デビュー50周年を来年に控えた”涙のカリスマ”大仁田厚がプロレスラー人生最大のピンチ
ゴールデンウィークもあっという間に終盤戦に突入。シーズンオフのないプロレス界でも5月5日の「こどもの日」には数々のビッグマッチのゴングが鳴ってきた。
柴田惣一のプロレスワンダーランド【連載vol.144】
ゴールデンウィークもあっという間に終盤戦に突入。シーズンオフのないプロレス界でも5月5日の「こどもの日」には数々のビッグマッチのゴングが鳴ってきた。
5・5といえば“涙のカリスマ”大仁田厚だ。1993年にはFMW神奈川・川崎球場決戦では、ノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチで、テリー・ファンクと激突している。
大爆発へのカウントダウンが進む中で、いったんはリングから脱出したが、大の字で取り残されたテリーを守るためにリングイン。テリーに覆いかぶさり2人は被爆。感動のシーンは、今でも語り草である。
翌94年の5・5川崎球場決戦では、天龍源一郎と同様のデスマッチで対戦。敗れはしたが“ミスター・プロレス”天龍との爆破マッチは、これまた日本マット史を飾る名場面の連続だった。
95年の5・5には同球場でハヤブサと爆破デスマッチで2度目の引退試合に臨んでいる。思えば「大仁田の引退」のエンドレス化はこの時に始まったのだろう。
「5・5」と聞くや、大仁田が涙ながらにマイクアピールする勇姿が思い浮かぶファンも多いはず。
腹部大動脈瘤を公表
永遠のヒーローが大ピンチに陥ってしまった。FMWEの4・29神奈川・横浜市鶴見青果市場決戦で、アジアタッグ王座V2を飾った大仁田の口から衝撃的な告白が飛び出している。
腹部大動脈瘤に侵されているという。アジアタッグV1戦(全日本プロレス4・15愛知・名古屋国際展示場)後から異変を感じたが、闘いを強行。しばらくして検査を受けたところ、思わぬ事態が発覚した。
当然ながらドクターストップがかかったが、決まっている試合を欠場するのは大仁田イズムにはふさわしくない。アジアタッグV2を果たしたことで、公開に踏み切ったようだ。
翌30日から入院。5月9日に手術を受ける予定だという。「全治には2、3か月かかるといわれている。でも、そんなに休む気はない。ベルトを返上する気もない」と明言。全日本参戦が発表されていた6・11福島・郡山ビッグパレットふくしま大会への出陣を誓ってみせた。
ただ、さすがに事態は深刻、ドリー・ファンク・ジュニアPWF会長から「これ以上、ミスター大仁田を危険にさらすことはできない。直ちにアジアタッグ王座を返上して、病気と立ち向かってほしい」とメッセージが届いた。
これにも邪道流で切り返した。「俺は必ずリングに戻ってくる。師匠の馬場さんも『どんなことになろうとも、どんなケガをしようとも、リングに上がり続けるのがレスラー』と言っていた」と、あくまで拒否。それどころか「それでも返上しろというのなら、あなたが取りに来てください」と、とんでもない要求を突き付けた。
これまでにも大ケガに見舞われ、ケガが大病につながり、いく度となく選手生命どころか生命の危機に陥ってきたが、その度に不屈の邪道魂でよみがえってきた。
74年のデビューから来年は50周年。半世紀を目前に控えて、ここで引くわけにはいかない。「のどにチューブを入れた傷がある。この時は敗血症で死亡確率7割といわれた」と93年のミラクル復活を振り返ったが、その全身には1500針を超える縫い傷が刻み込まれている。
7回引退し7回復帰したのも、大仁田にしてみれば立派な“勲章”。50周年メモリアル大会を2024年5月5日、思い出の川崎球場(現在は川崎富士見球技場=通称・富士見スタジアム川崎)での開催を目指している。大仁田信者に水を吹きかけるまでは死ぬに死ねない。
山あり谷ありのレスラー人生はもちろん、国会議員にもなった文字通りの波乱の人生を送る大仁田厚。稀代の“開き直り男”の生きる道を見届けたい。