【週末は女子プロレス♯90】32歳でプロレスデビュー、『ザ・ノンフィクション』でも特集された長谷川美子の輝く今
昨年8月、ガンバレ☆プロレスで1年8か月ぶりに復帰した長谷川美子。首の圧迫骨折と頚椎椎間板ヘルニアのため長期欠場し、再びリングに上がることなく当時所属していたアクトレスガールズがプロレス団体としての活動に終止符を打った。選手たちがそれぞれの道を選択する中で、長谷川に関しては“このままフェードアウトするんだろうな”との声がほとんど。それでも彼女はプロレスをやめることなくリングに戻ってきた。始めた当初は絶対に無理だと思っていたプロレスラー。だが、いまではプロレスこそが「自分の生きがい」と言い切ることができるという。
昨年8月にガンバレ☆プロレスで1年8か月ぶりに復帰
昨年8月、ガンバレ☆プロレスで1年8か月ぶりに復帰した長谷川美子。首の圧迫骨折と頚椎椎間板ヘルニアのため長期欠場し、再びリングに上がることなく当時所属していたアクトレスガールズがプロレス団体としての活動に終止符を打った。選手たちがそれぞれの道を選択する中で、長谷川に関しては“このままフェードアウトするんだろうな”との声がほとんど。それでも彼女はプロレスをやめることなくリングに戻ってきた。始めた当初は絶対に無理だと思っていたプロレスラー。だが、いまではプロレスこそが「自分の生きがい」と言い切ることができるという。
そもそもプロレスラー志望でプロレス界に飛び込んだわけではない。子どもの頃から芸能界には憧れていたのだが、18歳で俳優養成所に入ったのはイジメられた体験がきっかけだった。
「けっこういじられキャラというか、向こうはふざけているつもりだったと思うんですけど自分の中では引っかかってて、どうにか目立つ存在になって見返してやろうと思い養成所に入ったんです。そこに2年間通い、芸能活動を始めました。最初はプロモーションビデオやCMのお仕事をいただいて、あとはグラビアが多かったですかね」
さまざまな活動をおこなってきた彼女だが、30歳を越えて引退を決意。ところが、「最後の舞台」と臨んだ仕事が彼女の人生を大きく変えることとなる。
「この舞台で、『プロレスやってみない?』とのお誘いをいただいたんです」
すでにプロレスラーとして活動していた青野未来と川畑梨瑚がボクサー役で主演の舞台に長谷川は出演。長谷川は川畑のトレーナーを演じていた。
「私は運動神経が鈍いので、プロレスなんて絶対に無理ですとお断りしていました。ただ、『一度練習に来て、それから判断してみたら』と言っていただいて、練習に参加させていただいたんですね。それでも、自分にできそうとはまったく思わなかったです。なのに、運動神経悪いながらも全力でやってみたい、挑戦してみたいとの気持ちは生まれて。芸能をやめる前に死に物狂いで何かやってみたいと思い、入団を決めました」
当時の長谷川は32歳。レスラーを目指すにはかなり遅めだ。が、これに興味を示したのがテレビ局だった。2019年12月1日にフジテレビで放送されたドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション 女32歳きょうからプロレスラー~父への告白~』で、デビューへの過程をカメラが密着したのである。
「アクトレスガールズに入団して1週間後にそのお話をいただきました。ビックリしましたね。いろんな女子団体にオファーをかけていたみたいで、その中で32歳でデビューしようとしている人がいるということで声がかかりました。一度面接させていただいて、撮影が決まったんです」
以来、あらゆるところにカメラがついて回った。番組になる以上、デビューにたどり着かなければならず、途中で投げ出すわけにもいかなくなった。“役”ではないから、セリフも脚本もない。
「心も体も壊れるかと思いました。番組でも泣いてる姿ばかりが映ってて(苦笑)。練習始めてから2、3か月経っても何もできない状態で、すごく不安な気持ちで毎日を過ごしていましたね」
しかしながら、番組になることから責任感が芽生えたのも事実だった。
「もし密着がなかったとしたらどこかに逃げ場を作っていたかもしれないので、そういう意味ではよかったかなと思います」
デビュー戦は19年11月6日の後楽園ホール。晴れ舞台に向けて、長谷川はレスラーデビューを両親に告げた。これが番組の“クライマックス”でもあった。
「芸能活動も反対され続けていて、父には(レスラーデビューを)ずっと言えなかったんです。けっこう厳格な父なんですが、病気をしたときに『オマエが好きなことを全力でやれよ』と言われて、その思いを背負って芸能をやらなきゃと思ってたんですけど、そこからいきなりプロレスとは言えなかったんですよね。なんとか告白はしたけど、いい返事はもらえなくて。それでもデビュー戦後に両親がバックステージで声をかけてくれて『見に来ないわけにはいかないよな』って」
デビュー戦の翌日、両親との会食で撮影は終わった。密着のプレッシャーからは解放されたものの、その後はひとりのレスラーとして成長していかなければならない。別の意味で大きなプレッシャーになったが、試合をこなすごとにレスラーになったことに喜びを感じていったという。
「プロレスの厳しさや楽しさを知り、こんなにも生きてるって感じられたことは芸能ではなかったです」
度重なる苦難にもプロレス引退の気持ちは皆無
ところが、コロナ禍により試合が激減。20年3月から8月まで5か月間試合がなかった。また、大会があったとしてもカードが組まれないこともあった。そして、ダメージの蓄積からか、首の骨折が発覚してしまう。
「試合数を重ねられないまま欠場となって、絶望的でしたね。これからというときに足止めされてしまったので、何も考えられませんでした」
さらに21年末、アクトレスガールズのプロレス活動終了が重なった。アクトレスに残る選手や、プロレス活動を継続する選手も他団体参戦やフリーになるなど道が分かれた。その中で焦りを募らせていたのが長谷川だった。
「ケガをした自分を取ってくれる団体があるのだろうか。かといってフリーでやるには経験がなさすぎる。もともと他団体参戦もなかったので、誰に話をしていいのかもわからない。やりたくてもやれない状況でずっと悩んでいました」
それでも、プロレスを引退するとの気持ちは皆無だった。長谷川美子はプロレスをやめる。そう考えた人がほとんどだろう。
「ハイ、よく言われました(苦笑)。友人も含めて賛成してくれた人ってひとりもいないんじゃないかな。『やめろ』ともすごく言われました。身内に近い人ほどそうだったんじゃないかな(苦笑)。もちろん悩みましたけど、やめるなんて考えられなかったです」
そして昨年7月、長谷川は長いブランクを経てガンバレ☆プロレスでの復帰を発表した。
「欠場中、ガンプロで先輩のセコンドにつかせていただいたんです。そのとき、ガンプロの試合にすごく勇気をいただいたんですね。お客様と選手の一体感や熱量が心に響きました。そのときは夢中でリングを見ていたんですけど、自分が復帰したらガンプロに携わりたいなと思うようになって、知り合いを通じてアポをとらせていただきました」
そして、ガンプロ8・13後楽園での春日萌花&YuuRI組vsまなせゆうな&長谷川美子組で万感の復帰。これが“再デビュー”という位置づけだ。
「1年8か月(のブランク)ですよね。なんだろう、あの感情? なんて表したらいいんでしょう? うれしかったです。というか、そんな軽いものじゃない。なんと言い表していいかわからないくらいの感情ですよね。痛みもすべてがうれしくて、私はこのリングにやっと戻ってきたかったんだと。長かった分、戻ってきた喜びは強く感じているのかなと思っています」
ガンプロ所属となり、DDTや東京女子にも参戦。気がつけば復帰後は欠場前の試合数(アクトレス時代は20試合、ガンプロ所属になってから2月25日の時点で21試合)を超えるまでなった。
「他団体に呼ばれることがまずうれしいです。でもその分プレッシャーもすごくあって、二度と使われないと思われたらどうしようって思いますよね。でも自分の全力を出してダメならそのときはそのときだから、すべてにおいて全力を出そうと思ってます。もしかしたらこの試合が最後になるかもしれないという思いでいつも挑んでいるので、毎試合全力でやらせていただいてます!」
そんな長谷川だが、また新たなる試練がやってきた。ガンプロ女子のエースと言えるまなせが左ヒザの手術により長期欠場を決意。ガンジョ興行も白紙に追い込まれたのだ。しかし、ここで長谷川とYuuRIが決起。まなせの欠場会見に姿を現し、4・1横浜をガンジョ再始動の大会にしたのである。
「まなせさんのケガについては前々から知っていて、手術の決断にはすごい覚悟があったと思います。私も長期欠場の辛さはわかってるつもりなので、まなせさんが帰ってくる場所を作っておきたい。まなせさんがいないからガンジョ興行をやらないというのはすごく悔しいですから」
再デビュー戦でタッグを組んだまなせから力をもらったという長谷川。恩返しの意味でも、復帰したときに成長を見せる必要があるだろう。そのためにも、いまだなしえていない自力初勝利、シングル初勝利が直近の目標だ。そこではじめて、ガンジョ新時代がスタートするのではなかろうか。
「『ザ・ノンフィクション』に出たとき、同世代の人から『好きなことを全力でする姿がうらやましい。頑張って』との言葉をたくさんいただきました。なので、何を始めるにも遅いことなんてない、生きがいは見つけられるんだということを伝えられるような選手に私はなりたいって思っています!」
女35歳(本稿掲載の25日から3日後の28日が36歳の誕生日!)、長谷川美子。大きな使命感を持って、ガンバレ☆プロレスのリングで生きる。