ふかわりょう、ネットは「言葉の銃社会」 それでも「匿名発信を封じてしまうのは危険」
タレントのふかわりょう(48)がお笑い分野だけでなく、MCやコメンテーターとしても存在感を高めている。テレビ界で走り続けてきた中堅は、YouTubeや配信に押され気味のテレビの現状に対して「未来を憂いてはない」と断言。40代に入って番組MCを任されるようになり、炎上や誹謗(ひぼう)中傷に対する考えを深めてきた。「いいね」の数に翻弄(ほんろう)されるネット社会をどう生きればいいのか。ふかわ流の処方箋とは。
コロナ禍で気付いたテレビの大事な「楽屋」文化 SNS社会への処方箋
タレントのふかわりょう(48)がお笑い分野だけでなく、MCやコメンテーターとしても存在感を高めている。テレビ界で走り続けてきた中堅は、YouTubeや配信に押され気味のテレビの現状に対して「未来を憂いてはない」と断言。40代に入って番組MCを任されるようになり、炎上や誹謗(ひぼう)中傷に対する考えを深めてきた。「いいね」の数に翻弄(ほんろう)されるネット社会をどう生きればいいのか。ふかわ流の処方箋とは。(取材・文=吉原知也)
自らの人生観を織り込んだ最新エッセー「ひとりで生きると決めたんだ」(新潮社)が話題のふかわ。MC・コメンテーターとして、自身の意見や論評を発信することで、さまざまな反響を目の当たりにしてきた。ネット社会ならではの、コメントの切り取りや炎上のリスクもつきまとう。どう捉え、受け止めているのか。
「自分のコメントが切り取られて拡散されることがあります。それに対して苦言を呈したり、自分が被害に遭ったとして嘆いている人をよくお見かけしますが、私はそういう意識にはなりません。というのも、自分がこれまでメディアを通して見てきたものは、誰かに都合よく切り取られたもの。誰かの目線が入ったフィルターを通して見聞きすることで、自分は自分の世界を構築しています。今のロシアとウクライナの問題にしても、どこかで切り取られたものを我々は受け入れていて、ないものは自分で都合よく補完して世界を構築しているわけです。切り取りを嘆くのではなく、自分が見ている世界を疑う意識をもった方がいいのかなと思っています」
無責任さと悪意が先鋭化する誹謗中傷は大きな社会問題だ。ふかわは「言葉の銃社会」と強調するが、ネット社会特有の「匿名性」についてこんなメッセージを発する。
「私は、ネット社会が生まれたというのは、私たちが『言葉の銃社会』を受け入れたということだと考えています。『銃』ですので、使い方によっては取り締まる必要があります。それに、言葉による心の傷というのは、社会がしっかりと見つめないといけない事象だと思っています。ただ、何がどう悪いのか、誹謗中傷の定義は非常に難しい問題です。解決にはなりませんが、この言葉を使ったらダメといった、取り締まるための線引きを考えた方がいいんじゃないかと。
一方で、匿名で発言する権利を奪うことは、私はおかしいと思います。匿名の発信力を世の中から封じてしまうのは、それはそれで危険なことです。今現在は匿名が暴走しがちの状況ですが、その暴走を止めるのに一律で『匿名禁止』を用いることは、ちょっと怖いことだなと思っています」。非常に難しい議論だが、真剣な考えを教えてくれた。
ふかわと言えば、SNSの「いいね」に関してつづった新聞掲載のエッセー「いいねなんて、いらない。」(2017年)がバズった過去を持つ。「いいね」に振り回されない生き方について改めて聞いてみた。
「人それぞれの喜びがあるので、たくさんの数のいいねを求める人生があってもいいと思います。ただ、私は『自分だけのいいね』を見つけていたいです。周りの顔色や関心度に関係なく、シンプルに言うと、自分にうそをつきたくないということです。SNS社会は自分が見られている、もしくは、見せる前提で行動するようになりがちです。そういう人を別に止めませんが、私は自分の感性を大事にしたい。願わくば今回のエッセーでそういうことを感じてもらえたらと思っています。だからと言って、本のタイトルを『自分の感性を信じよう』としてしまうと、妙に説教くさくなってしまうので(笑)」
テレビ業界の今をどう捉える? 「信用を損ねることをやったらすぐ離れてしまう。そんな時代」
本来は共感を伝えて分かち合う「いいね」だが、誹謗中傷の投稿に「いいね」が付くことの怖さについて指摘する。
「例えば、私に対して牙をむく人がいたとして、ネット上でそういう投稿を見た時に、その人が存在すること自体はそんなに痛みはないです。『そういう人もいるよね』で済ませることもなんとかできる。しかし、それに『いいね』が付くと、誹謗中傷が少なからずの説得力を帯びて、それを肯定する人がいるという構図が、人の心に痛みを与えるようになるんじゃないかと。
それはネットに限りません。これは本の中にも書いたことですが、例えば誰かを傷つけるようなジョークを飛ばす。それがすべればいいのですが、ウケると、『そのジョークを肯定する世界』が生まれてしまう。そうなると、被害を受けた人はすごく傷つきます。誰も笑わないことでそのジョークが却下されればいいのですが。笑いで肯定される、同意になるという側面にも気を付ける必要があるのではないかと思っています」
YouTubeや配信の台頭によって、停滞が指摘されるテレビ業界。新型コロナウイルス禍で気付いた、テレビの大事な文化があるという。それは楽屋だ。「リモート出演を経験して改めて感じたのは、やっぱり私はテレビ局や現場に足を運び、メイクをして着替えて、カメラの前に立って、初めてタレントになれるということです。自宅からのリモート出演になると、私にはなかなかイメージができませんでした。楽屋の存在はある意味、タレントになる通過点であり大事な場所だったんだな、と。1つの番組を作るのに、関わる人が非常に多い中で、緊張感を含めて独特な空気感や向き合い方がある、それがテレビなんだなと。YouTuberの方は自宅から生配信をしていますし、楽屋という空間を介さずにどんと発信できるので、そこにスタンスの違いはあると感じます。でも、世の中のエンターテインメントにはいろいろなスタイルがあるので、テレビらしいコンテンツもあればYouTubeらしいコンテンツもある。それでいいと思っています」
コンプライアンスや規制が厳しくなる中で、テレビ業界で生きていく。どう考えているのか。真摯(しんし)な答えが返ってきた。
「お茶の間という言葉自体、死語になりつつありますが、以前のようにとりあえずテレビをつけるという時代ではなくなりました。見てくれる人に『わざわざテレビの前までお越しくださりありがとう』という気持ちを持つことが大事だな、と。あとは信頼関係です。以前は多少冷たく不親切であっても、それでもコンテンツが少ないからテレビを見てくれましたが、今は信用を損ねることをやったらすぐ離れてしまう。そんな時代です。その意識は特に持っていないとダメなんじゃないかな。テレビに限らず、俳句や短歌もそうですが、ある程度の制約というのは世界を狭めるものではなく、むしろ何かが広がるチャンス。新たな彩りが増すきっかけになるとも私は思っていて。今のテレビの現状に対して、未来を憂いてはないです。子どもの頃からテレビに夢中で、お笑い芸人やタレントになりたいということ以前に、テレビの中に入りたいという思いがありました。今もなお、この中にいたいという気持ちが強いです」
□ふかわりょう 1974年、神奈川県出身。慶応義塾大在学中の94年にお笑い芸人としてデビュー。長髪に白いヘア・ターバンを装着し、「小心者克服講座」でブレーク。後の「あるあるネタ」の礎となる。現在はテレビでMC(TOKYO MX「バラいろダンディ」)やコメンテーター(TBS系「ひるおび」)を務めるほか、ROCKETMAN名義の音楽活動など多岐にわたる。