トヨタの内定蹴って東レに 実家に戻ったら多額の借金…「こんな会社つぶれてしまえ!」の言葉を飲み込んだ

ピシッとしたオーダースーツに赤いネクタイ、足元は革靴で手にはビジネスカバン……。オフィス街を駆けるビジネスマンさながらの格好で、日本百名山や名だたる海外の高峰など、過酷な山への登頂を果たす経営者がいる。オーダースーツSADAの4代目社長・佐田展隆氏は、2度の社長就任と3度の経営危機を乗り越え、倒産寸前の会社を年商32億円企業までよみがえらせたやり手実業家だ。順風満帆とはほど遠い、波瀾万丈の経営人生をひもといていく。

オーダースーツSADAの4代目社長・佐田展隆氏【写真:ENCOUNT編集部】
オーダースーツSADAの4代目社長・佐田展隆氏【写真:ENCOUNT編集部】

呉服屋として創業し今年創業100周年を迎えるオーダースーツの老舗

 ピシッとしたオーダースーツに赤いネクタイ、足元は革靴で手にはビジネスカバン……。オフィス街を駆けるビジネスマンさながらの格好で、日本百名山や名だたる海外の高峰など、過酷な山への登頂を果たす経営者がいる。オーダースーツSADAの4代目社長・佐田展隆氏は、2度の社長就任と3度の経営危機を乗り越え、倒産寸前の会社を年商32億円企業までよみがえらせたやり手実業家だ。順風満帆とはほど遠い、波瀾万丈の経営人生をひもといていく。(取材・文=佐藤佑輔)

 呉服屋として創業した曽祖父から数えて4代目にあたる佐田社長。今年創業100周年を迎えるオーダースーツSADAだが、決して平坦な道のりではなかった。佐田社長が会社に入った20年前には、25億円もの借金を抱え3年連続でキャッシュはゼロという、まさに倒産の瀬戸際にあったという。

「日本一安いオーダースーツを目指して、日本で初めて中国に工場を出してフルオーダーを作ったのが父の代。子どもの頃から家業を継ぐつもりで、2浪して父と同じ一橋に進学、就活ではトヨタと東レから内定をもらいましたが、いずれは会社を継ぐ、それなら繊維だろうとトヨタを蹴って東レに入りました。社会人5年目でこれからというときに父親から戻ってこいと話があって、喜び勇んで帰ってきたら、後継者として連帯保証人のサインをしてくれと。要は金融機関からの融資を続けるための人質だったわけです」

 憧れていた経営者としての父の姿と、目の前にある多額の借金という現実のギャップ。家でも会社でも、壮絶な親子げんかに明け暮れる日が続いた。「こんな会社つぶれてしまえ!」とも思ったが、そんなときふとよぎったのが先代社長の祖父の顔だった。「もう死んじゃってましたけど、大好きだったおじいちゃんが残した会社なら、つまらない親子げんかでつぶしちゃいけないよなと」。心を入れ替え「今日で反抗期は終わりにする」と父に告げると「やっと終わったか。意外と早かったな」と一言。そこから、起死回生の親子二人三脚が始まる。

 日本一安いオーダースーツを作るという父の構想は間違っていなかった。問題はそのビジョンが正しく現場に伝わっていなかったことだ。販売着数至上主義の営業部長や怠慢な中国の工場長を粘り強く説得したが、最終的には辞表を受け取り決別。品質に伴った値上げを行い、半期で前年度の赤字を取り戻した。ようやく利益が出るようになったものの、積み重なった借金は25億円。ときの金融再生プログラムの流れに乗り倒産こそ免れたものの、父の自己破産は避けられず、佐田社長も自らの会社を後にする。

自らの会社を離れるも、東日本大震災による2度目の危機に呼び戻される形で復帰

「私は土壇場で(自己破産は)免れましたが、住み慣れた家も何もかも持っていかれて、口座には100万円しか残っていなかった。本当にゼロからのスタートで、会社を離れ上場支援のコンサル業を始めました。リーマンショックと震災がなければ、そのまま会社に戻ってくることもなかったでしょう」

 11年に発生した東日本大震災により、高齢化が進んでいた東北のテーラー(仕立て屋)は大半が倒産を余儀なくされた。会社は顧客を一度に失い、再び危機に直面。従業員から呼び戻される形で復帰した佐田社長は、震災で失った売り上げを取り戻すために、それまでの製造卸から小売業に180度方針を転換。一か八かの経営判断に、反対した5人の経営幹部は全員が会社を去った。

「本気で小売を始めたら、それまでのテーラーのお客さんを敵に回すことは分かっていた。いくら若い人がターゲットだから競合しないと言っても、納得してくれるはずがない。ただ、他に選択肢がなかった。それだけは間違いありません」

 思い切った決断は功を奏し、オーダースーツSADAは日本一安いオーダースーツ小売店として成功。2度の危機を乗り越え、年商32億円企業として業界内での地位を確立した。現在はコロナ禍という3度目の危機を迎えつつも、前向きに今後を見据える。

「コロナ禍の影響で業界内ではどの企業さんも痛手を負っていますが、経営者としては業界がフラットになったチャンス。オーダースーツ業界ではある程度の地位を確立できましたが、スーツ業界全体で見ると微々たるもの。これからはスーツ業界の勝ち組を目指していきたい」

 ピンチをチャンスに。度重なる困難を乗り越えてきた佐田社長は野心と活力あふれる顔で結んだ。

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