄損傷の大けが。長期欠場に追い込まれてしまった。回復途中で無理をして、復帰に時間を要したが、復帰後は他団体にも乗り込み、活躍した。

 配信番組「人類プロレスラー計画『中西ランド』」でも人気を呼んだ。格闘技道場への入門、辛い食べ物へのチャレンジ、新たなスポーツに取り組んだり、棚橋弘至とのファッション対決……多くの選手も参加する様々な挑戦で意外な姿を披露している。

 サーキット中の朝食をSNSにアップする「モンスターモーニング」も話題を集めた。「持ってくるのに時間もかかったし、ゆっくり食した。ホテルでのバイキング朝飯だからできたことだった」と楽しそう。その量にびっくりさせられたが、よく見ると肉ばかりでなく野菜もたっぷり。しっかりと栄養バランスを考えていた。

「食べたものが体を作る」と、今でも食生活にはこだわりがある。ブルーザー・ブロディ、スタン・ハンセンら日本でも大成功した外国人選手たちの食事から学んだことも多かったようだ。

 引退後、体調も良くなったという。リング復帰への熱い想いがうずいて仕方ない。「お話があれば。少し時間をくだされば」とスタンバイ。中西が一番輝けるのは、間違いなく四角いマットだろう。

 野人の雄叫び「ホーッ」を再び聞きたいのは私だけではないはず。野人・中西学の今後はどうなるのか。その動向から目が離せない。

次のページへ (2/2) 【写真】スタン・ハンセンさんと話し込む中西学の姿
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