27歳で上京も「地獄の1年」 家賃4万5000円シェアハウスで暮らした女優、どん底からの逆襲
年度の変わり目、希望を持って地方から上京する若者は多いだろう。俳優の水村美咲は27歳のときに大阪から上京した。「遅すぎる」「今更行っても」と言われながら、一大決心でチャレンジしたが、最初は「地獄の1年でしたね」と振り返るほど。仕事のオファーはほとんどなく、飲食店に週6でアルバイト。さらに家賃4万5000円のシェアハウス暮らしはさんざんだった。それでも夢破れず、主演映画『在りのままで咲け』『在りのままで進め』(松本動監督)で主要国際映画祭への出品を予定している。どん底から這い上がった道のりを聞いた。
“名前が印字されていない役”を奪い合う日々 「失敗してもいいから東京に」
年度の変わり目、希望を持って地方から上京する若者は多いだろう。俳優の水村美咲は27歳のときに大阪から上京した。「遅すぎる」「今更行っても」と言われながら、一大決心でチャレンジしたが、最初は「地獄の1年でしたね」と振り返るほど。仕事のオファーはほとんどなく、飲食店に週6でアルバイト。さらに家賃4万5000円のシェアハウス暮らしはさんざんだった。それでも夢破れず、主演映画『在りのままで咲け』『在りのままで進め』(松本動監督)で主要国際映画祭への出品を予定している。どん底から這い上がった道のりを聞いた。(取材・文=水沼一夫)
水村が俳優に興味を持ったのは小学校4年生のときだった。
「小学校のときに男子たちにいじめられていたんですけど、発表会ってあるじゃないですか。男子の一番目立つ役が『魔王』という役だったんですけど、みんな立候補するだろうなと分かっていて、私も立候補したんですよ。結局、私が『魔王』の役をして、オーディションに落ちた男子たちが『魔王の子分』の役になった。毎日毎日いじめられて泣きながら帰っていたけど、芝居の中で強くなれる自分に気づいた。お芝居の世界だとどんな自分にもなれるんだという感覚になり、そのとき初めて芝居やりたいという気持ちになりました」
中学では陸上部に所属。同時に、親に隠れて芸能事務所を調べたり、オーディション雑誌を購入していた。中学3年で養成所に入り、本格的に俳優を目指した。
27歳で上京するまで12年は大阪で活動した。芝居をやりたかったが、仕事自体は少なかった。「ほとんど仕事はなかったですね。1か月に1本2本受けられたらいいぐらい」。大学時代に飲食店で働き約300万円を貯金。実家暮らしで生活には困らなかったが、なかなか理想はかなえられなかった。
大学卒業後には双子の姉とユニットを組み、老人ホームや幼稚園でマジックを披露した。「私は芝居をやりたかったし、お姉ちゃんはアナウンサーになりたかったけど、当時の事務所は隙間産業で誰もやっていないことをやらないといけないという方針。売れてから好きなことやればいいと言われたので、『2年で何も起こらなかったら私は芝居のほうに戻ります』という約束でやりました」。その言葉のとおり、2年で解散した。
その後は京都の時代劇スクールに通い始め、仕事の数は増えた。「エキストラでいいから呼んでください」「なんでもいいから出してください」と、直談判の日々だった。しかし、ここでも壁に当たった。
「ドラマ決まりました、映画決まりましたと言って、台本をいただいた時点で大きい役は名前が印字されていてキャストが決まっている。例えば、店員役とか、女1、女2みたいな役は名前が印字されていないんですよ。その一番最後に書かれている役を頑張って取り合って競争していたんですけど、ここで取り合う世界なんだ、メインキャスト、サブキャストレベルを取りに行くことすらできないんだと思いましたね」
自分自身への絶望と限界。努力や演技力だけではどうにもならないこともあった。昨年11月、当時を振り返った水村は、SNSに「悔しい思いをいっぱいしてきた。悔し涙集めたら何百リットルになるだろう。笑」と書き込んだ。俳優を辞めたいと思ったことは一度もなかった。「じゃあ東京に行くしかない。失敗してもいいから東京に行きたい」と決意した。
シェアハウスで地を這うような暮らし 「米が緑色になっているのを初めて見ました」
27歳の再出発。応援してくれる人もいたが、心ない言葉もかけられた。「『え、この歳で行くの?』みたいなことを言われましたし、嫌みっぽいことももちろん言われました」
上京のタイミングで第一志望の芸能事務所に合格し、希望で胸がいっぱいになった。だが、「仕事は本当になかったな」。気づけば飲食店でのアルバイトは週6回。さらに追い打ちをかけたのが、居住場所だった。
「シェアハウスに住んだんですけど、それが強烈で……。若い子が多くて、18、19歳とか、20代前半。30手前は私くらいだったんですよ。外国人の方もいましたし、とにかく家事とか掃除が何もできない子たちと住んでいた。お風呂場とかキッチンとかすごい荒れてて、洗い物を誰もしない。毎日帰ったら食器が山積みで私がしたり、掃除も誰がこんな水たまり作ったんだろうとか、さんざんでしたね。炊飯器はみんなで共有だったんですけど、米が緑色になっているのを初めて見ました。誰の米かも分からない。地獄の1年でしたね」
3階建ての建物に12人が暮らした集団生活は、光熱費込みで4万5000円と格安だったが、時折テレビドラマの舞台となるようなキラキラしたイメージとは真逆な世界だった。
1年後には所属していた事務所がなくなり、いよいよ崖っぷちに立たされる。しかし、ここから水村は奮起した。芝居に強い事務所と契約すると、頭角を現していく。「東京に出てくると、『どんな見た目でも役者にとって武器になる』と言ってくれる人が多かったです。太っていたり、目が細かったり、鼻が大きかったりしていても、全部武器なんですよね。大阪でそういうことを言っている人は私の周りにはいなかったですね」。全力で打ち込めば結果がついてくる環境に、胸のすくような思いだった。
そして水村はたった1人から映画の製作を始める。文化庁の助成金とクラウドファンディングで集めた約850万円の資金で『在りのままで咲け』『在りのままで進め』を完成させた。短長編の2本立てで、「結婚・出産を機に俳優を辞めていく知人が多かった」という水村自身の経験に着想。それぞれの夢に向かう3人の女性たちの揺れる心情を描いた。
「一般の人たちにも共感してもらえるところがあると思っていて、この会社合わなかったな、この職種向いてないな、だから自分がダメじゃなくて、自分ができる道、これだという道を決めて自分で切り開いていく。めっちゃ前向きなパワーがある映画になったので、その前向きなパワーを受け取ってもらって、もうちょっと私諦めないで頑張ろうと思ってもらえたらいいなと思います」
協力してくれた人々には感謝の思いでいっぱいだ。
「無名の1俳優が立ち上げたこの企画に本当にたくさんの方が興味を持ってくれてオーディションも700人近く書類が届いて、いろんな人に目に留めていただいた。その中で出演してもらえたり、企画に力を貸してくれた人がたくさんいたので、これからはその人たちに恩返しをしていきたい思いしかないですね」
主要国際映画祭などに出品予定で、劇場公開は先だが、3月21日に大阪、28日に東京で完成披露特別上映イベントを行う。
大阪で苦しんだ経験を反骨心に変えて、つかんだ“夢”への第一歩。「そういう悔しい思いをさせられてこなかったら、行動に移すほどの思いは育たなかったと思うし、今思えばありがとうと思う。大阪にいる、一緒に頑張ってきた人たちにも届けたい」と水村は話している。
□水村美咲(みずむら・みさき)1991年6月14日、大阪府出身。15歳から芝居を始め、映画、ドラマ、CM、バラエティー番組などに出演。27歳で大阪から上京。2022年1月『水村美咲映画製作委員会』を立ち上げる。ミシェルエンターテイメント所属。特技は陸上、赤ちゃんをあやすこと。国内A級ライセンスを持つ。『在りのままで咲け』『在りのままで進め』完成披露特別上映イベントは3月21日大阪十三シアターセブン、28日東京・渋谷ユーロライブで行われる。
■水村美咲ツイッター
https://twitter.com/nm_cottoncandy
■映画「在りのままで咲け 在りのままで進め」公式ツイッター
https://twitter.com/arinomamadesake