保育士の離職率が激減、究極の“働きやすさ”とは? 保育園一家に生まれた革命児
保育業界に新風を吹き込み、“働きやすさ”を追求して、保育士の離職率を大幅に減少。新たな教育メソッドの開発を目指す経営者がいる。「株式会社ONE ROOF」の菊地元樹社長だ。大手航空会社関連の従業員を主に対象とし、英語学習を取り入れた企業主導型保育事業「なりた空の保育園」をプロデュースするなど、次々とアイデアを実現させている。そんな“革命児”は、代々、保育園を運営する社会福祉法人に生まれたサラブレッドだ。飲み歩きで築いた人脈も駆使する経営手腕、教育人としての理想とは。
全体の離職率を3分の1に 「休憩スペースがない」意見吸い上げて改善
保育業界に新風を吹き込み、“働きやすさ”を追求して、保育士の離職率を大幅に減少。新たな教育メソッドの開発を目指す経営者がいる。「株式会社ONE ROOF」の菊地元樹社長だ。大手航空会社関連の従業員を主に対象とし、英語学習を取り入れた企業主導型保育事業「なりた空の保育園」をプロデュースするなど、次々とアイデアを実現させている。そんな“革命児”は、代々、保育園を運営する社会福祉法人に生まれたサラブレッドだ。飲み歩きで築いた人脈も駆使する経営手腕、教育人としての理想とは。(取材・文=吉原知也)
40歳の菊地社長の実家は、保育事業者。90年以上の伝統を持ち、都内22の認可保育園と認定こども園を運営する社会福祉法人「東京児童協会」で、経営戦略室長を務めている。より事業拡大の可能性を広げようと、企業主導型保育園や学童保育の運営、海外への保育事業を手がけるONE ROOF社を2017年に自ら立ち上げた。
祖父の代から続く“保育園一家”の4人兄弟の次男として生まれた。東京都江戸川区の実家は、1、2階は保育園で、3階が居住スペース。「保育園に『ただいま』と帰ってくる家庭でした。保護者の方々は地元の方々でもあり、皆さんに見守られて過ごしてきて、40歳になっても、地元では『大きくなったね』と言っていただいています(笑)」。まさに地元密着で育ってきた。
東京児童協会の理事長を務める父・政幸さんの教育方針は意外なものだった。「『継げ』と言われたことはありません」。怒られたことも、何かを否定されたこともない。「自己肯定感を持てるように育ててもらったんだな、と今思っています」。幼少期は跡取りの意識はなく、中高は音楽に打ち込んだ。金髪アフロでベースに熱中した。
両親から「自由にしなさい」と言われていたものの、就職には少し苦労した。明治大を卒業後、ものづくりの企業に入社したのち、両親が運営する東京児童協会へ。3か月後に社会福祉法人「日本保育協会」に出向した。ここでの2年間が、後に大きな影響を及ぼす。本部職員として、保育士や保育園長の研修を担当。全国各地に出向いた。1年の半分以上は出張。「講師を招いて研修や講習をするのですが、自分自身も勉強しました。それに、保育園経営者の皆さんと交流することで、運営のやり方や課題など、数多くのことを教えてもらいました」。27歳で戻り、そこから副園長・園長を経験し、現場を踏んで教育者・経営者として成長を遂げた。
園長の仕事を受け持ったのは、異例の若さである27歳の時。それでいて、園の数を増やすという大役をこなし、今年4月に開設を予定している2園を含めると、20の保育園の増設に成功。事業規模の拡大に大きく貢献した。
一方で、業界全体で保育士の離職率の高さが難題として横たわっている。労働環境の改善、待遇の向上が課題として指摘されている。菊地社長の保育園でも、「離職率の影響もあってベテランの保育士確保が難しいため、園長を任せる人材が少ないことが悩みでした。私や兄弟が園長を務めることで何とかしのいできました」。14年には4園を新規オープン。採用強化と働きやすい職場づくりは、喫緊の課題だった。
対人関係の構築は“飲み歩き” 身銭を切って人脈広げた
菊地社長は次々と改革を打ち出した。まずは、出産を経て職場復帰した正規職員に向けた「限定職員制度」。給与を基本給の67~90%に設定し、フレキシブルな労働時間で働ける選択肢を増やした。次に、早番(開園時)と遅番(閉園時)の時間帯に対して1回500円を支給する「シフト手当」を導入した。「育児中の職員の皆さんは、午前9時から午後5時の昼間の時間帯に働くパターンが集中します。そうなると早番と遅番の人手が薄くなりがちなので、シフト手当の制度を組み合わせることによって、働き手を確保できるようになりました。妊娠や出産による退職をなくしたい。この思いから制度を設計しました」と語る。
これだけではない。職員を対象にしたカウンセラーによる年2回のカウンセリングを通して、制度や処遇について意見を言ってもらい、経営陣が吸い上げ、改善できるところは改善する。そんなシステムも導入している。驚きは、職員のスキルアップ・底上げの施策だ。自社テキストから、1日1回、保育に関する問題をメールで出題。回答することで1回答ごとに100円が支給される。「一問一答」という独自の研修システムを取り入れているのだ。さらに、これらの社内制度の説明を分かりやすく漫画で伝えており、丁寧さに余念がない。
「もともと職員の皆さんへの聞き取りで上がってきたのが、『処遇改善』でした。働きやすさの向上で言うと、次は『残業をなくす』ことがテーマになりました。『休憩スペースがない』という意見には、休憩場所を作るという改善策に取り組みました。屋外に休憩所を新設した事例もあります」。こうして、全体の離職率を3分の1にまで減らすことを実現させた。
菊地社長の業界の常識を打ち破る手法は、もう1つある。得意の対人関係の構築だ。それも、異業種交流を通じての人脈。「よく言われるのは、『保育業界は、同業者でしかかたまらない』ということです。一方で、一般社会とはかけ離れている保育業界の日常もあります。例えば、以前は、業務中は休憩を取れないのは当たり前といった考え方でした。外の人たちと話して、情報を仕入れることは大事だと若い頃から思ってきました」。20代の前半から、あらゆる業種の人たちと飲み歩いた。しかも、ほぼ自分の持ち出し。身銭を切った。「持ち出しは結構大変でしたが、経営者は課題とどう向き合い、解決するのかを学ぶことができましたし、今につながる人脈もできました。それに、怪しい人たちを見極める能力も付きました(笑)」と胸を張る。こうして得られた人脈で、有名デザイナーに頼むことで運営準備で訪れたピンチを救われたこともあったという。
約750人の職員を抱え、約2200人の子どもたちを預かる保育事業の運営。今後は、「まだ整備が足りていない」という学童保育の拡充も見据えており、新型コロナウイルス禍でストップしている海外展開の再開を検討している。
こうした中で、原点を見つめ直している。それは、子どもたちが未来を生き抜く力を育むという“大きなおうち”の教育理念だ。「これは父がスウェーデンの教育を参考に考え出した教育理念です。自分が好きな場所で好きに遊べる環境を通して、自己肯定感を育みます。そうすると、子どもたちが自分に自信を持つことができ、落ち着いて行動できるようになります。子どもたちは、『自分で考えて行動する』『自分の生活は自分で行う』ことを、学び、練習しています。保育士たちは『なんでこうするの?』と問いかけ、答えは子どもたち自身が考えます。うちの保育園の子どもたちは、おもちゃを出しっぱなしにすることはないんですよ」と話す。
体験を重視する教育にも重点を置き、そこに先端技術をミックス。AR(拡張現実)を用いて、「ものを目で追う能力を養う、ビー玉転がしのおもちゃを、ARに置き換えたコンテンツを開発しました。それに、実際に手で触れるタッチパネルを通して、色を混ぜて遊べるソフトの導入を目指しています。よくおもちゃ屋さんで『3~5歳用』といったものを目にしますが、よりピンポイントに、3歳児なら3歳児、将来的には個人個人に合わせて、発達の助けになるように、コンテンツの開発を進めています」と強調する。子どもたちのための教育メソッド、職員のレベル向上、そして、研究・開発資金を獲得するためのビジネス面での成長。「もっともっと拡充させていきたいです」と前を見据えている。