元お笑い芸人のラーメン店、独立条件は「3年以内に廃業か再出発」のなぜ 潰れない若者の育て方
株式会社夢を語れ代表の西岡津世志さん(43)は、国内23の系列ラーメン店を展開し、これまで多くの弟子を輩出してきた。その育成方法は、一風変わっている。ラーメン店の出店を任せられた店主は3年以内に廃業するか、屋号を変えての再出発を義務づけられる。人を育てるのが難しいと言われる時代、ラーメン界の異端児の人材育成論に迫る。
ラーメン店を開店しても「3年でたたむか屋号を変えての再出発」
株式会社夢を語れ代表の西岡津世志さん(43)は、国内23の系列ラーメン店を展開し、これまで多くの弟子を輩出してきた。その育成方法は、一風変わっている。ラーメン店の出店を任せられた店主は3年以内に廃業するか、屋号を変えての再出発を義務づけられる。人を育てるのが難しいと言われる時代、ラーメン界の異端児の人材育成論に迫る。(取材・文=水沼一夫)
西岡さんは現在、佐賀・鳥栖の「夢を語れ」総本店で厨房(ちゅうぼう)に立つ。創業は2006年京都・一乗寺だが、なぜ鳥栖が「総本店」なのか。その答えに、西岡さんの生き方が凝縮されていた。
「なんで鳥栖かってよく聞かれるんですけど、ひと言で言うと、ワクワクするからですね。なぜ鳥栖でワクワクするかというと、難しいからだと思います。日本一の店を東京で作れたとしても面白くない。でも佐賀の鳥栖で結果を作るとしたら相当努力しないとダメで、めちゃくちゃ頭を使う。実際どうやったらできるかというアイデアが湧かないんですよ。今もそうですけど、アイデアが湧からないからこそ、いっぱい勉強して、いっぱい考えてというのを毎日やらない限り、結果は作れない。それができることがワクワクするので、だからここに置きました」
創業者が立っている場所が総本店。西岡さんが移動すれば総本店も移動するが、どこであっても有言実行してしまうのが西岡さんのすごいところだ。何の土地勘もない鳥栖という場所で、今や国内グループ店舗ナンバー1の売り上げを誇っている。
「一番お客さんに来ていただけています。夢の数もうちが一番集めています」
「夢を語れ」ではラーメンを食べるとともに、希望する客に夢を語ってもらうのことをコンセプトにしている。オープン1年目の現在はふせんに夢を書いてもらい、壁に貼っている。総本店の壁の一角は一面がふせんで埋め尽くされている。
西岡さんに弟子入りすると、まず総本店で働き、やがて独立を目指す。
「1年間、修業生として僕のもとで修業して、2年目は自分で自分の店を立ち上げる。お金も自分で借りて来ないとダメだし、物件も自分で探さないといけないし、スタッフも自分で見つけて育てないといけない。そして店を3年間経営したら、店をたたむか屋号を変えるルールにしています」
なぜ3年で閉店? という疑問が湧くかもしれない。
「僕はラーメン屋をやる人間を育てるというイメージじゃなくて、世界を背負っていけるリーダーを育てたいという思いでやっています。夢を語れるラーメン屋の経営は、ラーメン店を経営する以上に大変なんです。そもそも夢を語りたい日本人はほぼ存在しないので。夢を語れるからあの店に行こう!とはならない。むしろ夢を語る店なら行くのやめておこうってなる。ちなみに夢を語らなくても全然食べれるので安心して来てほしいです」
ラーメンの作り方は教えていない 人間力を高めてほしい
高い壁を乗り越えた先に、新たな世界が開ける。
西岡さん自身が見本を示してきた。2012年に米ボストンに出店。3000万円の貯金を全額つぎ込み、財布がすっからかんになりながらも開店にこぎつけ、今やハーバード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)の学生が殺到する行列店を作った。勢いに乗ってオープンしたうどん店は全米8位のレストランに選ばれ、コロナ禍でも行列が途切れない。
総本店で修業する修業生にも、大きな期待をかけている。弟子を信じ、とことん向き合っていく。未熟さゆえに犯す過ちや失敗により、育てることを途中で諦めてしまう指導者もいるが、西岡さんの場合は違う。
「僕は同じことをひたすら言い続けます。やっぱり成長に対して信じきるというか、『絶対に育つ』と思っていますね。ただ、『僕が育てたんねん』とは思っていないです。というか、育てられない。すでに出店している店主たちやお客さん、地域の方たちに応援協力してもらっています」
ラーメンの作り方は基本的に教えていない。ただ、質問はいつでもウエルカムだ。
「分からない、聞きたいという気持ちをまず持つことが大事。よくある教育って、聞いてもいないことを全部言って詰め込ませて、覚えたか? となっている。僕は本人の中にこうしたい、こうなりたいというのを持ってもらうことにフォーカスします」
スープや具材の仕込み一つとっても自ら聞こうしない限り、先には進まない。そして修業生は何より人間力を高めていくことを求められる。
「おいしいラーメンを作りたかったら僕だけに聞くのではなくて、他のラーメン屋さんや違う飲食の人たちに聞きに行くという行動を彼らはします。僕からしか学べない人間に育ててしまったら、常に僕に聞かないといけない。でも僕は飲食に関しても経営に関しても一部の知識と経験しかない。だから誰からも学べる人間にならないといけないと思うんですよね。だから『教えてください』とお願いした時に、『なんでお前に教えなあかんねん』と言われる人間ではダメで、『お前は頑張ってるからな。いいよ、いつでも来いや』とかわいがってもらえる人にならないと、と思うんです」
なぜ3年で? TDLキャストとの共通点「初演を忘れるな」
ところで、独立後「3年」を一区切りにしているのは、何か理由があるのだろうか。
「ディズニーランドのショーキャストがいるじゃないですか。彼らは常にオーディションがあり、初演を忘れるなというコンセプトがあると聞きました。要は人にワクワクを与える人間は、常に自分がワクワクでないといけない。僕らが3年間という期限にしている理由は、やっている人がワクワクしていないとしたら店はお金を生む道具になってしまいます。その店を継続だけしていれば自分の生活が安泰だからというのは、初演の気持ちにはなれない。3年たってもワクワクしていたら店の看板を自分のしたい看板にして、好きにやってほしい。逆に店を閉めた場合、今まで来てくれてたお客さんを見捨てるのかって批判は当然あると思います。でもそこは自分の人生なんで楽しいと思えないことに使ってほしくないと思っています」
一定の期限を決めることが、モチベーションを高く維持することにつながる。
「店を続けようが、新しい道に進もうが一生応援してもらえる応援者が年々増えていく生き方が理想です。僕に怒られながらも必死で頑張ってた修行生が卒業する日はたくさんのお客さんがお祝いに来てくれます。そしてその彼らの店のオープン日にはどこであっても駆けつけてくれます。ボランティアもしてくれます。そんな彼らが3年の期間を満了し、次の夢に向って挑戦するときも応援してくれると信じています。そんな彼らを応援してたお客さんたちも気がつくと夢を持っているんですよ」
そんな西岡さんが今、10代や20代の夢を持てない若者にメッセージを送るとしたら。
「まずは食べたいものを食べる生き方を始めてほしいなと思いますね。夢って算数と一緒で段階がある。1+1が分からない人に、掛け算は解けないじゃないですか。夢も一緒で段階がある。まず小学校1年生レベルの夢を見つけてほしい。目の前の小さな夢を見つけて、それをかなえるということを続ければ、夢のレベルは勝手に上がっていく。その小学生1年生レベルの夢が、今日食べたいものなんです。だから、まずは今日食べたいと思うものをないがしろにしないで食べてみてほしいんです。それが今を楽しく生きるということになると思います」
大切なのは、本心から「やりたい」と思えることを見つけることだ。
「子どもの頃は簡単に見つかった『やりたいこと』が、大人になるにつれ、見つけにくくなる。できるできないという判断が邪魔するから。どうせ努力するならやりたいことで努力した方が楽しくないですか。ワクワクする目標設定ができたら、あとは人生、毎日楽しくできると思います」と結んだ。
□西岡津世志(にしおか・つよし)1979年9月8日、滋賀・近江八幡市出身。高校卒業後、東京でお笑い芸人を目指しながらラーメン店で修業。2006年、独立して京都一乗寺に「ラーメン荘 夢を語れ」を創業。12年、ボストンで「Yume Wo Katare」を開業する。18年に帰国し、国内外に23店舗を展開する。妻、子ども2人の4人家族。