坂本龍一を18年間追いかけたライターが見た素顔 思わぬ告白に大反省も

音楽家・坂本龍一の生誕から現在までの音楽活動の記録をまとめた評伝『坂本龍一 音楽の歴史 RYUICHI SAKAMOTO: A HISTORY IN MUSIC』が2月21日に刊行される。書籍には、幼稚園時代に初めて作詞・作曲をした逸話や、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の活動、映画音楽の制作について、また、拠点を海外に移した後に勃発した戦争を通じて生まれた「非戦」への思いなど、思想や制作に影響を与えたエピソードも記されている。取材者として、同時代を生きる者として、坂本と並走し続けてきた編集者でライターの吉村栄一は、2年以上をかけた執筆の中で坂本からある告白をされ「衝撃を受けた」と語った。

編集者でライターの吉村栄一さん【写真:ENCOUNT編集部】
編集者でライターの吉村栄一さん【写真:ENCOUNT編集部】

大手術後に「音を浴びたい」と生まれた6年ぶりのアルバム『12』 今年は是枝監督作品で新作披露も

 音楽家・坂本龍一の生誕から現在までの音楽活動の記録をまとめた評伝『坂本龍一 音楽の歴史 RYUICHI SAKAMOTO: A HISTORY IN MUSIC』が2月21日に刊行される。書籍には、幼稚園時代に初めて作詞・作曲をした逸話や、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の活動、映画音楽の制作について、また、拠点を海外に移した後に勃発した戦争を通じて生まれた「非戦」への思いなど、思想や制作に影響を与えたエピソードも記されている。取材者として、同時代を生きる者として、坂本と並走し続けてきた編集者でライターの吉村栄一は、2年以上をかけた執筆の中で坂本からある告白をされ「衝撃を受けた」と語った。(取材・文=西村綾乃)

 英国のロックスター、デヴィッド・ボウイや、細野晴臣、坂本、高橋幸宏による音楽グループ「YMO」らと向き合ってきた吉村。2年をかけて執筆をした本書は、21年に出版したYMOのヒストリー本『YMO1978-2043』を読んだ編集者が、坂本のヒストリー本を作りたいと企画し、吉村に声をかけたものだ。

「一昨年、YMOの評伝を出していたので、坂本さんについてもいつかやることになるだろうと考えていました。ご病気を発表された後でしたし、ご負担をかけないやり方でとも思いました。また、坂本さんには『音楽は自由にする』という自伝があるので、客観的な視点でどんな音楽を作って来たのかをまとめていこうと取り組み始めました」

 これまで坂本に関連する書籍は、“アブ”の愛称で呼ばれた、東京芸術大学での大学生活以降を書いたものが多かった。同書は、生まれてから幼少期まで暮らした東京都中野区での日々から振り返っていることが特徴だ。

「実はいま僕が暮らしているのが中野区に隣接した杉並の街。現在の青梅街道には、坂本さんが暮らしていたときのような馬が引く荷車はもちろん走っていません。でも、迷子になった坂本さんを発見した材木店であろう建物は現存しています。変わってしまった部分もあるけれど、残っている景色もあって。執筆中は、坂本さんがどんな風景を見ていたのか。街を歩きながら想像することがありました」

 1978年11月にデビューしたYMOは、海外で評価され逆輸入される形で、国内での認知を拡大。音楽グループの域を超え社会的な存在になっていく。中学時代、憧れの存在として見つめていたYMOに吉村が取材者として向き合ったのは、83年に“散開”(解散)した3人が東京ドームでライブを行った93年の「再生(再結成)」がきっかけだった。

「最初は、メールでのインタビューでした。海外にお住まいだったこともあり、坂本さんに初めて対面したのは2005年。坂本さんは53歳、僕は39歳でした。坂本さんが親しくしていた方が編集長を務める雑誌のインタビューをして、終わった後に食事をご一緒する機会がありました」。すでに多くの功績を残していたが、偉ぶることなく食事中には坂本がワインをサーブする場面もあった。吉村は「気さくで気配りの人」と感じたと語る。

 執筆中は2005年から22年にかけて実施した150時間を超えるインタビュー、メールやメッセージと改めて向き合った。まとめて行く中で、坂本サイドから松本民之助に師事したころの話を取材してみたらと提案があったという。

「3歳でピアノを始めた坂本さんは、教師の徳山寿子さんに作曲を学ぶよう勧められ、小学5年生のときに、松本民之助さんに師事します。ここでは松本さんの息子で、後に作曲家になる日之春さんと肩を並べるのですが、1度聴いた曲はそのままスラスラと弾いてしまうなどの神童ぶりを見せていたそうです。『練習はキライだった』と言っていましたが、当時から誰もが一目置いていたよう。後にYMOとして活動するようになった坂本さんは、松本さんが怒っているのではないかと心配していたそうですが、松本さんはテレビに映る坂本さんを『僕の弟子だ』と喜んでくれていたそうで、そのことを伝えられた坂本さんも喜ばれたそうです」

 追加取材で明らかになったことがあった一方で、これまで“定説”とされていたことが、覆されたこともあった。

「大学院時代に応募したコンクールで評価されたことがあり、以前『認められてうれしかった』とおっしゃっていたので、現代音楽を志向する者としてと書いたら、『現代音楽を目指すなんていっぺんたりとも思ったことがない』と修正されました。事実を客観的に残すという意味では、大切なことでしたし、長くお付き合いをさせていただいていて、知ったような気持ちになっていたけれど、まだまだ誤解していたこと、知らないことはたくさんあるのだなと衝撃でした」

「世界の坂本」と評されるのが“イヤ”な理由

 坂本はYMOが散解した1983年に、俳優出演した映画『戦場のメリークリスマス』で音楽を担当。楽曲が評価され、日本人初の「英国アカデミー賞 作曲賞」を手にした。同作が出品された「第36回カンヌ国際映画祭」で出会った、ベルナルド・ベルトルッチ監督から映画『ラストエンペラー』(87年)の音楽制作を依頼され、アカデミー賞作曲賞を受賞した。1990年4月に移住したアメリカ・ニューヨークでは、ルワンダ紛争や湾岸戦争などで緊張した空気を肌で感じるように。アメリカ人の仕事仲間が予備役招集され戦地に赴くなど、近づく戦争のにおいは、創作や思想に影響を与えるようになった。

「メディアがよく使う言葉の中で、『世界の坂本』というものがありますが、『世界の~』と評されることがイヤだと口にされたことがありました。賛辞ではなく、揶揄のようにとらえているとも。YMOの一員でありながら、加熱した周囲に憔悴し、自身がアンチYMOだったときのように、違和感を感じておられたのだと思います。でも人種のるつぼであるニューヨークに拠点を置かれたことで、何人でもないひとりの人間として解放された。戦争を意識されるようになったのは、ルワンダ紛争のころから。自宅で目撃したアメリカ同時多発テロ事件(2001年9月11日)は論考集『非戦』(2001年)へとつながっていきます」

『非戦』はテロの全貌を掴もうとインターネットに没頭していた坂本が、情報を交換していた仲間の声を集めたもの。ペシャワール会現地代表で医師の中村哲、Mr.Childrenの桜井和寿らが言葉を寄せ、坂本自身は『報復しないのが真の勇気』と記した。音楽家として環境やエネルギー問題に目を向けるアクティヴィストとして、その言動が大きく注目されるようになった。

 坂本は2014年7月に診断された中咽頭がんを克服したが、21年に直腸がんに罹患。両肺に転移したがんの摘出手術を同年の10、12月に受けたことを明らかにしている。20時間を超える大手術後に「音を浴びたい」とシンセサイザーを奏で始めた再生の日々を、アルバム『12』と名付け、71歳の誕生日にリリースした。東京にある仮部屋でレコーディングした全12曲の中には、カラスの鳴き声などが収録された作品もある。

「並んだ曲を目にしたときは複雑でした。タイトルが『20210310』など、曲が生まれた日付けになっているので、その日に自分が何をしていたのかなと考えました。『死』と向き合われ、残そうという思いはないまま、探るように生まれて来るものを日記のようにスケッチしていかれた。自然に耳を傾け、自分自身も自然の一部として一体になっていった。その時間は、静かなエネルギーを感じましたし、そこには切なさもありました」

 闘病生活を続ける坂本だが、2023年は4月に東京・新宿に開業予定の複合施設・東急歌舞伎町タワー内に誕生する映画館「109シネマズプレミアム新宿」の全シアター音響を任されているほか、6月には『万引き家族』などで知られる是枝裕和監督と、脚本家の坂元裕二がタッグを組み制作した映画『怪物』で音楽を担当することが決定している。

「坂本さん自身の音楽が続くことはもちろん、坂本さんに影響を受けた音楽家にも自由に音楽を表現し続けてほしい。執筆中は、坂本龍一という大きな像を、丁寧に触って全体を掴もうと努力していました。でも、触る人によっていろいろな坂本像があると思うので、本書がその助けになれば本望です。まだ知らない側面がたくさんあるはず。数年後は坂本さんのディスコグラフィーをさらに補強していきたい」と意欲を見せた。

□吉村栄一(よしむら・えいいち) 1966年1月23日、福井県生まれ。マドラ出版『広告批評』編集者を経て、フリーランスの編集者、ライターへ。主な著書・編著書に『評伝デヴィッド・ボウイ 日本に降り立った異星人(スターマン)』(2017年)、『龍一語彙 二〇一一年-二〇一七年』(17年)など。

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