創部60年の早大少林寺拳法部に史上初の女性主将「プレッシャーで恐怖と不安がすごかった」
創部60周年を迎えた早稲田大少林寺拳法部に昨年度、初めて女性主将が誕生した。同部は1962年に任意団体として発足。66年に「学生の会」となり、2009年に早大競技スポーツセンター44番目の「体育各部」として承認された。その後、11年に全日本学生大会総合優勝、12年、15年、16年に全日本学生大会団体演武1位、18年、19年には全日本学生大会で総合優勝2連覇という快挙を達成するなど輝かしい成績を残している。武道系の体育会で女性主将は異例で、大学内外から大きな注目を集めていた早大少林寺。スポーツの名門“ワセダ”の看板を背負って奮闘した社会科学部4年で60期主将の籾美吹(もみ・みぶき)さんにこの1年間の経験と苦労、卒業後の進路を聞いた。
大学当局も大喜び 9部を代表して「団体名誉賞」表彰状を受領
創部60周年を迎えた早稲田大少林寺拳法部に昨年度、初めて女性主将が誕生した。同部は1962年に任意団体として発足。66年に「学生の会」となり、2009年に早大競技スポーツセンター44番目の「体育各部」として承認された。その後、11年に全日本学生大会総合優勝、12年、15年、16年に全日本学生大会団体演武1位、18年、19年には全日本学生大会で総合優勝2連覇という快挙を達成するなど輝かしい成績を残している。武道系の体育会で女性主将は異例で、大学内外から大きな注目を集めていた早大少林寺。スポーツの名門“ワセダ”の看板を背負って奮闘した社会科学部4年で60期主将の籾美吹(もみ・みぶき)さんにこの1年間の経験と苦労、卒業後の進路を聞いた。(取材・文=鄭孝俊)
――少林寺拳法はいつから習い始めましたか。
「兵庫県内の幼稚園に通っていた4歳の時です。母親が『いじめられた時は自分で身を守ることができるようにしなさい』といつも言っていて、武道をやらせたかったそうです。当時、兄が少林寺拳法を習っていたので、私もそのまま少林寺拳法をやる流れになりました。小学校6年の時に初段、中学3年の時に2段、高校2年生の時に3段に昇段、大学3年で4段を取得しました。中1の時は全国中学生大会に予選落ち、中2、中3で女子本選に進んだぐらいでしたが、高1の時に全国選抜大会で初めて全国3位になりました。そこから少しずつ全国で戦えるレベルになってきたかなと思います。
高校2年の全国高等学校少林寺拳法選抜大会女子単独演武の部で優勝、3年の少林寺拳法全国大会男子高校生の部(男女の組演武)でそれぞれ優勝しました。少林寺拳法自体は気づいたらやっていたので、やめようと思ったことはないです。少林寺拳法の魅力は力の大きさで勝ち負けが決まるのではなく、体の使い方で女子が男子に立ち向かえるところ。小学4年ぐらいから県大会に出場し始めたのですが、そこで初めて負ける悔しさを知って、どんどん練習するようになりました。中学の部活動は剣道部で、少林寺拳法は町の道院に通っていました。高校の部活は少林寺拳法部でした」
――全国1位は素晴らしい成績ですね。早大を目指したのはなぜでしょうか。
「私が高校3年のときに、早大少林寺拳法部59期主将(当時大学1年)から早大社会科学部には全国自己推薦入学試験(※1)という制度があることを聞き、それでチャレンジしました。受けるだけ受けておくかぐらいの気持ちだったのですが、幸いにも良い結果が出てとてもうれしく思いました」
(※1)高校などでの活動歴をもとに自分を推薦する入試制度。受験勉強に力点をおいてきた人とは一風異なった個性を持つ人を対象としている。地域性を重視し、全国から幅広い人材を募っている。22年の出願期間は9月22~30日。1次選考(書類審査)と2次選考(小論文と面接試験)があり、12月9日に合格発表があった。志望者数は297人、合格者数は39人だった。
――主将に指名された時はどんな気持ちでしたか。
「実は同期で少林寺拳法の経験者は私だけでしたし、大学入学時にすでに3段をとっていたので、1年の頃から『将来は主将頼んだよ』といった雰囲気はありました。3年の11月に実際に各代で話し合って正式に主将に指名された時はものすごいプレッシャーで恐怖と不安がすごかったです。ネガティブな言葉ばかり頭に浮かんですごく焦りました。『女性初の主将』みたいに言われることと、私が1年の時の当時4年の先輩方がとても頼もしくて、『この人たちについていけば間違いない』と思わせてくれたのですが、それを今度は自分がやらなきゃいけないのか、という思いがありました。どうすればいいのか分からなかったし、自分は今まで“主将”という立場で人の前に立ってきたことがなかったので、『自分にそんなことができるかな』っていう焦りでいっぱいでした」
――高校生の時との違いは大きかったですか。
「高校の時は副将でしたが、顧問の先生が部活を動かしてくれるっていうのが当たり前でした。しかも、高校と違って大学は“ワセダ”という看板を背負うことになります。そこがすごくでかくて(笑)」
――先ほどの“恐怖”はどこから来たのでしょうか。
「高校生の時に全国1位になりましたが、それは自分が試合に勝ってきたのであって、結局自分が練習して自信が出てきて大会に出て勝つ。もう自分の中で自己完結しているんですね。でも主将になると自分のことだけではなくて、周りを引っ張っていかないといけないですし、同期と後輩全員を持ち上げていかないといけない。その責任感は大きくてけっこう怖かったです。部の成績もありますが、何よりも“ワセダ”という看板や少林寺拳法部の伝統を意識せざるを得ないところは強いプレッシャーでした。本当に文字通り“プレッシャー”でした(笑)」
――実際、主将に就任してからはどんなことに留意しましたか。
「自分1人の意見であれこれ進めていくという人にはなりたくなかったですね。同期の意見を聞いたり、相談したりしてから稽古を進めるようにしました。後輩の準幹部に確認をとり意見を求めて、それを取り入れるか取り入れないかを判断していきました。特に演武は2人で組んで行うことが多いので誰と誰を組み合わせて、誰が指導するのか、また部活全体の方向性も細かく話し合いました。私たちとしては全日本学生大会で総合優勝するという目標を掲げて、部員全員がそこに向かってひたむきに努力できるよう頑張りました」
――具体的にはどういうメニューを出していきましたか。
「早稲田少林寺拳法部の基本というものがあります。他の大学に比べると独特な部分があるというか。高校生まで私が習っていた少林寺拳法は上半身で相手を威圧するという感じだったのですが、早稲田の基本は下半身を意識し、威圧ではなく『本当にその突きで人をしっかり倒せるのか』『技がきちんと極まっているのか』というところを重視します。自分の力が最大限、相手に加わっているかどうかっていうところに重きを置いているので、演武でもリアリティーと力強さが求められます。
そこは重点的に練習してきました。筋肉量を増やすために筋トレの量を増やしました。スクワットは1セット50回、ゆっくり3秒かけて下げるスクワットを30回、逆にゆっくりかけて上げるスクワットを30回やったら、今度は股関節や膝の曲げ伸ばしを行なう筋トレのランジを左右40回、大股で行うランジも40回、前後のランジも40回。そういったトレーニングを積み重ねることで部員たちの下半身を鍛えました。早稲田は指導してくださる先生方が毎日いらっしゃるわけではないので、自分たちで成長しないといけない。高校生までは先生に頼りきりだったということが分かったことも、主体的に練習に取り組めた理由だと思います」
――コロナ禍になってからの練習方法は。
「変わった点は気合の出し方についてです。基本練習で行う突きや蹴りでは1本ずつ気合を出すのですが、コロナ禍ということもあり、最後の1本に集中して気合を出すようにしました。その他には常にマスクを着用することや消毒、検温を徹底して道場にも空気清浄機を設置しました」
――“リーダーシップ”については意識しましたか。
「主将だからといって後輩にあれこれ求めることはしませんでした。私にはそんなリーダーシップはないなと思っていたので。誰よりも練習して、誰よりも成績を残すこと。それが自分の中でできることだと考えていたので、試合で勝てるようすごく練習しました。私自身の成績としては、22年度第59回少林寺拳法関東学生大会男女二段以上の部で優勝、立会評価法(※2)女性軽量級の部で優勝、第56回少林寺拳法全日本学生大会男女二段以上の部で優勝、立会評価法女子軽量で優勝することができました。
個人的に運用法がもともと好きで、1年の頃から練習を重ねてきたので、自信もついて堂々と試合ができました。楽しみながら練習することができたことが勝ちに繋がったのかなと思います。運用法だけじゃなくて、組演武も組相手の協力があり楽しく練習することができたので、結果に繋がったと思います。ちなみに偶然でしょうが、慶応大学少林寺拳法部の主将も昨年度は女性が務めました」
(※2)立会評価法とは少林寺拳法独自の防具を着用し突き、蹴りの攻防をジャッジする試合。運用法とも呼ばれる。
就職先はベンチャー企業
――大学当局も相当喜んでいるのでは。
「そう言っていただけるとうれしいです。早大少林寺拳法部創部60周年記念誌『拳友』には田中愛治総長や第12代総長の西原春夫名誉教授(※3)から祝辞をいただきました。練習場に掲げている『拳禅一如』の揮毫(きごう)は西原先生が自らお書きになったものです。今月15日にはめざましい成果を挙げた早大体育各部の表彰式が行われ、全日本学生大会・女子・総合で優勝という成績を残した少林寺拳法部は22年度体育名誉賞の中で最も価値ある『団体名誉賞』に輝きました。私は第60期主将として体育各部計9部を代表して表彰状を受領させて頂きました。私自身も“ワセダ”の看板を背負ってプレッシャーを感じていたので、このような賞を頂くことができてとてもうれしく思っております」
(※3)1月26日に死去。享年94歳。
――主将になって自分の中で変わったところは。
「1年の時はけっこう自分勝手だったと思います。自分の意見が1番だったですし。でも、学年が上がるにつれて、そして、主将という立場になり周りの意見を聞くことで自分が見えてなかったところが見えるようになりました。想像が膨らんで自分でできることも増えたなと思います。とにかく、無駄な時間を過ごすことがなくなった気がします。主将になると後輩の指導もして、自分の練習もしないといけない。大学の授業もあり就職活動も……となると、やはり時間がなくなってくる。それで自分で時間管理がうまくなったというか、この時間にこれして、この間にこれして、という風にやっていくことでダラダラすることもなく、メリハリがついて私生活の状態も良くなった気がします」
――主将と呼ばれることには慣れましたか。
「“主将”という言葉は自分には馴染みませんでした。主将になってから『早く世代交代したいな』と思っていたので(笑)」
――後輩の男子部員に聞きます。女性主将とのコミュニケーションはどうしていましたか。
「性別の部分で特別に何かを感じたことはなくて、普通に女性、男性関係なくコミュニケーションとってくれたのかなと思っています。やりにくいことはまったくなくて、逆に女性の部員が多くなり女性の勢力が高まっていったので、男子が少し劣勢になることはありましたね(笑)。合宿でも(拳を地面に押し付けて腕立て伏せをする)拳立てなどの筋トレについても、女子部員は男勝りといいますか、男子と同じくらいやっていまして、 むしろこっちがちょっと焦るというか、本当に。そこはまったく差はなかったと思います」
――再び籾さんに聞きます。学部の友人にはどう言われましたか。
「授業中、女子の友人が『主将をやってるなんて、すごいね』と褒めてくれました。早稲田の体育各部の主将は普通に大学生していたら味わえないような貴重な経験でしたし、今後の人生にとっていい学びになったと思います。精神も鍛えられましたし、何よりも落ち着いて世の中を見ることができるようになったと思います」
――就職先はどちらですか。
「はい。人材派遣のベンチャー企業に決まりました。目標に対する会社のアプローチと私が少林寺拳法部で培ってきた経験が似ていると思って、会社の存在を知った時はけっこう“ビビッ”ときました。主将という立場で部をまとめ、大会で優勝という結果を出したことに対してどういうアプローチをしたか、というところを私自身も重視していたので、会社の方向性に当てはまっていた部分もあるのかなと。
今度は会社組織の一員として1つの目標に向かっていくことに少林寺拳法部での経験が活かせるのではないかなと思っています。日本社会は、“女性”という響きが、“男性”という響きと違うという雰囲気が印象付いているところがあると感じます。そのような固定概念を覆すためにも、女性である自分が努力して仕事を引っ張っていくというか、“人格者”と呼ばれるようになっていきたいです。4月から社会人になり大学とは違う世界で頑張っていきます。入社後は仕事に専念することになりそうですが、機会があればまた少林寺を続けたいです」