錦織一清が明かした恩師・ジャニー喜多川さんの功績「スターじゃなくて人気者を生んできた」
しがないサラリーマンが娘の願いをかなえるために奔走する痛快人情劇『サラリーマンナイトフィーバー』(2月4日~12日、東京・三越劇場)が評判を呼んでいる。作・演出・出演の3役を兼ねているのは錦織一清。昨年11月に初著作『錦織一清 演出論』(日経BP刊)を上梓するなど、近年は後進の育成にも傾注する錦織が演劇への思いと、演出家への道を開いた恩師・ジャニー喜多川氏のプロデュース力を語る。
演劇界にも観客を呼べる人気者がほしい
しがないサラリーマンが娘の願いをかなえるために奔走する痛快人情劇『サラリーマンナイトフィーバー』(2月4日~12日、東京・三越劇場)が評判を呼んでいる。作・演出・出演の3役を兼ねているのは錦織一清。昨年11月に初著作『錦織一清 演出論』(日経BP刊)を上梓するなど、近年は後進の育成にも傾注する錦織が演劇への思いと、演出家への道を開いた恩師・ジャニー喜多川氏のプロデュース力を語る。(取材・文=濱口英樹、構成=福嶋剛)
――錦織さんが演劇人生で最も愛着のある作品だと公言する『サラリーマンナイトフィーバー』は2020年の初演以来、毎年のように再演を重ねてきました。今回は初めて錦織さんの会社「アンクル・シナモン」の制作で上演されるとか。
錦織「そうなんです。これまでの僕は大手が制作する作品の演出を行う、いわば雇われ演出家だったのですが、今回は自主制作。ですから会場の三越劇場さんと直接やり取りをしていますし、チケットの販売状況、つまり観客動員のことも意識せざるを得なくなりました。そういう意味で今回の作品は僕にとって新たな挑戦、この先のための勉強という側面もあるわけです」
――これからは経営者としての役割も果たさなくてはならない、と。
錦織「ええ。僕が敬愛する矢沢永吉さんは制作も興行もすべて自分の事務所でおやりになっています。それがいかに大変なことか。僕自身は20年にジャニーズ事務所を退所して一本立ちしましたが、今回の制作を通じて身に染みて分かるようになりました」
――予算管理のご苦労がしのばれます。
錦織「でもね、どんなに苦しくても役者さんのギャラは下げたくない。気障(きざ)に聞こえるかもしれませんけど、僕は周りにいる人の役に立てることがいちばんの幸せ。自分一人で幸せを感じるより、苦楽を共にした仲間と一緒に幸せになりたいんです。還暦が近づいてきて、なおさらそう思いますね」
――年齢でいうと、今の錦織さんは少年隊がナンバーワンヒットを連発していた頃のジャニー喜多川さんとほぼ同じ。ジャニーさんはあまたの才能を発掘・育成されましたが、最近は錦織さんも演出論の著作を出版されるなど、次世代を見据えた活動に力を入れているようにお見受けします。
錦織「僕も新たな才能を見つけたいですよ。先ほど観客動員のことを言いましたけど、ジャニーさんは芸能界でいちばんその方法を知っていた人。僕は40年以上、一緒にやってきたので、割と分かっている人間だと思うのですが、ジャニーさんの功績って、たくさんのショーや舞台を作ったことじゃない」
――「世界で最も多くのコンサートをプロデュースした人物」としてギネスにも載っていますが、違うのでしょうか。
錦織「それだけで語るのは違うと僕は思っています。じゃあ、なんのエキスパートかと言ったら、ジャニーさんは人気者を作るのがうまい人。特に日本の場合は人気者を作らない限り、舞台に人が入りません。欧米のようにカジュアルにミュージカルやオペラを見に行く文化が、残念ながら日本には根付いていませんから」
――確かにジャニーズ事務所は40年以上にわたって人気アイドルを輩出し、少年隊が主演した『PLAYZONE(プレゾン)』(86~08年)や堂本光一さん主演の『SHOCK』シリーズ(00年~)など、多くのミュージカルを成功させてきました。人気者は“スター”と言い換えてもいいでしょうか。
錦織「スターとは違うんですよね。ジャニーさんが作ってきたのはスターではなく人気者。たとえば街で評判になるようなかわいい男の子がいたとするじゃないですか。その子が中学生になったとき、上級生の女の子たちが『どれどれ』と教室まで見に来たりする。あるいは、男女が逆になりますけれども、映画『小さな恋のメロディ』(71年)で、バレエを踊っているトレイシー・ハイドを教室の外からのぞき見たマーク・レスターがときめくシーン。そのあと、2人はチェロとリコーダーをセッションして心を通わせるわけですが、そういう心理を一番分かっているのがジャニーさんなんです」
――人がどういう子に注目して、どういうシチュエーションにときめくか、それを熟知していると。
錦織「そう、そこからはみ出してはいけないという定義があって、それがぶれない人でした。ジャニーさんがいちばん好きなハリウッドスターは、ロバート・デ・ニーロでも、ジョニー・デップでも、ブラッド・ピットでもなく、『小さな恋のメロディ』のマーク・レスター。逆にクラーク・ゲーブルのような、女性を征服するような男は大嫌いだと言っていました」
――歴代ジャニーズの顔を浮かべると分かるような気がします。
錦織「ジャニーさんは女性がクルマを降りるとき、率先してドアを開けて、手を貸してエスコートするようなホスト系の男も嫌いなんです。だから、そういうタイプはジャニーズからは出てこなかったでしょう? これも私見ですが、ジャニーさんの手法って円谷プロダクションにすごく似ていて、ウルトラ兄弟を作るがごとく、タレントをプロデュースしてきたと思うんです。実際、昭和から令和まで、いろんなウルトラマンが登場しましたけど、ある一定の枠からはみ出ることはないじゃないですか」
至難の業ですが演劇の将来を考えると僕たちも金の卵を作りたい
――確かにジャニーズにも「ジャニーズ系」と言われるパブリックイメージが存在します。
錦織「僕はジャニーさんという方は本物のピーター・パンだと思っているんです」
――永遠に大人にならないという意味でしょうか。
錦織「そう。でも僕や植草は大人になってしまった。植草とも話したことがありますけど、僕らはジャニーさんに言われたわけではなく、自分から大人になることを選択して、けがれてしまったの(笑)。ずっとウルトラマンやハヤタ隊員でいることを拒否してしまったんですね」
――大人になれば当然自我が芽生えますし、その選択は致し方ない気もしますが、ジャニーさんだけは生涯、少年の感性を保ち続けて、“スター”ではなく“人気者”を作り続けたと。
錦織「少なくとも僕はそう思っています。スターって星のことですから、スターになると、手の届かない存在になってしまう。ジャニーさんというのは、ジャニーズJr.のなかに『私はあの子がいい』って推しを見つけた女の子たちの『教室にのぞきに行きたい』とか、『もしかしたら一緒の電車に乗れるかもしれない』という気持ちをつかむことに長けた人でね。お気に入りのJr.がCDデビューして、事務所が用意したワンボックスカーに乗るようになったときの一抹の寂しさまで分かっていた人なんです」
――なるほど。タレントとファンの適度な距離感を本能的につかんでいたのですね。
錦織「ジャニーズに興味を持つのはおそらく小学校高学年くらいからで、大人になればホスト系を好む女性も出てくると思うんですけど、ジャニーさんはティーンエイジャーの女の子たちに『もしかしたら手が届くかもしれない』と思わせていた。そういう意味では罪作りな存在だったかもしれませんね」
――そういう人気者を錦織さんも作りたい。
錦織「ティーンエイジャーの少女対象ではありませんけど(笑)、人気者は作りたいです。でも実際はなかなか難しい。たとえばボクシングジムって、そこからチャンピオンが出ないと生徒が集まりませんよね? とはいえ、チャンピオンってそう簡単には輩出できないじゃないですか。それと同じで至難の業ではありますが、演劇の将来を考えれば人気者は作りたい。あと、僕には子どもがいないので、自分がやりたくてもできなかったことをかなえてくれるような、そんな後継者もほしいですね」
――ジャニーズ事務所から独立されて2年あまり。最後に今の心境をお願いします。
錦織「コロナという向かい風もありましたが、植草とディナーショーをやったり、今回のように初めて自主制作の舞台を手がけたり、いろんなことに挑戦できて仲間に感謝しています。ちなみに僕にとっていちばんの幸せは、やりたいことができることではなくて、やらなくていいことをやらなくていい自由(笑)。これからもそのスタンスで新しい人生を謳歌(おうか)していきたいです」
□錦織一清(にしきおり・かずきよ)1965年、東京都生まれ。77年、小学6年でジャニーズ事務所に入所し、85年に少年隊として「仮面舞踏会」で歌手デビュー。日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞し、紅白歌合戦には8回出場。88年、『GOLDEN BOY』に主演して以来、演劇の世界でも活躍し、演出や脚本でも才能を発揮する。2018年に演出した『よろこびのうた』がAll Aboutミュージカル・アワードのファミリー・ミュージカル賞を受賞。20年末でジャニーズ事務所を退所し、独立。著書に『錦織一清 演出論』(日経BP刊)。3月に『少年タイムカプセル』(新潮社刊)を出版する。