【週末は女子プロレス♯102】英国から参戦レスラーはまるでバービー人形「ルックスで目を引くのは全然OK」「日本はもうホームよ」

イギリスから来日し、スターダムに参戦中のマライア・メイ。かつてのWWEディーバ路線を想起させるような抜群のスタイルとセクシーなルックスは、新型コロナウイルス禍で外国人レスラーが少なくなっていた日本マット界に懐かしさとともに新鮮な風を吹き込んでいる。白川未奈をリーダーとするクラブビーナスに加わり日本のプロレスを日々吸収、実力も上昇中だ。

バービー人形のような抜群のスタイルのマライア・メイ(右)【写真提供:スターダム】
バービー人形のような抜群のスタイルのマライア・メイ(右)【写真提供:スターダム】

スターダムに参戦中のマライア・メイが日本のリングに上がるまで

 イギリスから来日し、スターダムに参戦中のマライア・メイ。かつてのWWEディーバ路線を想起させるような抜群のスタイルとセクシーなルックスは、新型コロナウイルス禍で外国人レスラーが少なくなっていた日本マット界に懐かしさとともに新鮮な風を吹き込んでいる。白川未奈をリーダーとするクラブビーナスに加わり日本のプロレスを日々吸収、実力も上昇中だ。

 マライアは1998年8月、ロンドン北部のイズリントンで建築業を営む家族のもとに生まれた。子どもの頃、オーストラリアで1年間暮らし、イギリスではトッテナムなどロンドン内で過ごした。プロレスを知ったのは2歳上の兄の影響。テレビで見たWWEが好きになり、トリッシュ・ストラタス、ミッキー・ジェームズ、ジェフ・ハーディー、ジョン・シーナらの活躍に心を奪われた。しかも将来、自分もこのリングに立ちたいと思ったのだ。

 しかし、彼女の夢に対する周囲の反応は冷ややかだった。「無理だよ」というのが大半の反応。国語(英語)や歴史が得意だったことから教師の道も考えた。家族の仕事を手伝うため、会計士の勉強も始めた。両親からは「会計士の勉強さえしてくれたら、ほかに好きなこともやっていい」と言われていた。そこで彼女が選んだのは、両親には予想外のプロレスだったのだ。

 クロスカントリーや陸上などのスポーツ経験がある彼女は、いくつかのレスリングスクールに通うようになる。ローカル団体のセミナーなどに参加し、プロレスラーへの道を探り始めたのだ。

 トレーニングを積むなかで、ディーン・オールマーク、ジェームズ・メイソン、ジョエル・レッドマンからのアドバイスが多大な影響を与えたという。彼らに共通するのは伝統的なブリティッシュスタイルの後継者だということ。WWEにあこがれつつも、彼らを通じ祖国独自のプロレスを知ったのだ。また、練習のかたわら、デビュー前にはリングアナウンサーとして何度かリングに立ったという。

「リングアナをやってみない?と誘われてトライしてみたの。選手のコールもエンターテインメントの一部だし、個人のキャラクター形成にも役立つと思ったから引き受けたわ。早く試合をしたい気持ちでいっぱいだったけど、まだまだデビューできる段階ではなかったので、これも経験と思ってやってみたの。実際、レスラーたちのアドレナリンを直に感じられて、すごく楽しかった。当時は、この経験がいまのクラブビーナスでいかされるとは思ってなかったけど(笑)」

 クラブビーナスでは白川が英語でメンバーを紹介、白川はその試合でタッグを組む外国人パートナーにコールされる。これがクラブビーナス、試合前のルーティーン。マライアは外国人メンバーの中で先陣を切った形だ。うまいと思ったら、経験者だったのである。

 デビューは2019年2月2日、ハッスルレスリングでのニーナ・サミュエルズ戦だった。初マットから数試合後、マライアはWWEのイギリス公演時にトライアウトを受けた。これは女子選手のみのトライアウト。契約の話には至らなかったものの、これもまた彼女にとって大きな経験になったという。

「ウィリアム・リーガルやサラ・ストック(ダーク・エンジェル)からとてもよいアドバイスをもらいました。とくにサラからは、ワールドトラベルについていろいろ話を聞けたわ。レスリングだけでなく、フィットネス、プロモーションなどすごく参考になる話が多かった。トライアウトを受けたというよりは、勉強しにいった感じね」

 その後、彼女はイギリス国内のさまざまな団体に参戦。自分自身での移動で自由を感じたという。上がったリングは老舗のオールスタープロモーションからプログレス、BEW、RPWなど、さまざま。これらは男女混合、いや、むしろ男子が中心で、女子の試合は興行の中に1、2試合組みこまれる程度だった。もちろん、男女で組んだり闘うミックスドマッチも含まれていた。

初の海外遠征も「この興味のあったこの国の文化が不安を吹き飛ばしてくれました」

 そのなかで、日本には女子選手だけのプロレス団体があるという話をレスラー仲間から聞いた。それが、日本のスターダム。WWEを見てアスカ、イオ・シライ(紫雷イオ、現イヨ・スカイ)ら、日本の女子レスラーに興味を持った。そのときから多大なインパクトを受けていただけに、日本でやってみたいとの気持ちになるのは自然な流れだったのだ。

 しかしながら、新型コロナウイルスの感染拡大によるロックダウンから、あらゆる興行が街から消えた。マライアは20年3月8日、サミュエルズとのSWW女子王座挑戦者決定戦に勝利も、この試合を最後に一時プロレスから離れることを余儀なくされる。再び戻ってきたのが翌年6月26日、リバプールでのタッグマッチ。ほかのレスラーも同様だが、実に1年3か月ものあいだ、本人の意図しないところから試合のできない日々が続いたのだ。

「確かにきつかったけど、プロレスをやめようとは思わなかったわ。なぜなら、まだ目標を達成していなかったから。あの頃の私のゴール。それは日本、つまりスターダムで闘うことだったの。時間はかかったけど、夢がかなってよかったわ」

 再び試合ができるようになってからは、RPW女子王者のジゼル・ショーに連続挑戦。空位のSMW女子王座を獲得し初戴冠、1年近く保持してみせた。そして、日本でタッグを組むこととなるザイヤ・ブルックサイドとのシングル2連戦を経て来日。昨年12月29日、スターダムの両国国技館に姿を現し、年が明けると白川&ザイヤとのトリオで6人タッグリーグ戦に出場した。

 初来日にもかかわらず、最初から長期滞在のつもりで異国にやってきたマライア。それは「短期間では慣れない」と思ったから。これまでドイツ、イタリア、アメリカで数試合をこなしているものの、本格的な海外遠征は初めてだ。しかも非英語圏で、文化も異なる。不安などなかったのだろうか。

「もちろん不安はありましたよ。でも、この興味のあったこの国の文化が不安を吹き飛ばしてくれました。サンリオ、ポケモン、アニメ(笑)。ジャパンはとってもカラフル。しかも親切な人が多くて、みんなヘルプしてくれる。すでにホームのように感じてます」

 カラフルと言えば、マライアのイメージカラーはピンクである。デビュー当初から使っているというピンクが、彼女のディーバ性をよりいっそう引き立てていると言っていい。

「ピンクはずっと大好きな色。ゴシックカラーに凝ってた時期もあったけど、結局はピンクに戻ってきました(笑)。ピンクが一番、私らしさが出ると思うの。ピンクでプリンセス気分になれるし、私はピンクバービードール(笑)」

 バービー人形のような抜群のスタイルは、マライア自身も自負している。WWEのディーバ路線ではモデルタイプの選手が求められていたが、現在はむしろ実力主義。それだけに一見レトロ感があるかもしれないが、マライアはあえて武器にするつもりでいるのだ。

「バービードールみたいって言われるのは、むしろうれしい。そのうえで、バービーはプロレスもすごいと思ってもらえるようになりたいの。ルックスで目を引くのは全然OK。それでいてリング上ではブリティッシュスタイル、ジャパニーズスタイルをこなす。だから私は“ファイティングプリンセス”。ニュータイプのレスリングディーバと考えてもらえればいいかな」

 マライアは自身の成長のため、高円寺のスネークピットジャパンも訪れた。このジムのルーツは彼女の母国イギリスが生んだ名レスラー、ビル・ロビンソン。日本にいながらキャッチ・アズ・キャッチ・キャンのスタイルを学ぼうとしているのである。

「ジャパンのプロレスの魅力? さまざまなプロレスができるところじゃないかな。だからいろんな国から集まってくるクラブビーナスも成り立っているの。(白川)未奈がホワイトベルト(ワンダー・オブ・スターダム王座)を獲ってユニットの歴史を作り始めた。私も日本のプロレスのエモーショナルなストーリー性を感じているわ。ベルトを巡ってのライバル同士のストーリー。これがリング上のレスリングを引き立てる。私もその中の一員になりたい。ジャパンのストーリーに長く関われるようになっていきたいわ。そのためにも、SWA世界王座を復活させたいわ。あのベルトを取って、ピンクに塗り替えるの(笑)」

 スターダムですでに46試合をこなしたマライア(5・14後楽園時点)。デビュー以来の通算試合数のほぼ半分を日本で闘ったことになる。1年3か月のブランクも乗り越え、まったくの無名から日本発信の世界的ブレイクも夢ではなくなった。どこまで伸びるか、今後が楽しみな外国人レスラーだ。

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