元宝塚・天真みちる、激動のセカンドキャリア “脇役のトップスター”から「歌って踊れるサラリーマン」に
元宝塚男役の天真みちる。タカラジェンヌとしては花組で「おじさん役」を極め、退団後すぐに会社員に転身した。ところが1年足らずで退職し、フリーランスの脚本家兼芸人になった。エッセーも書籍化し、ついには結婚……と激動のセカンドキャリアをたどってきた。そして、2冊目のエッセー『こう見えて元タカラジェンヌです 遅れてきた社会人篇』(左右社刊)を先月28日に出版。奮闘してきた日々をつづった彼女は、ユニークに活動し続ける中で何を糧にしてきたのか。
宝塚退団後は会社員に転身→フリーランスの脚本家兼芸人に
元宝塚男役の天真みちる。タカラジェンヌとしては花組で「おじさん役」を極め、退団後すぐに会社員に転身した。ところが1年足らずで退職し、フリーランスの脚本家兼芸人になった。エッセーも書籍化し、ついには結婚……と激動のセカンドキャリアをたどってきた。そして、2冊目のエッセー『こう見えて元タカラジェンヌです 遅れてきた社会人篇』(左右社刊)を先月28日に出版。奮闘してきた日々をつづった彼女は、ユニークに活動し続ける中で何を糧にしてきたのか。(取材・文=大宮高史)
「脇役の方が得意になっていたので、むしろ1度だけ二枚目が回ってきた時には、『なんで私に? もっと得意な人はいるのに、本当にキザッていいんですか?』と、かえってスターの方に申し訳ないような心地になったこともあります(笑)」
天真について回る異名は、「タンバリン芸人」「宝塚の佐藤二朗」「脇役のトップスター」。在団中に花組生がゲスト出演したフジテレビ系『SMAP×SMAP』でタンバリンを使った宴会芸を披露したり、ヒゲをつけた中年男や執事、人力車夫など脇役で爪痕を残してきたからだ。
「『脇役のトップスター』と言われても、私が脇役を極めてきたことって、そんなにすごいことかな? という引け目が卒業後もしばらくはありました。でも、佐藤二朗さんとラジオでお話させていただいた時に、『そういう経歴は同じ境遇の俳優の励みにもなるから、もっと胸を張っていい』とおっしゃっていただいて、前向きに言えるようになりました」
毎年約40人が入団する宝塚だが、皆がスターになれるわけではない。2006年に入団して18年の退団まで13年間花組に在籍した天真も、徐々に脇役を研究する面白さに気づき、特に『はいからさんが通る』(17年)の牛五郎は、当たり役になった。
退団直後は、エンタメプロデュース会社に就職した。理由はエンタメ制作の仕事を「何となくやってみたかった」からだった。ファンへの手紙も台本へのメモもすべて手書きだったため、ワードエクセルにも悪戦苦闘した。
「PDFって何ですか? といった初歩から始まりました。会議の議事録が台本のようになってしまったりして…。上司には文字通り、手取り足取り教えていただきました。1日に外回りを5件、6件を任されるような日々でした。それまで、私はでき上がった企画を舞台で演じていく側だったんですが、今度は企画を立てていく側になったし、脚本を書くのも在団中に台本を読んで『こうすればいいじゃん』と思っていた感覚で書いてみたら、全然違いましたね」
ゼロから始まった会社員生活だったが、順調に脚本や舞台制作の仕事を任されるようになった。だが、約9か月で退職。フリーランスに転身した。
「サラリーマンとしての仕事の他に、私のインスタグラムなどから私個人に依頼をいただく案件がすごく増えてきたんです。それらに会社員としての本業が忙しいからと応えられないことが辛くて、皆さんが私を名指ししてくださる期待に応えたいと思い始めたんです」
期待にNOは言いたくない 宝塚時代からの悲壮なハングリー精神
フリー転身は19年8月。会社とも業務委託の形で関係を維持し、「歌って踊れるサラリーマン」の肩書きはそのままで脚本、演出、自らイベント出演と忙しい日々を送っていた。だが、積み重なるタスクと迫る締め切りのプレッシャーで疲弊、ついには江ノ島で1週間の断食修行を敢行したこともある。
「見通しが甘くて3日で済むと思ったお仕事が、1週間もかかったりと……。納期について交渉したり、というような社会人らしいコミュニケーションの発想がなかなかできなかったんです。それに在団中は、『天真これできる?』と言われれば『やります!』と答えるしかなかったんですね。宝塚でも毎公演役をいただけるとは限りません。そこで何か経験のないアクロバティックなことを求められたりしても、『できない』と言えば、次から先生方から期待されなくなる。チャンスを見過ごすという発想がなかったので、できるできないの前に『イエス』と答え、無理をしていました。役がある、『期待してもらえるだけでありがたい』という世界で13年間過ごしてきましたから」
演出家と団員という特殊な関係で、期待に応え続けてきた習慣から無理をしていた。断る勇気を学んだことも退団後の社会人生活の糧になった。
そして、21年2月にはずっと友達だった宝塚ファンの知人男性「ひろくん」と結婚した。プライベートも安定し、今年2月24日には夫婦で出演した結婚披露宴兼ショーも開催したばかりだ。
「ショーでコメディタッチな場面で『女装』したことはありましたが……肩を出したドレスを着るのも初めてでした」
披露宴に備えて、スキンケアにシェイプアップなど美容にいそしむ様子を毎日noteに投稿、あえて日課を公開することで自分を美しく鍛えた。江ノ島での断食修行に続き、いざとなれば自分をストイックに追い込める底力も持ち合わせている。
「トレーニングジムもOGさんが働いているところを紹介していただいたり、OGさんが働いている美容外科でレーザー治療をさせてもらったりしました。彼女たちの名前も背負っているので絶対にドレスが似合う体にならないと! という使命感といい、意味でのプレッシャーにもなりました(笑)。在団中、皆いろいろな誘惑と戦いながら美しいタカラジェンヌでいるべく努力していたので、退団後も美容方面で資格を取ったり、独立される人も多いんです」
アーティスト写真はフォトグラファーに転身した元星組・四方花林に撮ってもらい、ダリア栽培企業を経営する元雪組・梓晴輝の依頼で、ダリア石鹸の店頭販売員を務めたこともある。
「宝塚の生徒は毎公演1つの役をとことん研究して、役名のない『通行人A』やダンサーの役でも皆深夜まで自主稽古して役を作ってきました。とことんきわめてしまえるストイックさは退団後も変わらないようです。私の場合は、それが江ノ島での修行になったり、毎日公開の美容トレーニングにもなりますが(笑)」
21年春にはミュージカル『エリザベート』のガラ・コンサートに出演。元トップスターたちとも久々の共演を果たした。役者としても現役だ。
「13年間しみこんでいた感覚が蘇りました。頭より先に身体が男役としての呼吸・立ち振る舞いを思い出しで、あの頃の苦労も今でも忘れていないんだなと思えました」
現在は個人事務所の「たその会社」を設立し、社長に就任した。脚本家、作家、俳優、宴会芸人……と求められれば、どんな役目でも務める気概でいる。
「私は察しがいい方ではないので……。例えば、脚本のお仕事でもクライアントが求めていることが、最初はイメージできなくてすれ違ってしまうんです。ただ共感力というか役作りでも周りの反応は敏感に分かるので、おかげで一緒に働く皆さんの思考に合わせていけるのかなと思います。それでも、最初のイメージの食い違いでメンタルを消耗してしまうことは乗り越えたいですね。13年間をかけてきた男役人生と同じように、ここでも経験あるのみだと思います」
□天真みちる(てんま・みちる)2006年、宝塚歌劇団に入団。花組に配属。18年10月14日退団。その後、エンタメプロデュース会社に就職し、「歌って踊るサラリーマン」の肩書きで活動を始める。21年8月に「たその会社」設立。代表取締役を務め、「歌って踊れる社長」に。舞台、朗読劇、イベントなどの企画、脚本、演出を手掛ける傍ら、自身も MC や余興芸人として出演している。21年に、宝塚歌劇団での様々な体験をつづったエッセー『こう見えて元タカラジェンヌです』(左右社刊)を、今年2月28日に続編『こう見えて元タカラジェンヌです 遅れてきた社会人篇』を出版。愛称は「たそ」。