「猪木の死を商売にするな」“猪木祭り”関係者が明かす批判への本音「完全に見当違い」
10月に亡くなったアントニオ猪木さんの“遺言”によって開催される「INOKI BOM-BA-YE×巌流島 in 両国(猪木祭り)」。猪木さんが生前の段階から企画されていたことは、これまで谷川貞治プロデューサーの口から明かされていたが、その経緯が改めて公にされた。
きっかけは谷川Pの思いつき
10月に亡くなったアントニオ猪木さんの“遺言”によって開催される「INOKI BOM-BA-YE×巌流島 in 両国(猪木祭り)」。猪木さんが生前の段階から企画されていたことは、これまで谷川貞治プロデューサーの口から明かされていたが、その経緯が改めて公にされた。
「『INOKI BOM-BA-YE』復活構想! それは谷川貞治の思いつきからはじまった」なるタイトルで「巌流島」の公式サイトに掲載された関係者のコラムによると、最初に谷川Pが「INOKI BOM-BA-YE」の名前を出したのは「THE MATCH」(6月19日、東京ドーム)を目前に控えた頃。つまり5か月以上前の段階で、谷川Pは、開催されれば2015年大みそか以来、7年ぶりとなる「猪木祭り」の復活を計画していたという。
「もちろん、その段階では猪木さんがあちらの世界に旅立ってしまうなんて想像もしていない。むしろ、人前に出続けきた猪木さんが、大観衆の前で自ら『元気ですかーッ!』と叫び、観客と一緒に『1、2、3、ダーッ!』と号令をかければ、すぐに元気を取りもどすに違いない! 自分はそう信じてやまなかった」(原文ママ)
とはいえ、その段階では現在、アントニオ猪木関連の権利を持つ、猪木元気工場(IGF)に権利が移行されていなかったため、8月になってそれが移った段階で、谷川PがIGFの高橋仁志社長と会って、本格的に実現に向けた調整に入った。
おもしろいのは、8月に猪木さんが、結果的には最後の住処になってしまう、高級マンションの最上階にある部屋への引っ越しを済ませたその日に、高橋社長が猪木さんに「INOKI BOM-BA-YE」復活構想を伝えていることだろう。
関係者によれば、「非常に手際の良さを発揮させる」と思えたが、おそらくそれは高橋社長が、猪木さんのツボを知っていたからに違いない。つまり、猪木さんにそういった大会の話を伝えることこそ、猪木さんの生きがいにつながっていくことを、高橋社長は熟知していたのだ。
また、「後編」として「巌流島」公式サイトに掲載された内容には、「猪木祭り」に対する疑念に対し、関係者が独自の見解を述べている。
いわく、「なぜ谷川貞治がプロデューサーなのか」「内容はどんなものなのか」「アントニオ猪木の名前に傷はつかないのか」「猪木の死を商売にするな」……。
そういった声に対して「ひとつ間違えてほしくないことがある」として、「アントニオ猪木」を株価にたとえ、「谷川さんからそれ(「猪木祭り」復活構想)を聞いた5か月以上前の段階では、言いたくないけれど、株価は底値だった」と記している。
必要なのは「馬鹿になれ」
「ズバリいえば、あの段階で、株価の下がりまくったアントニオ猪木で商売をしようなんて考える人は、いたかもしれないけど、少なかった。あの段階でできる範囲には限りがあったから。だから、そこだけは絶対に間違えてほしくはない」
要は、「『谷川が猪木の死を食い物にしている』かのような見方は完全に見当違い」とのこと。
しかも「本音を話すと、『INOKI BOM-BA-YE』の対戦カードなんてどうでもよかった。もうそんなことはどうでもよくて、どうしてもどうしても猪木さんに元気になってもらいたくて、車椅子のままでいいから、リングに上がった猪木さんと一緒に『1、2、3、ダーッ!』をやりたかった」と明かす。
「それができれば、絶対にアントニオ猪木はよみがえる! そのためには、誰に何をいわれようとへっちゃら。自分はそう覚悟した。だってアントニオ猪木は常に人に見られる人生を歩んできた。だったら、その刺激や感覚を取り戻せば、絶対に活力がみなぎってくるに決まっている! 誰がなんといおうと、それは必要不可決なはずでだった」
今回、実際に関係者に連絡を取ると、「当初の予定では、亡くなるなんて考えていないから追悼なんて考えたことはない。むしろ『よみがえれ、A猪木』がテーマだった」と明かし、「猪木さんを株価にたとえている時点で、金勘定をしている、という声もあるらしいけど、例えば2002年の年末だったか、その年の『猪木祭り』を開催する前、放送が決まっていた放送局のやる気が見られない。猪木の価値をわかっていない」と腹を立てていたことがあった。プロである以上、自分の株価を気にするのは当たり前だし、少なくとも自分の知っている猪木さんは『猪木を使ってどんどん商売してくれ』という方だった」と話した。
「だからこそ、猪木さんがお亡くなりになったと知った時は、なぜこのタイミングなのか。文字通り天をあおぎ、神様のいたずらに対して、これ以上ないほどの怒りを覚えた」ともコラムにはつづられ、なぜなら猪木をリングに上げて、観客と一緒に「1、2、3、ダーッ!」をするという、当初の目的を果たせない「猪木祭り」が開催されることになってしまうから、とも。
それでも最後は「いかにアントニオ猪木の世界観を表現していくか。そこに真っ向から挑戦し、それなりの結果を残すためにに心血を注いでいく」とある。
そして「そのために必要なのは猪木さんの名言のひとつ『馬鹿になれ』。つまり、どこまで馬鹿になれるか。ばかになって何をするのか。考えたって答えは出ない。それこそ最後は『迷わず行けよ 行けばわかるさ』しかない」と結ばれている。
ネット上をサクッと散見する限り、賛否両論が叫ばれている感のある「猪木祭り」。そのそれぞれが思い思いの猪木観を公にしているが、実はそのどれもが正解であり、どれもが間違っているのかもしれない。
ともあれ、「一歩踏み出す勇気」(byアントニオ猪木)を胸にそれを実行したからには、成功させるしか道はない。それこそが、旅立った猪木さんへの供養になるはずだ。