八代亜紀、初老過ぎて始めた油絵がフランスで評価 モデルの保護猫は「癒やしの存在」
卓越した歌唱力で歌謡界を牽引する演歌の女王・八代亜紀が2020年に、歌手活動50周年を迎えた。40歳を過ぎてから始めた油絵では、世界最古の国際公募展といわれるフランスの『ル・サロン』展で1998年から5年連続入選。その縁もあり22年にはパリでコンサートを開くなど、活動の幅を広げている。「歌は命、絵はそれを支える精神」と語る八代に、絵について、また絵のモデルも務める「癒やしの存在」との生活について聞いた。
自ら描いた絵をデザインした着物で熱唱、大盛況だったフランス公演
卓越した歌唱力で歌謡界を牽引する演歌の女王・八代亜紀が2020年に、歌手活動50周年を迎えた。40歳を過ぎてから始めた油絵では、世界最古の国際公募展といわれるフランスの『ル・サロン』展で1998年から5年連続入選。その縁もあり22年にはパリでコンサートを開くなど、活動の幅を広げている。「歌は命、絵はそれを支える精神」と語る八代に、絵について、また絵のモデルも務める「癒やしの存在」との生活について聞いた。(取材・文=西村綾乃)
八代が絵筆を取ったのは3歳ごろ。画家を志していた父の影響だった。
「暮らしていた熊本の家の近くにあった球磨川(くまがわ)に『絵を描きに行こう』とよく連れて行ってもらいました。陸橋が見える見晴らしが良い場所で、汽車が来るのを2人で待って、トンネルを抜けて煙をあげながらやってくる先頭車両が見えたら、動いている様子を見ながら描くの。汽車を待つ合間には、父が持ってきたギターを弾いてくれて、私は岩に座ってそれを聴いていました。ポロンポロンって、三橋美智也さんの歌が多かったかな。お腹が空いたら、お母さんが持たせてくれたおにぎりと卵焼きを食べて、楽しい思い出です」
長年水彩画に親しんでいたが上京後の、71年に『愛は死んでも』でデビューするなど生活が変化。73年に東京・新宿を舞台にした『なみだ恋』が大ヒットするとキャンバスに向かう時間が激減した。
「『なみだ恋』がヒットしてからはありがたいことに猛烈に忙しくなって。でも絵はずっと描いていました。私にとって歌うことは、肉体労働と同じ。絵を描くときだけは酷使している喉を休ませることが出来るので、スタッフの人にお願いして今は定期的に時間をもらって、絵を描いています」
40歳を機に油絵を本格的に学び、1998年から由緒あるフランスの公募展『ル・サロン』展に出展。幼少期の自身の姿や、犬や猫、白馬などの動物を描いた作品は5年連続で入選を果たし、日本の芸能人として初めて永久会員になった。
「初入選した『想い出』は5歳のときの私と、宝物にしていたお手玉や紙風船を描いたもの。初入選してからは、全国の美術館や百貨店などで展示や販売もして、収益の一部は支援活動に寄附をしています」
歌手としては2020年に50周年を迎えた。コロナ禍で延期になっていたパリでのコンサートは22年10月に実現。富士山や桜などをデザインした自作の鮮やかな着物と妖艶なドレス姿で演歌やジャズを披露。大絶賛された。
「会場が超満員だったの。しかも7割が現地の方。『演歌を聴きたい』と『舟唄』を聴いて泣いているフランスの方もいて、『ありがとう』と歓迎していただき、うれしかったですね」
フランスを訪れたのは30年ぶり。若き日のピカソや藤田嗣治が過ごした芸術家の街・モンマルトルに足を運んだという。
「丘にたくさんの芸術家がイーゼルを置いて絵を描いているので、それを何時間もかけてながめたことがありました。昨年も『ショーの後に行きたい!』とお願いして、モンマルトルを歩くことができました」
歌い続けて50年以上「ありがとう」を伝えに行くツアーを展開中
歌手活動50周年を迎えた感謝を全国に伝えたいと『八代亜紀コンサート~ありがとうを 私から~』を展開中。精力的に出演するバラエティー番組では、「通信販売の番組を見ていると、色違いも含めて全部買ってしまう」と語るなど、天然ぶりも披露した。大好きだという「酢」は、料理をひたひたにしてしまうほどかけ「おいしい」と共演者を驚かせた。
「大好きな歌を歌って『ありがとう』と言われ続けた53年。全国で待っていてくれる人と『ありがとう』を交換するコンサートを昨年から始めました。公演の前後には高齢者介護施設に訪問する時間も作ってもらってね、『生の八代亜紀だ』って喜んでくれると、うれしいよね。バラエティー番組は大好き。お買い物大好きだから、通販を見ているとついつい注文してしまって。上手に宣伝してくれるから、『そんなに良いのかしら?』って、色違いも全部買っちゃう。スタッフには叱られるんだけど、便利だからいいじゃないって思っています」
「太陽のように明るくポジティブでいること」が信条という。「くじけた瞬間は涙が出ても、いつだってプラスに転換してきた」と前進し続ける。ニコニコと明るい八代だが、2021年には恩師との別れを経験した。
「デビューをした後、なかなか売れずに苦労しました。初めてのヒット曲が鈴木(淳)先生が作ってくださった『なみだ恋』でした。銀座で信号待ちをしている時に、四つ角から出て来た酔っ払いの人が『なみだ恋』を口ずさんでいるのを聴いたときは感激しました。鈴木先生は私にとって歌謡界の父親というべき人。亡くなった後、ふさぎ込んでいた奥様で作詞家の悠木圭子先生を励まそうと、一緒に作ったのが『想い出通り』です。鈴木先生への愛が詰まった大切な曲です」
多忙な日々の癒やしは、「ちーたん」と「ミャンたん」の名を付けた2匹の猫。ともに保護猫だった。
「ちーたんは生まれたときから足が悪くて、捨てられしまった猫。2年ぐらい前に我が家に来ました。マンチカンの男の子でとってもハンサムなの。誰にもなつかないって言われていたけど、出会った初日に私の胸に飛び込んできたんです。ミャンたんは、ちーたんを迎えてから1年後にやってきました。ミャンたんは家に来る前は繁殖猫だったのだけど、子どもを産めない体になってしまったことから捨てられてしまったんです。最初は人を怖がっていたけれど、今は『世界一幸せ』っていう顔をしています。大好きな絵のモデルとしても活躍してくれています。これからも一緒に、少しでも長く暮らしていきたいですね」
外出先で猫の毛が洋服に付いていると、捨てず紙に包んで持ち帰るのだという。「付いているのはゴミじゃなくて、愛。だからスタッフに取らないで、捨てないでってお願いしています」。
□八代亜紀(やしろ・あき)1950年、熊本県生まれ。71年に『愛は死んでも』でデビュー。『なみだ恋』(73年)レコードの売り上げが120万を超える大ヒットに。『雨の慕情』(80年)で「第22回日本レコード大賞」で大賞を受賞した。2010年に文化庁長官表彰受賞。フランスの国際公募展『ル・サロン展』の永久会員でもある。