藤波辰爾、アントニオ猪木に唯一勝利した試合の心境を初告白「手のひらで踊らされていた」

21日、FM三重にて「追悼 アントニオ猪木」が放送された。午後1時30分~3時55分の約2時間半という長時間の番組は、さまざまなプロレス&格闘技関係者の取材を行い、「猪木詩集(文庫版)」の制作も手掛けてきた“Show”大谷泰顕氏と、元AKB48チームBキャプテンでプロレスをこよなく愛する倉持明日香をパーソナリティーに、アントニオ猪木の名勝負の数々をテーマ曲と共に振り返った。

60分フルタイム闘ってドローだった猪木VS藤波戦の試合後の控室(1988年8月8日、横浜文化体育館)【写真:(C)猪木元気工場】
60分フルタイム闘ってドローだった猪木VS藤波戦の試合後の控室(1988年8月8日、横浜文化体育館)【写真:(C)猪木元気工場】

最初の猪木戦は「カラダが動かない。硬直して。金縛り」(藤波)

 21日、FM三重にて「追悼 アントニオ猪木」が放送された。午後1時30分~3時55分の約2時間半という長時間の番組は、さまざまなプロレス&格闘技関係者の取材を行い、「猪木詩集(文庫版)」の制作も手掛けてきた“Show”大谷泰顕氏と、元AKB48チームBキャプテンでプロレスをこよなく愛する倉持明日香をパーソナリティーに、アントニオ猪木の名勝負の数々をテーマ曲と共に振り返った。

 番組内では実弟の啓介氏、藤波辰爾、小川直也から、それぞれ猪木にまつわる話が紹介された。例えば藤波は、猪木の第一印象を振り返り、「あまりにもすごい方だったので、僕が憧れて(プロレス界に)入った人なんだけど、やっぱり怖さですね」と明かしつつ、自身が日本プロレスに入門した当初から猪木の付き人をしていた関係で、猪木が新日本プロレスを立ち上げるにあたり、そのまま猪木に追随していく人生を歩むことになったと経緯を話した。

「だから猪木さんが日本プロレスを除名された時に、この先どうなるかわからない。そういう不安なことよりも、あの時、猪木さんがプロレスを辞めていたら、僕も辞めていたでしょうし。だからその時からもう猪木さんとは一心同体じゃないけど、(何があっても)猪木さんについていく」と覚悟していたという。

 また、藤波は猪木との初対決(1978年5月20日 秋田県立体育館)に関して、「最初に闘った時はカラダが動かない。硬直して。金縛りですね。蛇ににらまれたカエルじゃないけど、終わった後、ものすごく情けなくなってね。何もできなかった。(そんな経験が)2、3回あったね」と回想した。

 ちなみに、藤波と猪木は合計7回の一騎打ちを行っており、最後の対決(1988年8月8日、横浜文化体育館)で60分フルタイムドローで引き分けた以外は、すべて猪木の勝利に終わっている。

「最後(の一騎打ち)が横浜なんだけど、その頃は初対決から時間がたっているし、自分もある程度、メインを張ってきた自負もあったし。自分は猪木さんと10歳違うんだけど、まさか落とすことはないだろうと、自分に自信を持っていた頃だったから。結果、最後の横浜の時は60分、ねえ? あの底力っていうのか。あらためて猪木さんのすごさを知った感じでね」

 番組内ではパーソナリティーの大谷氏が、6度目の一騎打ちになった一戦(1985年9月19日、東京体育館)に関して熱を持って話していた。当時の新日本には、長州力を筆頭とするジャパンプロレス勢、藤原喜明、前田日明、高田延彦らのUWF勢が抜け、新日本にはスター選手があまり残っていなかった。そのなかで行われた猪木VS藤波戦という最後の切り札だったが、「それでも(会場が)満員にならなかった」(大谷氏)という。

「いつもイケイケの新日本がこの時ばかりは弱気になっていた。だからこそ、新日本を応援しないといけないと思った」(大谷氏)と当時の状況を説明していくが、実はその年の年末に、タッグマッチながら藤波史上、最初で最後となる、猪木から3カウントフォールを奪ったことがある。

「例のごとく、やられたなって」(藤波)

 藤波は言う。

「結局、僕と猪木さんが闘う時っていうのは、なんとなく新日本プロレスが興行的に厳しい時、要するに困った時の神頼みじゃないけど、困った時の猪木VS藤波戦みたいなね。それと長州も天龍(源一郎)も、猪木さんからフォールを取っているんだけど、僕だけはシングル(マッチ)で勝っていないんですね。ただ、タッグで1回、勝っているんですね」

 時は1986年12月12日、場所は仙台・宮城県スポーツセンターだった。

 当時の状況を説明すると、年末恒例のタッグリーグ戦の優勝決定戦で猪木、坂口征二組と、藤波、木村健吾組の試合が組まれた。本来その決勝戦は、リーグ戦を1位で通過したブルーザー・ブロディ、ジミー・スヌーカ組が出場するはずだった。

 ところがブロディ、スヌーカ組は、何を思ったか決勝戦を闘わずに試合をボイコットしてしまう。慌てた新日本は急きょ、リーグ戦の戦績が2位と3位だった、猪木組と藤波組での優勝決定戦を組むことを決める。

「あの時も試合を振り返ると、猪木さんの直感力っちゅうのか。僕らは若いし勝ちたいから、木村といっしょに坂口さんたちを追い込んでいくんだけど。最後、僕がドランゴンスープレックスで猪木さんをフォールするんだけど、僕が知っている猪木さんだと、普通、跳ね返して当然なんですよ。猪木さんはすごくプロレスの強い方だから、そんな簡単に俺がお前たちに屈するアレじゃないんだけど、あの時は猪木さんが素直に僕に屈したんですよね」

 結果として藤波は猪木から3カウントのフォールを奪い、藤波組は初優勝を手に入れる。

「その時に僕がレフェリーに勝ち名乗りをあげて、レフェリーに手を挙げてもらっているんだけど、僕が猪木さんの顔をふっと見たら、猪木さんがちょっと笑っているような気がしたんですよ。そう見えたの。これは例のごとく、猪木さんにやられたなって。ていうのはムードなんですよ、ムード。新日本プロレスのムードが、結局、前田も長州も出て行っていない。外国人選手にしても、ましてや決勝戦の一番大事な時にブロディもスヌーカもいなくなっちゃう。要するに新日本が冷え込むっていう状況の時に、猪木さんが僕らと同じ立場でガムシャラになってどうするんだっていう」

 つまり藤波は、新日本プロレスの落ち込んだ暗い雰囲気を払拭(ふっしょく)すべく、猪木が自ら一歩下がる状況をつくることで、新日本に注目させる場面をつくったのではないか、と話したのだ。

「たまたまその時に僕がものすごく完璧な状態でドランゴンスープレックスをかけたもんだから、猪木さんは自分の身を削ってでも、自分たちのところに目を向けさせるっていうのが、あの人はそういう天性のものなんでしょうね。僕にはできない。時間がたつにつれて、これは猪木さんの手のひらの上に踊らされていましたね」

 そう言った後、藤波はこう続けた。

「初めてこれ、自分でもやっとこう、時間がたって振り返って思うと、初めてこうやって言いましたけどね。たぶん、これは間違いない」

番組の進行役は“Show”大谷泰顕氏(右)と倉持明日香が務めた
番組の進行役は“Show”大谷泰顕氏(右)と倉持明日香が務めた

「(猪木の)完璧じゃない、愛すべき部分にすごく引かれました」(倉持)

 さて、約2時間半という長時間の番組を終え、パーソナリティを務めた大谷氏はSNSを通じ、「この度は、素晴らしい番組に関わらせていただき、ありがとうございます。しかし、やはりこれ、MVPは倉持明日香さんですね。彼女が参加してくれたことで想像を遥かに上回るものができた気がします」と心境をつづっていた。あらためてその真意を尋ねると、「いやあ、もう倉持明日香様様です」と笑顔を隠さない。

「実は番組をリアルタイムで聴くことができず、当日の夜にradikoを通じて確認したんですけど、収録前には彼女がどんな反応をするのか。そこだけは手探りだった。でも、実際に番組を確認しても、彼女はプロレスという独特のジャンルにもかかわらず、十分にツボを心得ている。それとタレントさんだから当然なのかもしれないですけど、自然体でその場の流れを読む能力が非常に高い。その昔、新日本にUWF軍団として参戦した時の前田日明が、藤波に対し『無人島だと思ったら仲間がいた』みたいなことを言っていましたけど、それと似た心境かな。こんなところに共通言語を持つ女性がいたのかと感心するばかりです」(大谷氏)

 一方、大谷氏とともに同番組のパーソナリティーを務めた倉持は、番組内で大谷氏が話す、闘魂外交の話や過去の名場面の会場の空気感などを耳にし、「そういうのを教えてもらえることが今、すごく幸せだなって思って。そういうのを経験した人しかしゃべれない言葉だったり、伝えられない空気感っていうのは必ずあると思うんですけど、そういうのをバトンじゃないですけど、受け継げたなっていうのはすごく感じて」と番組内で感想を述べており、猪木の発したダジャレの話などにも「完璧じゃない、愛すべき部分というものにすごく引かれました」と話していた。

 実際、番組放送前にはSNSを通じ、「Showさんや豪華な皆様からの初出しエピソードが、とにかくすごいです…!」とツイートしている。

 さらに今回の「追悼 アントニオ猪木」の放送を終え、制作を担当したFM三重の代田和也氏に話を聞くと、以下のように答えた。

「放送を終えて。アントニオ猪木さんの番組を制作できたことを大変うれしく思うと同時に、あらためて、偉大な人物を失った現実に喪失感を抱いています。番組制作に携わり、故人の偉大さを痛感することになりました。ただ、プロレスが好きで好きでたまらない大谷さん、倉持さんの熱のこもった生き生きとしたトークは、猪木ファン、プロレスファンはもちろん、それ以外のリスナー=未来のプロレスファンの気持ちも動かしたのではないでしょうか」

 実際、リスナーからは「アントニオ猪木さんのいろんなエピソードが知れた素晴らしい番組でした」「プロレスに夢中だった頃の記憶が蘇る」といったものから、「プロレスは詳しくないですが、興味深い話しばかりです」などの感想も届いているという。

「故人を偲び生まれたこの番組が、また誰かの心を燃やし、熱い闘魂が連鎖し受け継がれていくことを願います」(代田氏)

 なお、「Radio3 FM MIE」の愛称で知られるレディオキューブFM三重はFM TOKYOの系列局で、三重県の県域FMラジオ局ながら、PC・スマホから利用可能な「radiko」をインストールすれば、3月28日までは日本全国どなたでも聴くことができる。番組の感想を「#テーマ曲で振り返るプロレス名場面」でつぶやけば、抽選でアントニオ猪木の闘魂タオルがプレゼントされるという。

※高田延彦の「高」ははしごだか

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