つんくファミリー→戦隊ヒロイン→『ZIP』お天気キャスター 芸能生活20年のにわみきほはいつも“ういた存在”だった

ファッション誌のモデルからスタートし、アイドルユニット、俳優、日本テレビ系『ZIP!』のお天気キャスターとしても活躍したタレント・にわみきほ。今は子育てに奮闘中で、春には第2子出産を控えているが、今年は芸能生活20周年となる節目の年でもある。マルチに活躍したこの20年の思い出を聞いた。すると仕事のオーディション会場で、いつも“ういた存在”だったと明かした。「歌は苦手です」と宣言したらアイドルユニットのメンバーに選ばれたことも。まずは芸能界に入ったきっかけから尋ねた。

20年の芸能生活を振り返るにわみきほ【写真:ENCOUNT編集部】
20年の芸能生活を振り返るにわみきほ【写真:ENCOUNT編集部】

仕事をいったん辞めようかと悩んだことも

 ファッション誌のモデルからスタートし、アイドルユニット、俳優、日本テレビ系『ZIP!』のお天気キャスターとしても活躍したタレント・にわみきほ。今は子育てに奮闘中で、春には第2子出産を控えているが、今年は芸能生活20周年となる節目の年でもある。マルチに活躍したこの20年の思い出を聞いた。すると仕事のオーディション会場で、いつも“ういた存在”だったと明かした。「歌は苦手です」と宣言したらアイドルユニットのメンバーに選ばれたことも。まずは芸能界に入ったきっかけから尋ねた。(取材・文=中野由喜)

「小学校の高学年から中学まで古里の愛知県でダンスを習っていて人前に出るのは好きでした。ダンスに夢中の中2のある日、おじいちゃんと本屋さんに行ったら、おじいちゃんがファッション誌のニコラを買ってくれたんです。そこにモデルのオーディションの応募用紙がついていたんです。受けるなら東京に行けるし、グランプリの副賞は当時はやっていた財布。母に相談し、好奇心で応募したら、あれ、あれという間に2次審査、3次審査と進みグランプリになった感じです」

 芸能界で生きていく覚悟はあったのか。

「最初は東京に行けるし、お財布が欲しいというだけでした。当時は活発な女子でカメラの前でかわいく見せるタイプとは真逆。グランプリ受賞をきっかけに週末に東京に通う生活が続き、遊ぶ時間も全くなくなりましたが、ニコラの現場で全国各地から集まる同世代のモデルと情報交換ができて部活の延長みたいで楽しかったんです」

 05年にはアイドルユニットのニコモノの一員として歌手デビューを果たし、07年にはつんく♂がプロデュースしたユニット・キャナァーリ倶楽部のメンバーとして活動した。

「実は私、最初につんく♂さんに『歌は苦手です』と宣言したんです。オーディションでは他の人がフルコーラスを歌う中、私はワンフレーズを歌うだけでした。歌はそんなにうまくないし、モデルの仕事に誇りとこだわりがありましたから。なのでキャナァーリ倶楽部に入る前は葛藤がありました。つんく♂さんに、それを見抜かれて『僕の前で背伸びした人を初めて見たよ』と言われました。多分、仕方ないから頑張るかと、少しけだるそうに背伸びしたのだと思います(笑)。それが逆につんく♂さんの印象に残ったようです。後で聞いたら、つんく♂さんは一生懸命な人だけでなく、けだるさを感じさせる人も求めていたそうです。でも私はやるとなったら一生懸命になるタイプ。結果、他のメンバーと同じカラーになりがちで悩みました」

 仕事をいったん辞めようかと悩んだこともあったという。

「ニコラを卒業したらいったん普通の女の子に戻ろうかと思ったんです。中学時代から金曜の夜に上京して都内のホテルに泊まり、土、日に仕事。夏休みも冬休みも家にいないので、母にとって私は普通の娘ではなくなっていました。だから高校生活は親もとで甘えて暮らしたいと考えたんです。高校卒業時にまた仕事ができたらいいなと。でもキャナァーリ倶楽部は自分の意思だけでは決められない大きなプロジェクト。結局、仕事を続ける道を選びました。ただ高校は地元。それは良かったなと思います」

第2子妊娠中のにわみきほ【写真:ENCOUNT編集部】
第2子妊娠中のにわみきほ【写真:ENCOUNT編集部】

 その後の仕事について聞くと「私の人生は今、6章に別れています」と切り出した。

「第1章がニコラ、第2章はキャナァーリ倶楽部、第3章はモデルとラジオパーソナリティー、第4章が『天装戦隊ゴセイジャー』、第5章は『ZIP!』、そして今、第6章の子育てという20年です」

 最も印象に残っている楽しい仕事は何だろう。

「『ゴセイジャー』です。カメラを前にした本格的な初めてのお芝居でした。実は何のオーディションかも知らずに行ったんです。今でも忘れられないのは会場の殺伐とした雰囲気。みんな与えられた台本の読み合わせをしているんです。私のマネジャーは平常心で受けさせようと、私に何も知らせなかったようです。何の準備もせず、戦隊ものを見たこともなかったのに合格したのは運命です。オーディションでは、本名ではなくアイドル時代の呼び名の『みっきー』と名乗って受けましたし、この会場でも相当ういた存在だったと思います」

『ゴセイジャー』では何が楽しかったのか。

「街に出るといろんな方に声をかけていただけるのがうれしかったですね。お子さんとそのお母さん、お父さんにも私の顔を知っていただきました。やりがいをすごく感じました。もともと体を動かすのが好きだったのでヒーローショーも楽しかったです」

 第5章の『ZIP!』の思い出はどうか。このオーディションでもういた存在だったのか。

「またまた、ういた状態でした(笑)。リポーターのオーディションだと思って会場に行ったんです。実際に会場では食レポの原稿を読んでいました。でも途中、なぜかお天気の原稿を渡され、その後、お天気キャスターの最終候補になっていると連絡があったんです。私の中のお天気キャスターは清楚でお嬢様のイメージ。私とは違います。オーディション会場にいる人たちはみんなフェミニンな洋服で来ていましたが、私はジーパンにTシャツでした。あとで平日の毎朝2時起きの仕事だと聞いてパニックになりましたし(笑)。でも仕事を始めたら毎朝、離れて暮らす両親に私の顔を見せ、今日も元気だとテレビ越しに伝えられることがうれしかったですね。アナウンス能力には自信はなかったので両親や祖父母に語りかけるように天気予報を伝えていました」

 最後に第5章までの芸能生活を総括してもらった。

「モデル、アイドル歌手、お芝居、お天気キャスター、これほどマルチに活動した経験はこれから生きてくると思っています。私、基本、仕事にNGはないんです。それは1章から5章までの経験があるから。今、歌をやれと言われたら全力で頑張ると思います(笑)。経験が自分の知識となり、力となっていると実感しています。今後、何にチャレンジできるか楽しみです」

□にわみきほ 1989年9月27日、愛知県生まれ。2003年にファッション誌のニコラの第7回ニコラオーディションでグランプリを受賞して芸能界入り。05年に虎南有香、岡本玲、我妻三輪子、松本玲奈とアイドルユニットのニコモノを結成して歌手デビュー。06年3月にニコモを卒業し、07年につんく♂がプロデュースしたキャナァーリ倶楽部のメンバーに。10年にはテレビ朝日系『天装戦隊ゴセイジャー』にモネ/ゴセイイエロー役で出演、この番組でにわみきほと改名。13年には日本テレビ系『ZIP!』にお天気キャスターに。16年11月に日本テレビの田中毅アナウンサーと結婚。20年1月に第1子となる男児出産。22年11月に第2子妊娠を報告。

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