東大に8年在籍しネイマールの通訳に…新入生へ贈るメッセージ「4年間で卒業する必要はない」

4月からいよいよ新生活。高校を卒業し、大学生活に期待を膨らませている新入生も多いだろう。大学時代をどう過ごすかは、本人次第。フットリンガル代表のタカサカモトさんは東大に進学したものの、卒業まで8年の歳月を費やした。その間、メキシコの屋台でタコスを売り、ネイマールの所属サッカーチームに“飛び込みプレゼン”するなど、入学当初は想像もしない経験を積んだ。卒業後はネイマールの通訳を担当。3月1日に初の著書『東大8年生 自分時間の歩き方』(徳間書店)を上梓したサカモトさんに波乱の8年間を聞いた。

取材に応じたタカサカモトさん
取材に応じたタカサカモトさん

“異色の東大生”鳥取から上京当時には想像もしていなかった経験が…

 4月からいよいよ新生活。高校を卒業し、大学生活に期待を膨らませている新入生も多いだろう。大学時代をどう過ごすかは、本人次第。フットリンガル代表のタカサカモトさんは東大に進学したものの、卒業まで8年の歳月を費やした。その間、メキシコの屋台でタコスを売り、ネイマールの所属サッカーチームに“飛び込みプレゼン”するなど、入学当初は想像もしない経験を積んだ。卒業後はネイマールの通訳を担当。3月1日に初の著書『東大8年生 自分時間の歩き方』(徳間書店)を上梓したサカモトさんに波乱の8年間を聞いた。(取材・文=水沼一夫)

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 鳥取生まれのサカモトさんが東大を意識したのは高校2年生のときだった。予備校のイベントがきっかけで東大進学を志望。2004年3月、高校のパソコンで合格を知ると、「解放感で倒れましたね」と安堵(あんど)の気持ちが駆け巡った。

 進学校に総代として入学するほどの頭脳の持ち主。とはいえ、「東大より東京に行きたかった」と話す。都会でさまざまな人と出会い、刺激を得たい気持ちが強かった。入学前に描いていた人生プランは卒業後、国連などに就職して国際経験を積み、「40代過ぎたら地元で教師になろう」。受験ではICU(国際基督教大学)も候補の一つだったという。

 入学式に出席し、学生生活が幕を開ける。希望を胸に校門をくぐったが、「大学に関しては喜びの部分と失望、両方ありましたね」と振り返る。

「田舎から知り合いの1人もいない状態でやってきた人間がわずか数年の間にあれだけ魅力的な先生だったり、刺激的な友人に恵まれた」。初日に出会った小松美彦先生は「同じ人間とは思えないくらいの衝撃」を受けた恩師の1人だ。悩み相談にも乗ってくれ、サカモトさんの学生生活に大きな影響を与えた。毎年3000人の学生が入学する。「意外と普通の子が多かった」と印象を語るが、探せば個性的な学生とめぐり会うことができた。

 一方で、学生は学ぶ意欲のある人間とそうではない人間に分かれたという。「どの大学もそうだと思うんですけど、何を学ぶのが刺激的で知的好奇心をそそられるかというよりは、楽に単位が取れる授業を一個でも取ろうと考えている子が東大と言えど多かった」。

 さらに「守衛さんの『おはようございます』にちゃんとあいさつしない人が多いとか、食堂で食器を下げるときに『ごちそうさまでした』を言わない子が多いのは普通にめちゃくちゃ気になりました。世の中を動かす側に行く人が多い大学だと思うんですけど、そういうあいさつもできないで世の中語るのかこの野郎と思いながら見ていたところはありましたね」と指摘した。

 サカモトさんは4年生に上がるときに最初の休学を選択する。

「やりたいことが決まっている子が就活することには違和感なかったんですけど、自分はそこがまだ見つけられていなくて、見つけられていない自分が就活だねって言われて就活するのもしっくり来なかった。なんとか時間を止めたい思いもあって最初は退学しかけちゃったんですけど、友人の説得があって休学を選択しました」

 8年間で退学を考えたのは計3回。そのたびに説得されて籍を残した。「大学に刺激は感じられていなかったと思います」。人と出会うことは東大の外でもでき、学生として留まることに意義を見いだすことができなかった。「東京の街全体がキャンパスみたいなものだった」。身近な人間の死が続き、自暴自棄寸前になった時期もあり、「生き急いだところもあった」と、回顧する。

東大は「意外と普通の人が多い」と言う【写真:写真AC】
東大は「意外と普通の人が多い」と言う【写真:写真AC】

メキシコ留学→ブラジルの名門サッカークラブ「サントスFC」に飛び込みプレゼン

 サカモトさんの渇望する欲求を満たしたのは海外だった。

 学生6年目の09年夏からは約1年、メキシコで暮らした。以前、旅行者として2週間滞在したことがきっかけで、メキシコ政府奨学金による国費留学生としてUターンした。「行ってみたらいい人が多くて、『次いつ帰ってくるんだ』ってみんなに言われてその気になってしまって、じゃあ帰ってくるよって宣言して奨学金に応募しました」

 外国人ばかりの語学学校の授業に魅力を感じなくなると奨学生としての資格を放棄し、お気に入りのタコスの屋台で働いた。「メキシコに初めて旅行に行ったとき、タコスがおいしくて留学中は屋台巡りして隙あらば屋台でタコスを食べていました。地元の人には衛生面からやめろと言われてたんですけど、無視してずっと行っていましたね」

 食材の下準備、屋台の組み立てから鉄板を使っての調理、片付けまで。「夕方5時くらいから夜中の1時、2時。遅いときで帰宅が3時でした」。それを週6回、3~4か月続けた。大好きなタコスを作れることに熱中した。治安面から日本人はまず訪れないような場所で、地元の常連客から生きたスペイン語を学んでいく。「スペイン語は確実にうまくなりましたね」。収穫はもう一つあった。「たまねぎのみじん切りです。やたらうまくなりました」

 7年目の夏に帰国し、復学する。しかし、熱気に満ちたメキシコの生活から一転、灰色の大学生活に逆戻りする。体重は10キロ増え、再び中退を相談するほど目標を見失った。ところが、8年目の6月、サカモトさんにまたも転機が訪れる。インターネットで偶然ネイマールの記事を発見。名門サントスFCが南米王者に返り咲いたという内容で、当時19歳のネイマールが若き天才としてクローズアップされていた。かつてサッカー少年だったサカモトさんはネイマールを調べ、その独創的なプレーに心を射抜かれる。12年2月下旬の卒業旅行は、ブラジル移住を見据え、地球の裏側に降り立った。

 サンパウロで職探しをしたが結果が出ず、途方に暮れたサカモトさんはバスで行ける距離にあったサントスFCを訪ねる。そしてクラブの歴史を伝える記念館を見学しているとき、意外な行動に出る。クラブの日本語サイトを見ていたサカモトさんは誤字が散見していることに気づく。「自分なら正しい日本語でクラブの魅力を伝えることができる」。そう思い立つと、その場で記念館の案内スタッフに「クラブの担当者と話をさせて」と、“飛び込みプレゼン”を行った。

「ブラジルに行くとき、最初は日本人学校で働こう、日本語の新聞社で働こうと考えていたんですけど、しっくりこなくて開き直ってサントスに、日本語を使わないような選択肢で行ったら意外とスルスルと行った。自分の場合は日本語を使わないコミュニケーションで、日本じゃない文化の人と接したときのほうがスムーズにいくような傾向があったのかもしれない」

 いったん帰国した後で再び現地に渡航し、サントスFCの広報部の一員として採用される。卒業旅行からわずか2か月後の12年4月、サカモトさんはサントスFCクラブハウスの食堂で当時20歳のネイマールを紹介される。

「東京に行ったときも面白い人にいっぱい会いたい、自分が会ったことのない人に会いたい関心があって、常に年齢、性別、職業、国籍問わず興味がある人に話しかけてということをずっとやっていたんですけど、ネイマールもその延長だったんですよね。サントスに行ったのもそこの興味があったからだと思います」

 初対面のネイマールの姿は今でも鮮烈だ。「ネコ科の動物みたいな人だと思いました。猫が歩いているときって体重を感じさせないじゃないですか。目つきも含めてちょっと動物っぽい印象がありましたね」

初の著書『東大8年生 自分時間の歩き方』(徳間書店)を発売した
初の著書『東大8年生 自分時間の歩き方』(徳間書店)を発売した

大学は「何年かけても卒業してもいい」 卒業は「100%ポジティブに捉えている」

 どんな感情がこみ上げたのだろうか。

「興味のある人に会うのは著名な人じゃなくても感激はするんですけど、とはいえ簡単に会えるタイプの人じゃない。本当に会っちゃった…という不思議な気持ちもありました。あの時ポルトガル語が全然できなかったんですよ。スペイン語はできたので、『こうなればポルトガル語になるはずだ』みたいな感じで勝手に作ったポルトガル語で話しかけたんですけど、あとで学んでから振り返るとめちゃくちゃ言っていたことが分かって。でもちゃんと話を聞いてくれていたので、本当にいい人だったなという印象です。それに対する感激は残っていますね」

 サカモトさんはその後、ネイマールの来日時に通訳を務めるなど、大きく飛躍していく。

「勝手に僕は恩人だと思っています。彼も僕のことを覚えてくれている。彼がきっかけになって人生が大きく動いたことは事実ですし、その後も僕は日本人のサッカー選手を中心に語学を教える仕事をしていますけど、それが形になったのもネイマールが日本に来て通訳していたときの出会いがきっかけです。なんやかんや彼にきっかけをもらっています」

 道なき道を切り開く、人並外れた行動力。サカモトさんは大学8年の中で種をまき、見事に開花させた。

「僕が8年生のとき、他に8年生まで行った人ですか? 見たことないです(笑)どのような目で見られるか自体を全く気にしていなかったので、どのような目で見られていたか全く分からないし、記憶もないんですよね」

 卒業は「100%ポジティブに捉えている」。そこまでの時間をどのように使うかはその人次第だ。「4年間で卒業する必要はないのと、18歳で大学に入る必要もないと思います。いつから行ってもいいし、何年かけて卒業してもいい。1回働いてまた戻るでもいいですし、それは自分で決めればいい」とサカモトさんは結んだ。

□タカサカモト 1985年4月12日、鳥取県生まれ。東京大学文学部卒業。フットリンガル代表。国際舞台での活躍を志すプロサッカー選手を中心に語学や異文化コミュニケーション等を教えている。子育て中心の生活を送る1児の父。

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