氏神一番、『イカ天』ブレーク後に人気急落 1億円被害で学んだ「世間的な評価より大切なこと」

歌舞伎風のメークと和装で1990年代初頭にブレークしたロックバンド・カブキロックス。リーダーでボーカルの氏神一番は、今も変わらず白塗りメークで音楽活動に励んでいる。TBS系『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』(通称『イカ天』)で一躍有名になったが、素顔の氏神は高校生の頃から芸能活動をしていたことはあまり知られていない。4月3日で63歳になった氏神の歩みを紹介する。

ロック魂と歌舞伎メークは最後まで貫くと語った氏神一番【写真:荒川祐史】
ロック魂と歌舞伎メークは最後まで貫くと語った氏神一番【写真:荒川祐史】

デーモン閣下は「恩人で神」 深夜カラオケの思い出

 歌舞伎風のメークと和装で1990年代初頭にブレークしたロックバンド・カブキロックス。リーダーでボーカルの氏神一番は、今も変わらず白塗りメークで音楽活動に励んでいる。TBS系『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』(通称『イカ天』)で一躍有名になったが、素顔の氏神は高校生の頃から芸能活動をしていたことはあまり知られていない。4月3日で63歳になった氏神の歩みを紹介する。(取材・文=福嶋剛)

 インタビューを始める前、氏神は読者をイメージして言った。

「俳優として活動するときは素顔で演じておるが、『カブキロック』を演じているときはどんな場面でも、必ず白塗りメークで人前に登場すること、そして、自分自身の中でロックの魂は最後まで貫いていきたいのでござる。しかし、今回はENCOUNTのリクエストに応えて、文章で拙者の素顔を紹介するぞよ」

 氏神の公式プロフィールには、「元禄三年(1690年)生まれ」と記載されている。計算すると、今年で333歳。だが、氏神はサラリと「63歳です」と言った。そして、テーブルに並べたメーク道具で手際よく化粧を施し、30分ほどで顔を完成させた。

「デーモン閣下は今の姿が素顔だが、拙者は白塗りメークです(笑)。閣下にはデビュー前からお世話になり、閣下の深夜ラジオにもゲストでお招きくださり、放送を終えると、『氏神、カラオケに行くぞ!』と言って一緒に歌ったことがありました。閣下に『歌詞や曲名に“東京”がつく曲だけを選んで、全て“お江戸”に変えて歌いなさい』と言われ、拙者が江戸言葉で歌うと、閣下は笑って喜んでくれました。大切な恩人なので、『閣下は神でござる!』と感謝すると、『吾輩は悪魔だ!』と怒られました」

 そんな氏神は、京都で大工をやっていた父親と日本舞踊家だった母親に育てられた。

「歌が得意で『ちびっこのど自慢』やカラオケ大会にも出ていましたが、小学校の朝礼で1500人の生徒の前で童謡の『とんび』を1人で歌い、大きな拍手をもらいました。それが今の自信につながっています。14歳で萩本欽一さんが司会の(日本テレビ系)『スター誕生!』(1971~83年)に出場し、合格ライン300点にあと1点差の299点で敗れ、欽ちゃんの『バンザーイ、なしよ!』を味わいました。『全日本歌謡選手権』(70~76年)では、フランク・シナトラの『マイウェイ』を歌って、審査員の船村徹先生から『もうちょっと、大人になってから歌いましょうね』と助言をいただきました(笑)」

 歌手への強い憧れを持った氏神は上京を決意。一人暮らしで東京の高校に通いながら、日本テレビ音楽学院に通い、スクールメイツと並ぶ約30人からなる若手芸能グループのザ・バーズ第1期生として活動した。

「歌番組で西城秀樹さんや郷ひろみさん、ピンク・レディーのバックダンサーを務め、役者としてもドラマやCMにも出演していました。一番の思い出は、『ふり向くな君は美しい』(全国高校サッカー選手権大会のイメージソング)をリリースしたことです。あの歌には拙者の声も入っていて、当時はステージ1回の出演料が1500円。歌番組は月に4回だったので、月収6000円でした。だから、拙者も高校時代からアルバイトをして生活していました。毎日が楽しかったですが、芸能界の厳しさを知ったのもこの頃でした」

 高校卒業と同時にザ・バーズも卒業し、日本大経済学部に進学。初めてバンドを組んだ。

「拙者は“ミーハー”そのもので、子どもの頃は『西城秀樹さんのようなアイドルになりたい』と思い、フォークブームがやってくると『愛夢』(あいむ)というグループを組んで、その後、バンドブームがやってくると今度はバンドを組むというありさまでした。初めは11人編成の和楽器バンドで、売れるためには人に注目してもらわないとダメだと思ってやっていました」

『イカ天』が始まると、会社員だった氏神は30歳を前に大勝負に出た。原宿の歩行者天国(ホコ天)でストリートライブを重ねながら、他のロックバンドに声をかけ、カブキロックスを結成。「江戸のスーパースター」というコンセプトを作り、『イカ天』出場を決意した。

「『これでダメなら田舎に帰ろう』と。その代わり『やるなら徹底的に。1回見たら忘れられないものを作ろう』と思いました。こだわったのは『分かりやすさ』です」

 大工の父親に頼み、ヒノキでマイクスタンドを作ってもらった。特注の歌舞伎帽子を作り、アメフトのショルダーパットを付け、打ち掛けの着物衣装を着るなど徹底ぶりだった。さらに沢田研二の大ヒット曲『TOKIO』の詞を江戸時代風にアレンジした『お江戸-O・EDO-』を歌い、暫定チャンピオンに輝いた。そのインパクトは歴代チャンピオンたちを超えていた。

「今だから言えますが、辛口審査員として有名だった音楽プロデューサーの吉田建さんに収録が終わった後、『すげえ、いいアレンジだったよ』と褒められたんです」

 カブキロックスは、直後にメジャーレーベルと契約。90年に『お江戸-O・EDO-』でデビューを果たした。契約金1億3000万円と推定され、いきなり数千人規模の会場ばかり全国ツアーも組まれた。しかし、氏神は、「終わりの始まりだった」と振り返る。

「普通、最初はライブハウスからツアーを始めるものですが、いきなり大きな会場を抑えたということは、拙者たちのブームがすぐに終わると思ったんでしょうね。1日も早く契約金を回収しようという危険な香りを感じました。結果、東京と大阪は何とか形になりましたが、名古屋はスカスカの惨敗でした。ステージに上がったとき、『ようやく拙者もドッキリ番組に出演か』と思いましたが、本当でした。それに(契約金は)事務所には入っていても、拙者たちバンドには毎月40万円しか振り込まれませんでした。つまり1人当たり8万円。街を歩けば拙者の特大ポスターが貼られ、店では『お江戸-O・EDO-』が流れているのに『拙者の懐には8万円しか残らないのか』と思いました。そこから火がついて、『絶対にバイトはやらずに音楽を軸に稼ごう』と決めました。結果、アルバムが売れて、ようやくまともに生活できるようになりました」

現在は本格的に落語にも取り組む【写真:荒川祐史】
現在は本格的に落語にも取り組む【写真:荒川祐史】

設定333歳、実は63歳「足腰が元気なうちに世界一周旅行」

 その後、バンドブームが終わり、『イカ天』も終了。事務所は倒産し、移籍金とともに社長が消えた。カブキロックスもアニメのタイアップなどで生き残ってはいたが、メンバーの脱退もあり、縮小の一途に。そんなとき、氏神は知人の紹介で事業に手を出して失敗を繰り返した。金銭トラブルの被害額は1億円を超えた。

「1回目はもつ鍋店の開店前に2000万円の資金を知人に持ち逃げされました。2回目は目黒にプールバーを開いたら、バイトテロで勝手に高価な食材を飲み食いされ、1000万円近い被害額になりました。3回目は知人の投資家を信用して、リーマンショックで7000万円が消えた。合計で約1億円近くの損。でも、借金じゃなく、拙者の貯金だったから周りには一切迷惑はかからない『些細なこと』で終わらせました。それから副業はやっていません」

 最後まで活動の中心は音楽活動と語る氏神は、昨年リリースしたシングル『栄冠は君に』でオリコンチャート6位に入った。俳優、タレント活動も継続しており、粘土工芸などの芸術分野や落語にも挑戦している。

「死ぬまでにやりたいことを100個書き出して、できたら消していくんです。でも、最後は足腰が元気なうちに世界一周旅行をしたいですね。だから、今は年齢を逆算しながら生きています」

 4月18日にイカ天出場バンドが集結し、川崎クラブチッタでロックフェスが開催された。カブキロックスは、13年ぶりにオリジナルメンバーでステージに立った。

「『お江戸-O・EDO-』以降、売れなくなり、コミックバンド扱いされることもありましたが、イカ天のおかげで人生が変わった5人が60を過ぎて久しぶりに集まりました。今でもみんな音楽を続けているし、誰一人病気のやつもないし、捕まってもいないし(笑)。これこそ奇跡ですよ」

 多くの困難を乗り越えてきた氏神は、最後に「大切にしてきたこと」を口にした。

「拙者は元来、楽観的な性格でどんな困難も『人生の社会科見学』だと思って生きてきました。お金についても生きていく上で必要な分さえあれば良いですし、誰かに『M-1グランプリに出よう』と誘われたら、『いいね』と言える人でいたい。世間的な成功や失敗より、批判や誹謗中傷されようと、己がやりたいように生きて成功だと思ったら、それが本当の『人生の勝利者』だと思います」

 氏神の夢は令和にイカ天のような番組を復活させること。先日、自らテレビプロデューサーにプレゼンしたという。次世代の若者が明るい未来を目指し、希望を持って生きられる社会であって欲しい。そんな思いを胸に、これからもステージに立つ。

□氏神一番 元禄3年生まれ。TBS系『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』(通称『イカ天』)でデビューを果たしたカブキロックスのリーダー兼ボーカル。現在は俳優業やバラエティー番組出演などさまざまなジャンルで活動。91年に朝丘雪路さんを家元とする日本舞踊「深水流」の名取師範(深水雪業)となっており、日本舞踊家として歌舞伎座の舞台にも出演経験を持つ。

氏神一番 公式HP:https://twinkle-co.co.jp/talent/ujigamiichiban/
YouTubeチャンネル「カブキングCH」:https://www.youtube.com/@CH-ex1gn
Twitterアカウント「氏神一番電子幸便」:https://twitter.com/ujigamikoubin
ブログ「お江戸捜査網」:https://ameblo.jp/uipro/

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